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第7話「瞬木風吹」

 フィールドの外で並人は気絶しているシオンの隣に腰掛けていた。すると、先ほどシオンをふっ飛ばした瞬木が伏し目がちなままで近寄ってきた。


 瞬木は並人とシオンから三メートルほどの距離で足を止める。緊張しているのだろうと思い、並人は笑顔を向ける。


「大丈夫。軽い脳震盪だけど特に問題ないって話だ。でもな、あんまり速度を出すと危ないぞ」


 かぐやの診断結果を伝える。数十分もすれば目を覚ますだろう──とのことである。


「あ、うん。ありがとう。粗忽者で本当に済まない。私は──誰かを傷つけずにはいられない人間なんだ」


 今にも泣きそうな目で、彼女は視線をさらに落とす。


「傷つけるなんて重くとらえる必要はないよ。当分起きないだろうから君はもう少しサッカーしておいでよ。周りの速度に合わせて手加減してくれればありがたい」


 庇護欲を誘うその姿からは、先ほどのような超人性は想像もできない。


「……ああ、うん。あの、その」


 しどろもどろに彼女はなにかを告げようとする。並人は根気よく彼女が勇気を出すのを待つ。


 が、いつまでも先に進む様子がない。人見知りの類だろうと楽観し、並人は助け舟を出した。


「僕は七曲並人だ。並の人って書いてナミト。名字は自分でも噛むから並人でいいさ。緊張するような大層な人間じゃない。君は?」


 世界最強――瞬木炎群の仲間だとは知っている。しかしクソみてえな座席表には名字しか書かれていないので名前がわからない。


「私は瞬木……風吹という。うん、私も風吹でいい。名字であんまり呼ばれたことがないから。並人か。素敵な名前だ」


 風吹はそういうとはにかんだ。ポニーテールという活動的な印象の髪型からは想像できないくらいに内気な少女であるようだ。


 名前を褒められた経験などなかった並人は、愛想だと思って軽く受け流す。


「ありがと。風吹って名前も綺麗な名前だな。君によく似合ってる」


 並人が言うと、風吹は嬉しそうに頬を緩め、少しだけ顔が上向いた。改めて正面に見据えると、相当な美少女であることに並人は気付く。シオンといいかぐやといい異能者は顔が整っていないとなれないものなのだろうか。


「そんなこと言ってもらえたのは初めてだ……。世辞でも嬉しい」


 はにかむ風吹に、並人は笑顔をたたえたままで硬直した。見惚れかけたというのもある。だが、彼女の半生に曖昧ながら察しがついたというのもあった。平均的女子を周回遅れにするような顔立ちでありながら褒められる環境にないというのは、ろくな人生ではあるまい。彼の通っていた中学に彼女が通っていたなら、何人の男子生徒が袖にされたことか。仮定を想像して、風吹に告白しただろう友人たちを思い出そうとする。たった一日の変事が友人の顔さえ朧気にしていた。


「世辞じゃないって。シオンはまだ当分目を覚ましそうにない。シオンと話したかったら放課後にでも話そう。それともサッカー、つまらないか?」


「いや、面白い。遊戯そのものは単純だが、実に奥深い。限界を超え続ければいいというものではないのが特に」


 別にそういうルールがあるわけじゃないんだが。という呟きは内心で留め、並人は彼女を送り出した。


「そりゃあ良かった。僕はそれなりにサッカーの経験あるからな。レクリエーションを楽しむ権利は譲る。シオンの看病は僕ひとりで十分だ」


 並人の言葉に、風吹は小さく頷く。ポニーテールを揺らしながら背を向けると、小走りに走り出す。少々危なっかしい走り方なのは、彼女にとっては競歩よりも遅い速度での走行になるためだろう。風吹のように一般人に合わせて運動能力を制御する必要がある人間もいれば、シオンのように子ども以下の身体機能の人間もいる。


 まるで眠っているように穏やかな寝息を立てるシオンを見ながら、並人は笑みを浮かべた。




     ◆    ◆




 授業が終わった後、まだシオンは気を失ったままだった。


 教室に引き上げようとする生徒たちから、かぐやだけを呼び止める。


「……うそ。脳含めて健康そのものなんだけどな。超能力者だとちょっと勝手違う?」


「苦しそうでもないし、呼吸も正常みたいなんだけど。脳震盪ってあんまし軽く考えるのまずいんじゃないのか?」


 かぐやの顔が蒼白になっていく。これで後遺症でも残れば、自分の責任だと考えているのだろう。その時、至近距離で何かが爆発した。轟音と衝撃波によって吹き飛ばされ、中学の授業で習った受け身も使えず無様に転がった。


 全く状況がつかめず、並人は錯乱しつつも周囲を見渡した。同じように辺りを見回しているかぐやと一瞬だけ目が合う。音の出どころに視線を向けると、並人は安堵した。


「……あの、大丈夫……だろうか」


 グラウンドに生まれた小さなクレーターの中心に風吹が立っている。シオンが倒れたままであるのに気がついた風吹がひとっ飛びで校舎付近から彼らのそばまで跳んできたらしい。


「大丈夫だけど……今ので大丈夫じゃなくなったかも」


 並人はジャージの砂を払いながら立ち上がる。風吹は慌てた表情で足元を見渡した。


「な、な、な、何の音ですかぁ!?」


 シオンが驚きの声をあげた。今の衝撃で目覚めたのだろうか。並人が見ると、シオンは地面に座り込んだままで髪の毛を振り乱し、辺りを見回していた。


「こ、このまま寝ていれば並人が丁寧におんぶかだっこで運んでくれるかと狸寝入りをしていたのがバレましたか!?」


 そのままシオンは自らの罪状を吐露した。あざとい考え方に並人は額に手を当て嘆息した。


「お前なあ……」


 並人が彼女をたしなめようとしたときだ。彼の前を矮躯が通り過ぎる。


「シオンちゃんッ!」


 全力疾走でシオンに駆け寄ったかぐやは、へたり込んだままのシオンの隣で止まる。それから、高々と小さな拳をあげた後、優しく軽く、しかししっかりと。シオンの頭に拳骨を落とした。


「大概のことは許す! 超能力を使うのも仕方ない! でも、冗談は時と場合を考えて!」


 なぜ怒られているのかは分からなくとも、叱責されている事実には気づいたのだろう。シオンは不安げに並人に目配せする。


 確かにここは叱るべきタイミングだろう。かぐやが先行して憎まれ役を買ってくれた以上、その意は汲まねばなるまい。フォロー役は請け負いつつも、この場ではかぐやに同意見だと示すため、並人は両手の人差し指を交差させる。


「あたしは問題ないって診断して、なのにシオンちゃんが目覚めないってなったら、あたしの責任だし。それに、事故で気絶させちゃった風吹ちゃんだって気が気じゃなくなるでしょ!?」


 激しい口調で言い寄られ、シオンは泣きそうな顔をして項垂れた。


「ご、ごめんなさい。そんなつもりではなかったのです……」


「そうね。分かっててやってたんなら最低だもん。でも、わざとじゃなければやっていい悪戯じゃないっていうのも分かるよね?」


 かぐやがシオンの髪を優しく弄うと、シオンはか細く「はい……」とだけ応ずる。


 そこで、かぐやはシオンに背中を向け、並人の隣を通って教室へ向かおうとする。通り過ぎる瞬間、かぐやは並人にだけ聞こえる声で小さく。


「フォローよろしく」


「ああ。いいお母さんになるよ、かぐやは」


「それ、広義ではセクハラだから」


 小走りに駆けていく彼女を見送った後、並人はへたり込んだままのシオンへと近寄った。


「空間転移は禁止だぞ?」


 機先を制して並人が告げると、シオンは今にも零れ落ちそうなくらい涙の溜まった瞳で見返してくる。


「大丈夫だって。なにが悪かったか、ちゃんと理解できたか? なら少し時間を置いて、考えをまとめてからかぐやと……そうだな、風吹にも謝ればいい」


「また……私は間違えてしまいました。自分の欲求を果たそうとして誰かを傷つけてしまったのですね。やっぱり死んだ方がいいのです」


「そんなわけないだろ。シオンの生きてる世界には、シオンにしか助けられないものがきっとあるから」


 苦笑いを浮かべながら並人はシオンを元気づけてやる。少しは届いたのか、シオンが涙を拭い、立ち上がった。


 シオンはそれから先ほどから立ち尽くしている風吹に向かって頭を下げる。


「あ、いや。私こそ済まない……。二度も吹き飛ばしてしまって。本当に粗忽者で……」


 そう言いながらも、自分が作り出してしまったクレーターを気まずげに見やる風吹だった。


「よし。じゃあこうしよう。ふたりで協力してこの窪みを緩やかにすること。この陥没の責任はまあどっちにもあるってことで。僕は手伝わないぞ。ちょっとのズルなら多めに見るから頑張れ。道具は僕が探してくるから」


 言い残して、並人はグラウンドの端にある倉庫へと駆け出した。


 体育倉庫に辿り着いてから、並人はふたりを見やる。お互いに頭を下げて、会話をし始めたふたりに、並人は知らず笑顔をこぼした。




     ◆    ◆




 ホームルームが終わっても、シオンと風吹はまだ教室へは戻っては来なかった。窓からグラウンドを見れば、シオンと風吹はクレーターの整地に没頭している。


 半ば作業は終わっているようだが、それは風吹の活躍によるもので、シオンの方はまだトンボをかけている。もう体力的には限界なようでへろへろのようだが、彼女は自分の作業を風吹に任せるつもりはないようで、運動不足の体に鞭打って頑張り続けている。


「……いい娘だね」


 気づけばかぐやが隣でそんな風に呟いていた。


「うん。シオンは優しいし、頑張ってはいる。どうしようもなく抜けたところはあるけど、悪いやつじゃあない」


「善悪が分からないあたりが危ないんだけどね。そのあたりはあたしらがフォローしてあげよう」


 かぐやは薄い胸を反らした。それに関しては並人も同意見だ。


 そうしてしばし黙っていた並人は、かぐやが自分を仰ぎ見ているのに遅れて気がついた。その眼差しには悼むような色がある。


 その意図は並人には読めなかった。だからきっと、見当違いな感想だと、かぐやの眼差しに宿った色を彼は見落とした。


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