聞き慣れた始業のチャイムが、とても懐かしいもののように感じられた。
そんな感情をかき消すように、遠くから激しい音が振動を伴い鳴り響いた。音は徐々に大きくなる。工事現場がすさまじい速度で接近しているような、奇っ怪な感覚だ。
ひときわ大きな爆音が教室にまで届くと同時、教室後方の扉が開いた。他の生徒とは違うデザインのセーラー服にポニーテールと、快活なスポーツ少女という風な出で立ち。ポニーテールは本体の急制動にはついていけなかったようで、水平になびいてのご登場である。
「ち、ち、遅刻だ! どうしよう!?」
少女は慌てふためいていた。垂れ目がちな瞳を、初日早速の遅刻という不手際から困惑でさらに下げ、今にも泣きそうな顔をしている。
「……まだ先生来てないからだいじょうぶだよ」
と、並人は助け舟を出してみる。すでに教室に人が揃っているのに気付いたのか、ポニーテールの少女は眩しいかのように両目を力強く閉じ、夕日を浴びたように顔を赤らめた。
胸元から折り畳まれたプリントを出し、彼女は教室と見比べている。どうも座席表のようだ。困ったように顔をしかめている。並人は彼女から座席表を借りて、自分でも眺めた。クソみてえな座席表だった。空席が五個。瞬木が三つ。おそらく、瞬木が三人いて、そのうちのひとりがこの子なのだろう。
「瞬木さんはそこでいいんじゃないかな。もし怒られたら僕が矢面に立って庇うから」
風吹は並人の声にびっくりしたように全身を縮める。あひがとぅー、と小動物の鳴き声みたいな音を出してから、かぐやの前の席に着座した。その背中には、日本刀が背負われていた。
視線で風吹に対する印象をかぐやに伝達しようとしたとき、かぐやはあんぐりと口を開けているのに気がついた。なにかあるのかと振り返ると、並人も固まった。
窓の外のベランダに、鋼色の髪をした紺色の――修道服姿の少女が立っている。さっきまではいなかった。少女は微笑んだまま、軽くガラスを叩いている。
しばし、並人は困惑したまま修道女姿の少女を見ていたが、やがて彼女が思いっきり右腕を振りかぶって──
「待て待て開ける、今すぐに開けるから!」
と、窓に飛びついて、並人は焦りながらも迅速に内鍵を開けて、窓を開いた。間に合った。窓のあった場所の数センチ前で拳は止まったのだが。
「……ぐはっ」
胸に衝撃が来て、呼吸が止まる。並人はその場に膝から崩れ落ちた。寸止めした拳から衝撃波が出ていたようだ。どういう威力だ。
「『壁があるなら殴って壊せ』。ケンゴ兄さんなら、そう言ったわ」
賛美歌の似合う、修道女らしい美しいソプラノが耳に届いた。誰かの真似をしているようだが、声色は変化がない。ただ元の人物の猛々しさだけが台詞から感じられるのみだ。
「っぷは。……か、べ、な……ら……っな。それ、窓だし……窓があるなら入り口があるとわかるべき……で、なら」
「ツッコみより呼吸を優先しろよ」
とかぐやに頭を手ではたかれた。何かを言わずにいられなかったが、泣く泣く肺と喉を発声ではなく、呼吸器としての役割に没頭させた。
「ごめんなさい。だいじょうぶ?」
修道服の少女は腰を曲げて、並人を覗き込むようにした。髪と同じ鋼色の瞳だ。
「割れたガラスが飛んできたらどうするつもりだったの?」
ガラスを割ろうとしたのはおまえだろうが。
無茶をした並人を労るように、慈しむように彼の肩を掴んで掻き抱くようにした。修道服では収まりきらない豊かな胸に顔を埋めさせられる。
顔が熱くなって、徐々に気が遠くなる。別に柔らかな胸に顔を埋めている気恥ずかしさによるものではない。間近に迫った命の危険に身体が警鐘を鳴らしている。
呼吸ができない。ただでさえ内臓が衝撃波でやられた後だ。思いがけない細い肩に手を置いて、なんとか周囲に有り余るはずの酸素を補給しようとあがくが、腕力の桁が違う。
寸止めの衝撃波で、健康な高校生男子の内蔵に重篤なダメージを与えてくる相手なのだ。全力で抱きとめられたら彼の健康な背骨くらい平然と砕くのではないかと思われた。
「ショーコちゃん。並人くん、幸せなまま死んじゃうから離してあげて?」
「あら、大変」
まったく大変には思っていないような穏やかな口ぶりだが、ショーコが力を緩め、並人は解放された。
からっけつになった肺に空気を取り込む。先ほど衝撃波で殴りつけられた痛みは、気づけば消えていた。その間にショーコはかぐやに誘導され、座席を見つけたようだった。
シオンが心配げにこちらを見ているのに気づき、並人は苦笑いを返す。
「ありがとう。『胸と背が大きくなったら、デートしてやるぜ』。ユウキ兄さんなら、そう言ったわ」
「おっけ。五年待ってて。期待通りに育つから」
かぐやはショーコにサムズアップを決めると席に戻った。
力なく笑みを浮かべて、これからの学園生活を生き抜けるか並人は不安に思った。
感性がまともなのは自分だけだと、改めて実感する。
異能者だけではない。この一連の状況に、微動だにしない他の生徒たちへの、偽りのない思いだった。