「ごめんね、ちょうどいいサイズのがなくって」
貸し出し用の道着を準備してくれた安孫子先輩は、それらを身に着けた私の姿を見て、思わず苦笑した。
多少はサイズの選択肢があったものの、一番大きいものを選んで着ても、私の身体には袖も裾もぴっちぴちでつんつるてんだった。
「七五三みたい……でも、仕方ないです。我慢します」
見てくれは良くないけど、ジャージとかでやるよりはマシだ。脱いだ制服を丁寧にたたんで、用具棚に置かせてもらう。
「防具もちょっと小さいかも。悪いけど我慢して」
「いえ、ありがとうございます」
「竹刀はどうする?」
「貸していただけるなら、なんでも」
「そうじゃなくって、三七(サンシチ)と三八(サンパチ)どっちにする?」
「ああ」
そっか、高校生になったから竹刀の規格も変わるんだっけ。
地域によって呼び方はいろいろあるけど、ようは三尺七寸と三尺八寸っていう、長さの違いのことだ。競技区分によって長さは定められていて、小学生なら三六、中学生なら三七、そして高校生なら三八といった具合。
平均身長に合わせて決められたものなので、ようは背が高くなるにつれて、長い竹刀を使いましょうということだ。
「ええと……あれば三七でお願いします」
「おっけー。これも貸し出し用だけど、ささくれはしてないから安心して使って」
「ありがとうございます」
迷うことはなく、私は中学の頃に使い慣れた三七規格の竹刀を使うことにした。身長的には間違いなく三八の方が良いんだろうけど、慣れない規格で、慣れない間合いで戦うよりはいいと思った。
確か、須和さんも三七規格だったと思う。つまり、三八を使う先輩たち相手に、三センチ程度も短い間合いで戦っていたわけだ。その化け物っぷりを改めて実感して、背筋が震えた。
いいや――たぶんこれは武者震いだ。昨年の夏に終えたはずの、〝競技人生最後の試合〟を、こんなところでもう一度、しかも追い続けた須和黒江を相手にできるのだから。
道具一式を揃えて、私は更衣室を出た。さっきまで靴下をはいていたものだから、裸足になって踏みしめる床板が、ひんやりと冷たい。だけど、沢山の先輩剣士たちが幾重にも踏みしめ、稽古を積み、カチカチになった脚の裏で研磨されたのであろう、なめらかな肌触りだった。
コート脇で手早く防具を装着し、破損がないことを確認する。垂ネームがないのは仕方ないので、代わりに安孫子先輩が、垂に直接チョークで「秋保」と書いてくれた。試合にネームを忘れた選手が、たまにやっているやつだ。
別にいらないのにとも思ったけど、安孫子先輩曰く、形から入るのは大事らしい。何を形から入っているのか、私には分からなかったけれど。
面をつけると、左右の視界がぐっと狭まる。身体ごと左右を向かない限りは正面しか見ることができないけれど、試合場で相手だけに集中するには好都合だ。
「どんと構えていっといで!」
準備ができた私の背中を、竜胆ちゃんがバシンと平手で叩いて送り出してくれる。私は頷きだけで返事をして、一礼の後、コートに足を踏み入れた。ギシリギシリ、歩みに合わせて床板が鳴る。須和さんとの距離が縮まる。中学の部活人生全てをかけても、たどり着けなかった距離。それが今、こんなにも簡単に踏みしめていられることに、一抹の寂しさを感じた。
小さく深呼吸をして、開始線で蹲踞をする。須和さんも同様に腰を下ろして、互いの竹刀がまっすぐに向き合う。
* * *
「はじめ!」
審判、熊谷の掛け声で、試合が始まる。
先ほどは、竜胆の出会いがしらの一撃からスタートしたが、今回は鈴音と黒江の両者ともに、開始間際の先制を放った。
「合い面!? どっち!?」
竜胆が、コート外でかぶりつきながら、審判を仰ぐ。合い面――互いにほとんど同じタイミングで打ち込まれたメン同士だったが、熊谷の判定は「相打ち、無効」だった。
鈴音自身も、今ので決まったとは思っていない。すぐさま身を翻して、正眼で黒江を捉える。おそらくは不意を突いたつもりであったのだろう黒江も、仕切り直すように正眼で静かに間合いをはかる。
さて、どうしよう。鈴音にとっても、今のメンは、決められるなら決めたかった。先ほどの竜胆との試合を思えば、決まればラッキーくらいのものだが、それでも奇跡も味方につけなければ黒江には勝てない。そう思っている。
カチカチと、竹刀の切っ先同士が小刻みに触れあい、互いに機を狙う。これが並の選手であれば、緊張で痺れを切らして甘い一打を踏み込んでしまい、応じ技や出鼻技の餌食となる。
だが、須和黒江はちょっとやそっとの駆け引きで崩れはしないし、安い挑発に乗ることもない。そういう意味では、竜胆の戦法もあながち間違いではなかった。黒江がペースを合わせてくれないなら、こっちのペースを押し付けるしかない。そういう試合メイクの仕方はある。相手に防御を強いることもまた、最強の守りである正眼の構えを崩させる方法のひとつだ。
そして、鈴音もそうせざるを得ない。黒江のペースに乗ることは、負けを意味することだからだ。
仕掛ける。比較的隙の少ない、ジャブのようなコテ。そして流れるようにメン。小学生でも習う基本の連撃だが、いくつになっても使えるから、そうやって一番最初に習うのだ。黒江はその両方を、難なく防ぐ。だが鈴音の踏み込みが思ったよりも深かったからか、返しの技は放つことができずに、そのまま体当たり、そして鍔迫り合いへ持ち込む。
一方の鈴音は、ゼロ距離で競り合うつもりなんてない。ぶつかった勢いで後ろに飛びのき、引き技を狙う。
「うまい、かついだ!」
安孫子が身を乗り出して叫んだ。
一旦竹刀を肩に担ぐように振り上げてからの、引きメン。素直な引き技が来ると思っていたであろう黒江は、僅かにリズムをずらされて、やや不格好な形での守りとなる。鈴音はその隙を逃さない。後ろに引いた体制から、すぐさま前のめりに間合いを詰めると、ぽっかりと浮いた黒江の小手に狙いを定めた。
短い踏み込みと共に、手首のスナップだけで放った速度重視のコテ。一瞬決まったかと思われたが、熊谷は少しだけ迷ってから「浅い、無効」と審判旗で示した。
「ああ~! おしい! もう一本! もう一本!」
竜胆の声援が、鈴音の背中に飛ぶ。それをコートで受け止めながら、鈴音は眉間に皺を寄せた。
(今のは決めときたかった)
ほんのわずかな隙間を縫うようになってしまった分、技に勢いが無かった。気剣体、ともにちょっとずつ足りず。傍から見れば、「なんだ、太刀打ちできてるじゃん」と今後の試合展開に期待を募りそうなところだが、戦っている本人からすれば最大のチャンスを逃した気分だった。
そして、それが自分がこれまで積み重ねて来たものの限界点だということも、鈴音には分かっていた。
――今のを決められないから、自分は上へ行けなかったんだ。
もちろん、同じシチュエーションが何十回と重なれば、今の技量であっても綺麗に技が決まる時もあるだろう。だけど、その〝決まる時〟が〝ここ一番〟の試合でやってこない。
強敵と対峙した時。
上位大会への切符をかける時。
チームの勝敗を自分の試合結果が担う時、などなど。
ここぞという場面で結果を出せない〝勝負弱さ〟こそが、鈴音にとっての最大の敵だった。
「コテあり!」
審判旗が黒江に上がる。再びリズムを崩そうと狙った鈴音のメンを綺麗にかくぐって、カウンターのコテが決まった。須和黒江は、決めるべきところでしっかりと決める。彼女の持つ〝勝負強さ〟は、間違いなく日本一足りうるための素質だった。
(やっぱり、無謀だったんだ)
自分が外したコテと、黒江が決めたコテ。そこから理解できるのは、剣士としての技量と器の大きな差。それを再確認できただけでも、鈴音はこの試合を有意義だと思った。
須和黒江を倒す――中一の夏に抱いた目標は、目標でしかなくて。決して越えることのできない山に挑む、無謀な賭けだった。だから、高校から剣道をやめて、別の道を歩もうとした自分の判断にも間違いはなかった。
よかったんだ、これで。
本当に、よ――
――くはない。
諦めをつけようとした時、突然の反骨精神が鈴音の中に芽生えていた。
諦めるのはいい。
だけど、諦め方というものもある。
無謀だったとしても、須和黒江を追って日夜剣を振っていた事実は変わらない。その月日をなかったことにだけはしたくなかった。
この間、六組の教室で再開した時、黒江は鈴音をひと目でそうだと思い出すことができなかった。そんな「日本一の礎になった、その他大勢の剣士A」。いや、Aなんてのは心の贅肉で、実際は「Z」とか、「AZ」とかかもしれない。
(そんなので終わりたくない)
鈴音の、剣士としての最後の意地だった。小学校から九年間、人生の半分以上を費やして来たこの競技に対する礼儀でもあり、その「最後の試合」において、通すべき覚悟だった。
(せめて、一本くらい取り返す)
鈴音は、肺の中の空気を限界まで吐きだし、それからめいいっぱいに吸い込んだ。車の給油みたいなものだった。これから一気に吹かすから、しっかり限界まで力をため込む。
竜胆の戦術は間違いではなかった。だけど、疾さで勝負したことが間違いだった。大事なのはリズムだ。黒江のリズムに乗らない。こちらのリズムも押し付けない。自分こそが柔軟に、不規則なリズムを刻んで、試合そのものをかき乱す。
それが、鈴音にできる、黒江との唯一の戦い方。
「二本目!」
熊谷の掛け声で、試合が再会する。鈴音は、再び初撃から飛び込み、黒江を執拗に攻め立てる。竜胆ほどではないが、仕掛け技は鈴音も得意とするところだ。真似ることくらいはできる。
そこへ意図的にリズムの妙を加える。担ぎ技を交え、かと思えばあえて不用意なタメを作ってみせたり。黒江は、そのひとつひとつに冷静に対処をしてみせた。文字通り百戦錬磨の強者なら、焦る理由などひとつもなかった。
「黒江、なんか戦いにくそう」
だが、竜胆のその感想は正しかった。外から見ている人間には、わずかながら感じ取れる違和感。黒江が技を出しあぐねている。さっきの竜胆戦の「技を出す暇がない」と言うのとは違う。明確に、技を出すきっかけを損じている。
カウンターは結局のところ、相手のリズムに相乗りして、結果だけをかすめ取るようなものだ。だけど、不規則で自分勝手な鈴音の剣道を前にすれば、ダンスを踊ることもできない。音楽に乗ることすらやめたステップに、合わせられるパートナーはそうそういない。
ならば、どうするか。日本一の剣士が導き出した答えは、日本一の剣道を捨てることだった。
鈴音が引いたところに、自分から間合いを詰め、飛び込む。放たれたメンを紙一重で防ぎながら、鈴音は再び、機運が自分に向いてきたのを感じた。
――須和黒江が、カウンター剣道を捨てた。
それは、この場に居る誰もが目を見張るような、半ば信じられない光景だった。
初心者が相手だった時のように、明確な力の差があるのであれば、自ら攻めた方が確実に勝てるという場合もあるかもしれない。だが、こうして比較的拮抗する実力の相手なら、得意なスタイルを捨てるのは博打と一緒だ。
その方が良い判断されるほど、鈴音の戦術は、黒江の剣道を的確に殺していた。これが鈴音の三年間。須和黒江を倒すこと〝だけ〟につぎ込んだ研鑽の結果だった。
得意な剣道を捨てさせてしまえば、あとは自力勝負だ。仕掛け技同士、先の先同士の勝負。その土俵なら、鈴音は九年分の長がある。
ここで決める。
そうでなければ、これまでの人生が無駄になる。
比喩でなく、鈴音は切実にそう思っていた。
だからこその覚悟。
だからこその気合。
それは、現役最後の試合を象徴するのに相応しいものだった。
技と技。剣と剣がぶつかり合う。コートを囲む部員たちはみんな、もちろん審判さえも、もはや応援することも忘れて、息を飲んで行く末を見守ることしかできなかった。
技の応酬が一度止み、互いに正眼で間合いを取り合う。道場がしんと静まり返り、ただコート上のふたりの呼吸だけが、すうすうと響く。
次で決まる。
誰もがそう感じ取った。
動き始めたのは、ほとんど同時。互いにまっすぐ、相手の面を目掛けて竹刀を振り下ろした。試合開始直後の時と同じ、合い面。
悠久にも感じられた一瞬の中で、切っ先が互いの頭頂部に吸い込まれる。ほとんど同時。だが、ほんの僅か、一瞬だけ、鈴音の方が疾かったように感じられた。
しかし、旗は上がることがなかった。必勝の一打を放つべく、互いに踏み込んだその瞬間、試合時間の終わりを告げる笛が鳴り響いていた。
「そ、それまで!」
審判でありながらすっかり見入っていた熊谷は、自分の役目を思い出したように、勝負に待ったをかける。ふたりが開始線に戻ったのを見届けると、審判旗を高々と、黒江の方へ上げた。
「勝負あり!」
最後の面は、時間いっぱいで無効。よって、先に取ったコテの一本で、黒江の勝利だった。
勝敗のついたふたりは、その場で蹲踞をし、竹刀を小脇に収める。それからコートの端まで下がって行くと、相手と、コートに向かって、深く一礼をした。
「ありがとうございました」
鈴音の口からこぼれた挨拶は、きっと、これまでの彼女のすべてに向けた、区切りとしての感謝の言葉だった。
* * *
「鈴音ちゃん!!」
コートから出るなり、竜胆ちゃんが飛びついてくる。正直、立っているのもやっとなくらいにへとへとだった私は、彼女の重みに耐えられず、その場で崩れ落ちてしまった。
「わっごめん! 大丈夫!?」
「だ、大丈夫……脚に力が入らないだけ」
ほとんど無酸素状態で戦った二本目だ。無理もないけど、去年の夏にくらべたら、体力の衰えを感じていた。高校規格である四分という試合時間も、直近まで三分の世界で戦っていた身としては、永遠に感じられるほどに長かった。
「秋保さん」
気が付くと、面を外した須和さんが私のことを見下ろしていた。
「ありがとう、須和さん。最後に良い思い出になったよ」
「最後なの?」
「そりゃもちろん……だって負けちゃったし、須和さんだってもう、剣道部に入る必要はないんだよ」
口にしながら不安になったので、念を押すように安孫子先輩のことを見る。彼女は口惜しむように顔をしかめてから、仕方なさそうに頷き返してくれた。
「……ということだから。もしよかったら、剣道関係なしに、普通に友達になってくれたら嬉しいな。せっかく再会できたんだし」
そう言って、笑顔で手を差し出す。半分は本音で、半分は強がりだった。本当は、コートの外に出た瞬間から、喉元まで嗚咽がせり上がっていた。でも練習試合で悔し泣きするなんて恥ずかしくって、気合で無理矢理抑え込んでいた。
須和さんは、差し出した手を見て、それからもう一度私の目を見る。
「本当に剣道、辞めてしまうの?」
「そりゃ、まあ……」
だって、目標に届かなかったんだ。努力しても、努力しても、私のポテンシャルは、限界は、須和さんの強さを越えることができなかった。流石にもう、諦めがついた。もっと俗っぽい言い方をすれば、〝挫折〟っていうやつだ。
だけど須和さんは、私の言葉を全く理解できていない様子で小さく首を傾げた。
「私を倒せば、いつでも剣道部に入るって言ってるのに」
「え、そうなの!?」
食いついたのは安孫子先輩だった。いや、私も驚いたけど……でも、今日の様子を見たら無理でしょ。ワンチャン、まだ見ぬ部長さんと、もう一人の人見知りだっていう先輩がどうかと言うくらい。
「じゃあ……また、部員がフルメンバーの時にでも遊びに来てくれたらいいよ」
私としては、そう返すのがやっと。
「秋保さんにだって、チャンスはある」
だけど須和さんは、事もあろうかそんなことをのたまった。
「な、ないない、ないよ。今日の見たでしょ。あれが私の精一杯だよ」
「時間いっぱいでなければ、引き分けだった」
「結果論だよ。それにあれは――」
今まで剣道をやってきた中でも、一番しっくりと「これだ」って言える一打。それが時間いっぱいで無効になってしまったのなら、やっぱり自分は〝持ってない〟。練習試合にまで勝負弱さを発揮しなくてもいいのに……そういう星の下に生まれたんだから仕方がない。
「もっと鍛えたらいい。あと一歩……かもう少しで、私に届くのに」
「それがどれだけ遠い一歩なのかって話だよ」
「踏み出さなければ、立ち止まったまま。その先なんてない」
「もう、努力したんだよ!」
思わず、声を荒げてしまった。
「中学校三年間……ううん、小学校から数えたら九年分、毎日竹刀を振って来たよ! でも届かなかった!」
嗚咽を我慢した分、感情を抑えるだけの気力が残って無くって、タガが外れたように言葉が溢れる。先輩たちがびっくりして、竜胆ちゃんも慌てた様子で私にかける言葉を探している。
「全中であなたに負けてから、あなたに勝つために毎日努力してきた! それでもダメだった! ここが限界なんだよ! もう、先なんてないんだよ!」
「ある」
静まり返った道場に須和さんの言葉が響く。
「私があなたを強くする」
「……は?」
何を言われたのかさっぱり理解できなくって、私はただ彼女を見つめ返す。須和さんはやっぱり無表情だったけど、僅かに汗に濡れたその表情は、絵になりそうなほど美しかった。
「あなたが私に勝てるくらいに、私があなたを強くする」
「何……言ってるの?」
須和さんは念を押すように口にしたけど、やっぱり私の頭じゃ理解が追いつかなかった。一方で須和さんは、くるりと安孫子先輩の方を向いて、小さく頭を下げる。
「剣道部に入ります」
「え、ほんとに?」
「マネージャーで。選手になるのは、約束通り、誰かが私を倒してくれたなら」
「あ、そう」
ぬか喜びしてしたであろう先輩は、喜んでいいんだかよく分からずに、言われるがまま頷き返す。それで許可を取ったと判断したのか、須和さんはもう一度私へと向き直る。
「私がマネージャーで入る。だから秋保さんは選手に復帰して」
「んな勝手な」
「私が必ず、あなたを強くする」
とんでもないことを言っているって自覚はあるんだろうか。だけどどうしてか、彼女が口にすると真実味を帯びて聞こえてしまう。勢いというよりは、そう思わせるだけの研鑽と結果を、これまでに積み重ねていることの現れなんだろうか。
「……本気で言ってるの?」
私は、念を押すように尋ねる。すると、須和さんは一切の迷いなく、頷き返した。
「秋保さんはもっと、強くなれる」
その彼女の言葉に、抑え込んでいた嗚咽が一気に鼻の奥を駆け抜けていった。でもそれは、試合に負けた悔しさから来たものじゃない。努力して、届かなくて、諦めた。もう伸びしろが無いって、自分でも理解していた。
でも、心の底では期待していた。誰かに言って欲しかった、その言葉。
――強くなれる。
それを他でもない須和さんが言ってくれたことに、私の九年間のすべてが報われたようにすら思えた。
「私……強くなりたい」
「強くする」
「強くなって、須和さんに勝ちたい」
「私がそこまで連れて行く」
そう言って須和さんは、先ほど私がそうしたみたいに、右手を差し出してくる。
「だから、あなたの三年間を私に頂戴」
「いいよ」
泣きじゃくりながら、だけど精一杯の笑顔を浮かべて、私はその手を取った。
これが、須和黒江との本当の意味での再会。
そして、一度は終えた私の選手人生の再スタートとなった。