クロードが口を大きく開けて、目をぱちくりとさせている。
いかにも、そんなことを言われるとは思っていなかった、という表情をしていた。
ライラはそんな態度を取られるのは心外だと、咎めるような視線をクロードに向けた。
「だってね、やっぱり私はどうしてもあなたとは一緒にはいられないって思うのよ。あなたのことをもう信用できないんだもの」
ライラはそう言ってため息をつくと、腕を組んだ。
いざ落ち着いて話そうとすると、妙に緊張してしまう。
ゆっくりと深呼吸をしてみるが、心臓の鼓動がどんどん早くなっている気がする。この音がクロードに聞こえてしまうのではないかと、不安になってしまうほどだ。
すると、ライラの様子がおかしいことに気が付いたのか、クロードが顔をしかめた。
「……どうかしたのか? 退院したばかりなのだろうから、あまり無理をするな」
「あ、ありがとう。でもね、体調はすっかり大丈夫だから、心配しないで」
ライラは訝し気な顔をしてこちらを覗き込んでくるクロードに向かって、大丈夫だと訴えるためにぶんぶんと大きく手を振った。
しかし、ライラらしくないその態度を不審に思ったのか、クロードは眉根を寄せる。
「あ、あなたに伝えたいことがまだあってね。それを口にしようとすると、ちょっと緊張してしまって……。なかなか言葉が出てこないだけなのよ」
「まだ何かあるのか? てっきり君はもう私には関心がないのかと思っていたがな」
訳が分からないと、クロードは不思議そうな顔をして言った。
「関心がないとか、そういうことじゃなくてね。……えっと」
30分も全速力で馬を走らせてここまで追いかけてきたのに、言葉が出てこない。
クロードから早くして欲しいという空気が醸し出されていることがわかる。
供回りの者たちを待たせているのだから当然だろう。ライラはようやく意を決して口を開いた。
「あのね、あなたはあの子の父親だし、私はあの子の母親なのよねって。それを改めて言っておきたくて、見送りに来たのよ」
クロードのことは、本当に心から愛していた。
だからこそ、それまでに築き上げてきた生活の全てを捨てる覚悟で一緒になった。
そうしてもいいと思うくらいには惚れ込んでいた。
それでも、その決断を下すにはずいぶんと長い時間をかけた。
たくさん悩んで、いろいろなことを考えた。
ライラとクロードでは、生まれも育ちもまったく違うのだから当たり前だ。
それでも、ライラがクロードと共に歩む道を選んだのは、信用できる人物だと思ったからだ。
この人となら幸せになれると信じていた。
ライラは家族というものに強い憧れを抱いていた。自分が早くに両親を亡くしたから、あたたかい家庭というものが欲しくてたまらなかった。
しかし、ライラはもうクロードのことが信用ができない。家庭を築こうとは思えなくなってしまった。
クロードが自分にしていた仕打ちについて、その行動に至る考えは理解できても、やはりどうにも受け入れられない。
心から愛して信頼していたからこそ、彼の判断が許せない。
「あなたとはもう一緒にいることはできない。でもね、あの子を弔う気持ちだけは一緒に持っていたいと思うのよ。……これからもずっとね」
一緒にいることができなくても、せめて弔いの気持ちだけは共通の認識として持っていたい。
親であった事実は絶対に変わらない。それだけは揺るぎのない真実なのだから。
──彼は何を当たり前のことを今さら言っているのだと思ってるかもしれないわね。だけど、きっと私に一番足りていなかったのは、これだと思うのよね。
「私は自分の悲しみや後悔ばかりが先立って、あなたを思いやれなった。お互いに大きな喪失感に襲われたはずなのに、あなたが受けた心の傷まで気遣えていなかったわ」
ライラがそう言うと、クロードの顔が悲痛に歪んだ。
彼はすぐに両手で顔を覆ってしまった。少し肩が震えている。彼の指の隙間から、頬を伝う光るものが見えた。
きっと泣いているのだろう。ライラはクロードが涙を流すところを初めて見た。
我が子が亡くなったときでさえ泣かずにいたクロードが涙を流している。ライラはその光景に衝撃を受けた。
──この人はこの人なりに、ずっと悲しみに耐えていたのよね。きっと泣いてしまったら、私のように感情が溢れ出てしまって落ち着いていられなくなると思ったのかもしれないわ。私ばっかり感情にまかせて好き勝手にしていたから、彼は自分だけでも冷静でいなくてはならないと、気負いすぎてしまったのかもしれないわね。
「……そうだな。あの子を想う気持ちだけは……」
クロードがそれだけ言って、ライラに背中を向けてしまった。彼の声がわずかに震えている。
クロードはそれ以上は言葉に詰まってしまったのか、何も言わなかった。
「……うん。私もあの子のことをずっと想っているわ。だからね、あなたにはどうかいつまでも元気で過ごしていてほしいと思ったの」