街を出て30分ほど馬を走らせたところにクロードはいた。
彼はここへ来たときのように、部隊を率いているわけではないらしい。数人の供回りだけを連れて王都に向かっている。
クロードの姿が見えた瞬間、ライラは大声を出して彼を呼び止めた。
自分の名を呼ぶ声が聞こえて振りかえったクロードは、ライラの姿を見て驚愕していた。
「さすがに挨拶くらいはしてくれてもいいじゃない」
「それは君にだけは言われたくない
「……うう、お世話になった方々にご挨拶もせずに王都を去ったことは反省しているわよ。でも、あなただって私に挨拶せずに王都へ戻ろうとしているじゃない」
「君と一緒にするな。私はきちんとあの街で世話になった方々には挨拶をしてから出発している。そもそも、君は私に声をかけられたかったのか?」
「──っな、何よその言い方は……!」
ライラが話しかけると、クロードは冷たく応対してきた。
その態度に腹が立って声を荒げそうになったライラは、はっとしてすぐに気持ちを落ち着けようとする。
しかし、そうして苛立たしく思う気持ちを抑えようとしているうちに、王都を出た日のことを思い出してしまった。
挨拶をするなんて、あの時は思いつきもしなかった。ただ早く、あそこから離れたかっただけだったのだ。
「……だ、だって……。あなたが私のことをちっとも見てくれなかったから……」
ライラの目から涙があふれ出てきた。
クロードから離婚に関する書類を差し出されたとき、それまでに自分から離婚したいと申し出てはいても、どこかでまだ愛されているのではと思っていた。
本当に関係が終わってしまったのだと打ちのめされたあの瞬間に、クロードに対する気持ちが一気に枯れはてた。
「私はあなたのことが好きで、本当に本当に愛していたから結婚したの! それなのに、ちっとも相手にしてくれないんだもの」
いちど涙が零れ落ちてしまうと、今まで心の中にしまいこんでいた感情までどんどんあふれ出てくる。
「全部が嫌になっちゃったの! 自分がみっともなくて情けなくて恥ずかしくて……。さっさとあそこからいなくなりたかったんだから、挨拶するなんて思いつきもしなかったの! 仕方ないでしょ⁉」
ライラは泣き叫びながらクロードを指差した。
「あなたが悪いのよ! 私は悪くないもん。……そ、そりゃ少しは私だって悪かったかもしれないけど、隠し事をしていたあなたが全部悪いんだからあ!」
ぼろぼろ涙を流しながら叫ぶライラを、クロードは呆気にとられた顔をして見つめていた。
彼は突然のライラの奇行にどう対処すればよいのかわからないらしい。おろおろと狼狽えながら周囲の人間に助けを求める。しかし、誰もがそっと顔をそらすので、彼は天を仰いでため息をついた。
困り果てたクロードは、ライラにゆっくりと手を伸ばしてきた。泣き続けるライラを、なんとかして慰めようとしたのかもしれない。
クロードの手がライラの肩に触れそうになる。ライラはその手をおもいきり叩きつけた。
「──触らないで!」
ライラの涙がぴたりと止まった。
とつぜん泣き止んだライラに、クロードは目を見開いて固まってしまった。しかし、彼はすぐに正気を取り戻すと、ライラを宥めるように穏やかに話し出した。
「君が急に泣き出したから、落ち着かせようとしただけだ。変な意味はない。もう未練がましく愛しているだとか、そんなことを言うつもりはないぞ」
「当たり前よ! 私が泣いたあの日に手を差し伸べてくれていたら違っていたかもしれないけれど……。あの日にあなたに対する愛情はなくなったんだから!」
ライラは目元を服の袖でぐしぐしと強く擦って涙を拭いた。
それから、深呼吸をして気持ちを落ち着けると、ゆっくりと口を開いた。
「今日はただ、あなたに伝え忘れていたことがあったから追いかけてきただけなの」
神妙な面持ちで話し出したライラを、クロードが不思議そうな顔をして見つめてくる。ライラはしっかりと彼と視線を合わせてから微笑んだ。
「今までありがとう。どうかいつまでも元気でいてください」