「今日の午前中にライラ殿が退院すると知ったあの方は、逃げるように旅支度をなさっておられました。なので、見送りをなさるのであれば急いだほうがよろしいかと思います」
あの方のところまでお送りしますよ、とエリクは少し離れたところにいる馬を指差した。
「……え、ちょっと馬まで用意しているの?」
エリクが急かすような態度で話をしているので、クロードは今日これから街を発つのかと思っていた。しかし、馬まで用意しているとなると、すでに出発しているのかもしれない。
クロードが急ぐ理由はいくらでもあるだろう。きっと王都でやり残したことなんて、数えきれないくらいあるというのは想像がつく。
「……えっとね、でも、そんなことを急に言われてもどうしたらいいか……。今日は退院したら、組合に行ってマスターにいろいろ報告をするって約束しているし……。だからね」
ライラが戸惑いながらぼそぼそと言い訳めいたことを話していると、いきなり背中を勢いよく誰かに叩かれた。
「っ痛! な、何よ!?」
ライラが驚いて背後を振り返ると、イルシアが照れ臭そうな顔をしてこちらを見ていた。
「いいから行って来いって!」
ほんのりと頬を赤く染めて、イルシアがぶっきらぼうに言い放った。
「……えっとさ、俺はあんまり政治的なことってのはわからねえけどさ。とにかくみんな命がけなんだろ? だったら今の内にもう一度しっかりと話をしておいた方がいいと思うぜ。……あ、間違っても殴るなよ!」
そう言ってそっぽを向いてしまったイルシアの隣で、ファルが力強く頷いている。
「何があるかわかりませんからね。せっかくお話ができる機会があるんですから、喧嘩せずにすっきりさせてきた方がいいですよ。……あ、でも私は本音では殴ってもいいって思っていますけどね」
イルシアとファルの二人を眺めながら、ライラはさきほどアヤの病室で見たカレンダーを思い出した。
──ああやって目に見えるわけじゃないけれど、こうして私のことを励ましてくれる人がいるのよね。
「……私って、本当にいつも周りのことが何にも見えていないのね」
ライラがそう声に出してぼやくと、イルシアとファルが不思議そうに首を傾げた。
──いまなら侯爵家にいた人たちとも、ちゃんと本音で話せるのかしらね。もしまた会う機会があったら、きちんとお礼を言わなくちゃいけないわね。
「……二人ともありがとう。そうね、ちょっと見送りに行ってくるわ。マスターのことは待たせておいて!」
ライラはイルシアとファルの二人にそう告げて、エリクと共に彼が用意していた馬に飛び乗った。