ライラは何も言えなくなっているイルシアに背を向けた。
そして、視線の先にいるマスターに向かってこれ見よがしにコインを突き出す。
「おやおや。あっけなかったですねえ」
マスターは顎に手をあてて苦笑している。
ライラはマスターの横を颯爽と通り抜けて受付嬢の元に向かう。受付嬢にコインを手渡すと、マスターを振り返って呆れながら言った。
「……よく言うわよ。わかっていてやらせたくせに……」
「そんなことはないですよ。もう少しイルシア君は善戦してくれるものと期待していました」
「嘘をつかないでちょうだい。つけあがっている若造の鼻っ柱をへし折らせたかったとしか思えないわ」
「まあ、否定はしませんが……」
マスターはそこまで言うと真剣な顔をしてライラを見つめてきた。
「………………何よ?」
じっと見つめたまま何も言わないマスターに、ライラは気味が悪くなって声をかけた。
すると、ようやくマスターが口を開く。
「あなたは以前お会いした時と比べて随分と弱っているようにお見受けしました。追い詰めないと本来の力が発揮できないのではないかと心配していたのですよ。杞憂でしたが……」
「これがあなたの心配の仕方なのね。だとしたら他にやりようがあったと思うわよ」
ライラは腕を組んでマスターを睨みつけるが、澄ました顔で受け流された。
「さあイルシア君。もうライラさんの試験は終わりましたよ。そろそろ落ち着いて下さい」
マスターはライラの視線を無視してイルシアに声をかける。
イルシアはいまだに全身に炎をまとわせてライラを睨みつけていた。
「…………………まだだ。まだ、まだ俺はやれる……」
イルシアは全身の炎を揺らしながらゆっくりと槍を構えて戦う姿勢を見せる。
「いい加減にしてください。あなたじゃライラさんの相手にならないのです。これでいかに自分が未熟か理解できたでしょう?」
「──っ俺はまだ全力でやれてない! そいつだってまだ余裕で戦えるだろうが⁉」
イルシアが大声で叫ぶ。
ライラはイルシアを止めようとしているマスターの肩に手をおいた。
「あれは駄目。もう言葉でおさまらないわ」
ライラは溜息まじりに言って弓を手に取る。
イルシアに向かって弓を構えたライラにマスターが淡々と尋ねてきた。
「そんなにまずい状況ですか?」
「イルシア君の怒りの感情が呼び出した精霊に過剰に影響を与えているの。彼と精霊の感情が共鳴している状態と言えばわかるかしら?」
「それはイルシア君が激しく怒っているせいで精霊が同様の状態になってしまって手がつけられないということですか?」
「そういうことね。互いの波長があって怒りの感情がどんどん増幅してしまってどうしようもなくなってきているの」
今のイルシアの状態は精霊術を習いたての者がよくやる失態だ。
呼びだした精霊は術者の感情に影響される。
術者がきちんと自制できなければ、精霊は術者の感情に影響され過ぎて力を暴走させてしまうことがある。
「いちど力を暴発させてしまったほうがいいかもしれないわ。さて、責任者としてどう対処するのかしら?」
ライラはさすがに困惑しているだろうと意地悪く笑いながらマスターに問いかける。
しかし、マスターに焦った様子はまったくない。彼は素知らぬふりをしながらあっさりと言った。
「まさか私を見捨てたりしないでしょう?」
「正直あなたはどうなってもいいかもね。イルシア君があのままなのはかわいそうだからどうにかしますけど」
「……おや、ずいぶんと嫌われてしまいましたね。私はあなたのことが好きなのですけどね」
マスターの言葉を聞いて、ライラはおもいきり顔を歪めた。
この状況で何を言っているのかと呆れてしまう。