「イルシア君には少し事情がありましてね。この街から離れられないので、今まで誰にも弟子入りできなかったのです」
こんな田舎街までわざわざ指導に来てくださる方もいないでしょう、とマスターが肩をすくめた。
「それで都合よくここへやってきた私に、イルシア君の面倒をみろってことなの? だからって試験中に戦わせることないじゃない」
「私の八つ当たり込みなので。忘れられていたって、結構ショックでしたしねえ」
マスターがそれまでの真面目な顔から打って変わって、嫌味ったらしく微笑む。
「あなたがこの街にいるとわかって取り戻そうとしている方がいらっしゃったのです。諦めて頂くのにそれなりに苦労したのですよ」
取り戻ろうとしていたということは、相手は元夫だ。ライラは居場所がばれているとわかり肩を落とす。
「なによそれ。追い払ってやったのだから感謝しろとでも言いたいのかしら?」
「あなたはここに弟子を育てるために来たと言ったのです。お引き取り願うには、もっともらしい理由でしょう」
「……私の知らない間に勝手に決めただけでしょうに、まったく」
「おや、ではここを出ていきますか。この街に留まったのですから、国外に出るなという条件だけは守るおつもりなのでは?」
元夫に提示された書類の中に、国外に出てはいけないという記載があった。
守ってやる義理はないと思ったが、これを無視した場合は再入国が厳しくなるだろうと思い踏みとどまった。
国を離れることだけはどうしても嫌だった。マスターはそのことまで承知しているらしい。
「…………へえ、そこまで知っているの。なんだか気味が悪いわね」
マスターのいちいち腹が立つ物言いに、ライラは深呼吸して気持ちを落ち着かせる。
「どうもお気遣いいただきありがとうございます。念のためお礼は言っておくわ」
「どういたしまして。それで、引き受けてくださいますか?」
この街に来てからの三日間、すでにライラはイルシアと関わりを持ってしまった。
ここでイルシアを弟子にすることを断るのは、彼を見捨てるような気がしてしまう。
ライラがこの街に来ていたことに気がついても、マスターがこちらに対して何も行動を起こさずに成り行きを見守っていたのは、これが狙いだったのだろうか。
「あなた最低ね」
「ええ、よく言われます」
ライラはにこにこと笑っているマスターから視線を逸らす。
「どこに行っても最初は邪険にされるというのは覚悟していたけれど……。これは想定していた以上だわ」
ライラは盛大にため息をついて覚悟を決めた。
「……後輩の指導なら喜んで引き受けますわ。だけど、あの歳まで独学とは想像もつかないわね」
「だからこそですよ。おもいっきり戦って確かめてみてください」
「ほんっとうに最低ね。指導を任せたいなら素直にそう頼めばよかったじゃない!」
「あなたがここに来たことによって、私は各方面からあらぬ疑いをかけられたのです」
マスターがやれやれと頭を振った。
「誤解を解くのに苦労しましたよ。あなたほどの方が勝手に動きまわると、迷惑をかけられる者がいるってことは覚えておいてくださいね」
「それは私のせいなの? だからって試験を利用するのは職権乱用すぎるわ。あなたの名前はまだ思いだせないけれど、大っ嫌いになったから教えてくれなくていいから!」
ライラはマスターにそう吐き捨ててからイルシアへと身体を向けた。