「ぎゃあ! ごめんなさい」
ルーディが大きな声を上げた。
と、同時に厨房にいたジークがルーディに向かってタオルを投げて寄こしてきた。
彼女はそのタオルを見ることなく手だけを伸ばして受け取ると、慌ててライラの服の裾を拭き始める。
先ほどの昼営業の時も思っていたが、息の合った夫婦だなと二人の動きを見て感心してしまう。
だが、ライラは感心している場合ではないと、自分の服を拭くルーディの手にそっと触れてやんわりと制した。
「大変大変! 火傷はしてない? うわあ、こんな高そうな服を汚しちゃった。どうしよう……」
「火傷はしてないわ。それにこの服は処分しようと思っていたから、汚れてしまってもいいの」
「ええええ? こんなに上等そうな服なのに、もったいない……」
ルーディがあまりにも情けない顔をしてライラを見てくる。ライラはなんとか彼女を安心させなければと、唇を尖らせて拗ねた仕草をしてみせた。
「あのね、この服ってじつはすごく動きにくいし、ずっと背筋を伸ばしていなければいけないから疲れるの。だから気にしないでね」
ライラの様子を、ルーディは申し訳なさそうに見ている。
なので、ライラが大丈夫なのだと念押しするように笑うと、信じる気になったのかぱっと服の裾から手を離した。
ルーディは頬を膨らませて少し怒ったような表情をしながら腕を組む。
「そうね。そもそもライラが冒険者登録試験に受かる、だなんて驚かすからいけないんだもん。私は悪くない!」
「あらあら。驚かせたつもりはなかったのだけど……。そんなに意外だった?」
「そりゃ驚くわよ。こっちはアナタが自殺でもするつもりでこの街に来たのかと思っていたのに」
ルーディはあっけらかんと、とんでもないことを言ってのけた。
今度はライラがルーディに驚かされる番だった。彼女の言った言葉があまりに想定外で、らしくもなく大きな声を上げてしまう。
「はい⁉ 私が自殺って、どうしてそうなるの!」
「兄さんが言っていたのよ」
「トゥールさんが? どうしてそんなことを……」
「王都から身なりの良い女が青白い顔をしながら、遠くに行きたい、と言って馬車に乗り込んできたんだって。こりゃ街の傍にある谷に身投げでもするつもりでここへ来たのじゃないかって」
ルーディにそう言われて、ライラは愕然とした。
馬車に乗っていたときから、トゥールが妙に話しかけてくるとは思っていた。だが、そんなことを心配されていたのだとは思わなかった。
「……トゥールさんってとても親切だと思ったのよね。そうか、そんなに私は情けなく見えたわけか」
「情けないというよりは、死相が漂っているように見えるわね。口を開けば溜息ばかりだし。そんな調子じゃ、どんどん幸せがあなたから逃げていくわよ」
「……あはは、おっしゃる通り。でも、死ぬつもりなんてこれっぽっちもないのだけどねえ……」
思い返せば、馬車で乗り合わせた乗客も妙にライラを構おうとしてくる者がいた。
その乗客が自らしたことかもしれない。だが、もしかしたらトゥールがライラを一人にしては駄目だと、気を利かせてそうさせたのかもしれないと今になって思う。
「遠くに行きたかったのは、誰も私を知らない土地に行きたかっただけよ」
ライラは真面目な表情をつくると真っすぐに前を向いた。
「誰も私のことを知らない街で出直したいの。だから、死ぬ気なんてさらさらない。死んでなんてやるもんですか」
「へえ、そうなの? なら良かったわ。まあ、色々と訳ありなのだろうけど、聞かないことにする」
ルーディは穏やかに笑い、肩をすくめてからゆっくりと椅子に座りなおした。
「あら、いいの? 罪を犯して逃げてきた犯罪者かもしれないわよ」
ライラがからかうように言うと、ルーディは大きく口を開けて笑った。彼女はライラの背中をばしばしと強く叩く。
「あはははは! 犯罪者がそんな目立つ格好で逃げ回るわけないわ。女が誰も知らない土地に行きたい時ってのは、だいたい恋愛絡みって相場が決まっているものでしょ」
「……ははははは。ま、まあね。そんなところ」
「もしかしてその服は男からのプレゼント? 物に罪はないとはいえ、思い出があるなら手離したくもなるかー。あはははははは!」
ライラがルーディの大らかさに苦笑いしていると、ふと厨房の中にいるジークと視線があった。彼は相変わらず無表情でこちらを見つめていた。何を考えているかいまいち掴みにくいが、雰囲気からルーディに似た優しさがにじみ出ている。
「それにしたってアンタが冒険者かあ。まあ、頑張ってよ。うちは家賃さえきちんと払ってくれればいつまででもいていいからさ!」
そう言ってげらげらと笑いながら、ルーディは部屋を使う上での注意事項をいろいろと説明してくれた。