いつの頃からだったのか、ライラはもう覚えてはいない。
気が付いたときには、何を口にしても味を感じなくなってしまっていた。
せっかく身内の食堂を勧めてくれたトゥールには悪いが、味がしないとどうしても食が進まない。
目の前に並ぶいろどり豊かな料理が、ライラにはどんどんと色褪せて見えていく。
ライラは頭を振って気持ちを切り替えた。覚悟を決めるとスープ皿の取っ手を掴み上げて、一気に中身を飲み干そうとする。
喉を伝っていく生温かい液体の感触が気持ち悪い。
ライラは吐きそうになるのをなんとか耐えた。やっとのことでスープ皿を空にするが、これ以上は無理だと音を上げた。
「──っごちそうさま! 本当にとってもおいしい料理なのだけれど、もうお腹がいっぱいだわ」
味を感じなくなってから、ライラは食事というものに一切の興味を失った。
食に関心がなくなると、不思議と腹が減るという感覚を忘れてしまうものらしい。ライラはめっきり小食になってしまった。
それでも、結婚していたときは時間になれば使用人が食事を用意してくれた。
それを無碍にするのは心が痛んだので、たとえ少量であっても食べ物を口にしないという日はなかった。
しかし、今は一人だ。
そうなると当然ながら、旅をしている間のライラの食事を世話する者などいなかった。
だが、ある日を境に変化が起こる。
御者であるトゥールに呼び止められて指摘されたのだ。
トゥールに言われて、ライラは馬車に乗ってから食べ物を一切口にしていないことに気づかされた。
その日が王都を出てどれくらいの日数が経っていたのかはわからない。
トゥールは何も食べなければ死ぬぞと言って、ライラに食事を与えてくるようになった。
自分以外の人間に食べ物を用意されると、ライラはその好意を断れなかった。馬車旅の間はずっとトゥールに食事の世話をされていた。
今になって思えば、なんて迷惑な客だろうと恥ずかしくなってくる。
「……そうかい。んじゃ残りは頂こうかね」
ライラの残した料理を見て、トゥールは悲しそうに笑っていた。
その表情を見て、ライラは安易に彼に付いてきてしまったことを後悔する。馬車を降りても、こうして食事の世話をされてしまっているのだからタチが悪い面倒な客だ。
知らない街で顔見知りに声をかけられたことで安堵していた。馬車に乗っていたときに優しくされたからと、また彼に頼ろうとしてしまったのだと反省した。
ライラは目を閉じてその場で俯いた。
これからは一人で生きていかなくてはいけないのだ。むやみやたらに人に頼って迷惑をかけては駄目だと心の中で言い聞かせる。
ライラはひとしきり心の中で反省すると、ゆっくりと目を開いて顔を上げた。
すると、目の前のトゥールはとっくに食事を終えていて、いつの間にか店内も静かになっている。
壁にかけられている時計を見上げると、そろそろ昼食の時間も終わるという頃合いだった。
「ごちそうさん。んじゃ、俺は仕事に戻るから。後はよろしくな」
トゥールは手を軽く上げてルーディに明るく声をかけながら、店の外へ行こうとする。
「あいよー。お仕事がんばってね」
トゥールの言葉に、客の少なくなったフロアでテーブルに残った空の皿を集めていたルーディが淡々と答えた。
「……え、トゥールさん行っちゃうのですか?」
「おう。あとはルーディに任せるからじゃんじゃん頼ってくれ。俺もまた顔は出すからさ」
「ええ? 任せるって何よ。ちょっと待って!」
ライラは慌てて立ち上がり、トゥールを引き留めようと声を上げて手を伸ばすが、彼は駆け足で店を出て行ってしまった。
昼時の終わりかけの店内には、まばらではあるが客が滞在している。いきなり立ちあがって大声を上げたライラに、その客たちの視線が突き刺さった。
ライラは何とも言えない居心地の悪さを覚えて、ゆっくりと椅子に座り直してしまう。