思い返せば侯爵家の屋敷にいた頃も、ライラがため息をつくことで使用人を怯えさせてしまうことが多々あった。
ライラにはまったく悪気のないことだったが、そのようなことばかり繰り返していれば嫌にもなるだろう。今さらながら自身の行動に呆れて反省するような気持ちが芽生えてきた。
ライラがファルの誤解を解こうともせずにそんなことを考えていると、イルシアが不機嫌そうに顔を歪めた。彼は仲間のファルを怯えさせたライラに対して、激しい怒りを覚えたようだ。
イルシアはぎろりとライラを睨みつけると、力強く声を上げた。
「そうだよ。受験者の世話をするってのは組合からの依頼だよ!」
「あらまあ。今はそんなに親切なことをしてくださるのね。これも数年前のシステム変更の影響なのかしら?」
「ああ、そうだ。実技試験の練習相手が必要だったり、面接について質問があったりすれば俺らが相談に乗るぞってことだ」
「まあ、本当に親切なのね。どういう風の吹き回しなのかしら」
以前にライラが冒険者登録試験を受けた時には、世話をしてくれる先輩冒険者など組合は用意してはくれなかった。
自ら先輩冒険者に指南を願い出て試験を受ける者もいたが、大抵は一人で好き勝手にやる者がほとんどだった。
冒険者というのは、間口が広く実力さえあれば犯罪者だろうがどこの誰でもなれる職業だったはずだ。
今は少し事情が違うのかもしれない。早急に今の組合事情を確認せねばと、ライラは考えていた。
「別に世話なんか必要ないってことならいいんだ。アンタは勝手にやってくれて構わないぜ」
ライラが黙って考えこんでいると、イルシアは苦虫を噛みつぶしたような顔をしながらファルの肩に手を置いてその場を去ろうとする。
「あら、ねえちょっと待ってくれないかしら」
ライラに背中を向けて歩きだしたイルシアとファルの二人に、これ以上刺激をしないように優しく声をかけた。
「せっかくだし、少し相談に乗って欲しいことがあるのだけれど。お時間よろしいかしら?」
いまだに怯えたままのファルに向かってライラは穏やかに微笑んだ。
ファルは声を出さず、怯えた様子のまま何度も首を上下に振って頷く。
イルシアは変わらず不愉快そうにしていたが、構わずにライラは話し出した。
「まあ、よかったわ。私ね、ついさっきこの街についたばかりなのよ」
ライラは、両手を合わせてわざとらしく大げさに喜んで見せた。
ライラとしては、敵意はないのだとファルを落ち着かせるためにしたつもりだったが、大げさな仕草が余計に怖がらせてしまったらしい。
ファルは、ますます身体を小さくしてイルシアの背に隠れてしまった。
そんな態度のファルを見て、イルシアはうろたえつつ再びライラをぎろりと睨みつけてくる。
「あらら、えーっとね……。私はこの街のことがわからないから、誰かに教えてもらいたいなって思っていただけなのだけどね」
ライラがいくら優しく語りかけても、ファルはイルシアの後ろから出てこない。
「あのね、装備品が欲しいから冒険者御用達のおすすめのお店とかをね、ちょっとだけ教えてもらいたいだけなのだけれど、ね?」
どんなにおどけてみせてもファルは怯えたままだ。
「…………はあ」
どうしたものかと、そこでライラがつい無意識にもう一度ため息をついてしまった時だった。
冒険者組合に居合わせた他の冒険者からライラに向かって怒声が飛んでくる。
「その二人は試験について受験者の相談に乗るだけだ。奥さまの使いっぱしりじゃねえんだぞ」
「そうだ、そうだ! イルシアとファルはアンタの使用人じゃねえんだ」
「買い物くらい自分でしやがれ!」
憤慨した態度で声をかけられたライラは愕然とした。
まさか自分がこの若い男女二人の冒険者を、使用人のように扱おうとしていると見られていたとは考えていなかった。
「そんなつもりはなかったのだけれど……。はあ、仕方ないわね。自分で探すことにするわ」
周囲にいる冒険者たちからの冷たい視線をひしひしと感じる。
ライラは床に置いていたトランクケースを手に取った。
「怖がらせてごめんなさいね。……声をかけてくれて嬉しかったわ。ありがとう」
ライラは最期にイルシアとファルに向かってそう声をかけると、そのまま一人で冒険者組合を後にした。