孤毒の刺客
「嘘だろ、大災獣みんなやられちまったのかよ!」
ラストから報告を受け、ガメオベラは驚愕の声を上げる。
地団駄を踏むガメオベラを宥めながら、ラストは柔らかく微笑んだ。
「よいではありませんか。彼らのお陰で、あの厄介なシンにご退場頂くことができました。ヤタガラが現れたのは想定外でしたが……既に対処済みです」
黒い星の光が二つ、昼間の空に点滅する。
ガメオベラの足元に目を向けて、ラストは淡々と言い放った。
「それに彼らがカムイたちの目を引いてくれたお陰で、首尾よくドローマを制圧できましたから」
「ははっ、違えねえ!」
豪快に笑うガメオベラの足元では、ズタズタに痛めつけられたシナトが血反吐を吐いて跪いている。
尚も反抗的な目を剥くシナトの頬を撫でて、ラストは慈母のような笑みを浮かべた。
「補給断絶の原因がガメオベラにあるとも知らず、疑心暗鬼に陥って……。人間は本当に愚かで愛おしいですね」
「貴様っ……」
「ああ、そんなに物憂げな表情をなさらないで下さい。どうせこの世界は、私たちの手で滅びるのですから」
ラストは掌に着いた血をハンカチーフで拭き取り、ゆっくりと立ち上がる。
曇り始めた空に向かって、彼女はハンカチーフを掲げた。
「計画は既に始まっています。静かに、根深く……」
風に吹かれたハンカチーフがラストの手を離れ、血の香りを振り撒いて飛んでいく。
シンの訃報は、遥か北方のシヴァルにまで届いていた。
「そんな、シンが……?」
ブリザードから受け取った号外新聞を持つ手を震わせて、ユキは呆然と立ち尽くす。
信じるまいとして何度も新聞を読み返すが、内容は一字一句変わらなかった。
「彼となら、友達になれるかもしれないと思ってたのに」
ブリザードが哀しげに一声鳴き、ユキに寄り添う。
よく手入れされた毛並みに身を埋めながら、ユキは懺悔するように言った。
「僕のせいだ。僕がもっと大災獣との戦いに貢献できていれば、こんなことにはならなかったのに」
レンゴウは言わずもがな、ミクラウドやドトランティスも大災獣撃破に大きな功績を上げている。
三つの国の共通項は、守護者と人々が一丸となって行動していることだ。
シヴァルにはその連帯感がない。
ユキはブリザードから体を離すと、意を決して氷の城を飛び出した。
衛兵に分厚い鉄の扉を開けさせ、国民の暮らす地下空洞に突入する。
表通りから裏路地まで駆け回り、ユキは国民たちに呼びかけた。
「重大な話があるんだ! みんな、中央広場に集まってくれ!!」
「あれって守護者のユキ様? 何で地下に」
「さあな。ま、一応行ってみるか」
「俺はパス。仕事あるし」
国民たちは不安半分、興味半分で中央広場に集合する。
しかし雪の結晶を模したオブジェが象徴的な広場は、半分ほどしか埋まらなかった。
込み上げる悔しさを堪えながらも、ユキは集まった者たちを見回して語り始めた。
「みんな聞いてくれ。地上を襲っていた四体の大災獣は、カムイたちの力で全滅した。……だが、勇敢な戦士が一人、犠牲になってしまった」
ユキの悲壮な語り口に、人々は暗い顔をする。
しかしそこに当事者意識はない。
せいぜい顔も名も知らない勇敢な戦士とやらに、『お気の毒に』と軽薄な同情を向けるだけだ。
ユキは気持ちを奮い立たせ、人々に訴えかけた。
「もっと国を挙げて災獣対策に力を尽くしていれば、余計な血を流さずに済んだ! だから、君たちも協力してくれ!」
「……それは、地上に出ろってことですか」
厚着の男が訝しげに聞き返す。
ユキの首肯に、彼は反論をぶつけた。
「ふざけないで下さいよ! 俺たち常人にとって地上は寒すぎる。だから温度を感じない特異体質の人間に守護者を任せてる。常識でしょ!?」
「その常識が通用しない時が来ているんだ!」
「そりゃ守護者であるあんたの責任でしょ。あんたの落ち度を、俺たち善良な市民におっ被せないで下さいよ」
議論は白熱し、中央広場に緊迫した空気が満ちる。
長い沈黙の末、別の国民が口を開いた。
「彼の言う通りですよ。大体、僕たちに何ができるんですか?」
「そうよ! 普通に生きてるだけの私たちを、危険に巻き込まないでちょうだい!」
「お前それでも守護者かー!!」
ユキと男の議論を呼び水にして、国民たちは口々にユキを責め立てる。
中には石や空き瓶を投げる者もいた。
黙って耐えるユキの聴覚が、この言葉だけをいやに鋭敏に聴き取った。
「地上に帰れ!!」
「……っ!」
ユキは国民たちに背を向け、逃げるように城へと引き返す。
出迎えたブリザードの眼前で、彼は城の氷柱を殴りつけた。
「くそっ!!」
二度、三度と殴り続け、氷柱に亀裂が走る。
血の滲んだ拳を握りしめて、ユキは怒りを爆発させた。
「どうして分かってくれないんだ!! あんなに無責任なことばかり……地底で暴れる災獣だっているのに!」
地上で何が起こっても、地下の者たちは関心を示さない。
あらゆる非常事態を無関係だと決めつけ、普段通りの生活が続くと思い込んでいるのだ。
全責任を守護者に丸投げして。
「何ができるかなんて……そんなの僕にも分からない。でも! 行動しなきゃ何もできないじゃないか!! 誰かを守ることも……」
「何かを壊すことも?」
不気味なまでに享楽的な声が、ユキの背筋を震わせる。
振り向くと、そこには紫色の人魂が揺らめいていた。
「ボクは『フィニス』。君の友達になりに来たんだ」
「友達?」
「そうさ。君には感謝してるんだよ。君とディザスが封印を解いてくれなかったら、ボクは今も冷たい雪の下敷きだったからね」
「まさか、あの時の……!」
シンと初めて出会った時の出来事を思い出し、ユキは愕然とする。
ユキの周りをくるくると飛び回りながら、フィニスは楽しげに言った。
「そう! あの時のお礼がしたいんだ。だから友達になってくれる?」
「あ、ああ」
「ありがとう! じゃあ早速……体を貰うね」
言うが早いか、フィニスはユキの中に入り込む。
強烈な痛みに苦しむユキに、フィニスは笑って語りかけた。
「そんなに抵抗しないでよ。これはお礼なんだから。ボクが君になり代わって、君の壊したいものを全部壊すっていうね!」
「何、だと?」
「国民たちは無責任で他の守護者は自分勝手。そしてカムイは友達を奪った挙げ句死に追いやった! 彼らが憎い、壊したくて堪らない! そうでしょ?」
「ぼ、僕は……」
「そう、君は無力だ! だからボクがやるのさ。何もできない君に代わって、ね」
主人を甘言から守らんと、ブリザードが叫ぶ。
ブリザードの忠誠心を鼻で笑いつつ、フィニスは抵抗するユキに囁いた。
「さあ力を抜いて。僕に全部委ねて……」
ユキの記憶の中に、民衆たちの心無い言葉が蘇る。
その瞬間、ユキの全身を紫炎が包んだ。
「うわぁあああっ!!」
燃え盛る炎はユキの心の内を暴き出し、彼を怒りと憎悪の化身に変えていく。
薄れゆく意識の中、ユキはブリザードに手を伸ばした。
「僕は、『ボク』は……!」
その手が届くのを待たず、ユキは死んだように事切れる。
そして再び開かれた彼の目は、邪悪な紫色に染まっていた。
「この感覚、久しぶりだなぁ! さーて、これからどんどん悪戯するぞ〜!」
優秀な肉体を手に入れ、ユキ––フィニスは無邪気な笑い声を響かせる。
そして彼はブリザードを従わせ、ラストとガメオベラの待つドローマに向かうのだった。
––
小鳥が導く
煌々と焚き火が燃えている。
セイとミカは黙り込んだまま、じっと焚き火の火を見つめていた。
「セイ」
ミカが沈黙を破る。
食いしばっていた口元を無理やり綻ばせて、彼女は明るい言葉を吐き出した。
「わたし、大丈夫だから!」
「歌姫さん」
セイはミカの言葉を遮り、彼女の肩を抱く。
震えるミカに寄り添いながら、彼は諭すように言った。
「その大丈夫は、大丈夫じゃないんだよ」
「セイ……」
「辛い時は辛いって気持ち、ちゃんと表に出さないと。一人で抱え込むのは、結構しんどいぞ」
「……セイっ」
ミカの瞳から、大粒の涙が溢れる。
セイは彼女が眠るまで、その小さな背中に寄り添っていた。
「ん……」
テントの中に射し込む陽光で、ミカは目を覚ます。
もぞもぞと外に出てくると、セイが優しく笑って言った。
「おはよう、歌姫さん」
「……わたし、寝ちゃってた?」
「そりゃもうぐっすり」
「ごめん。セイだって大変なのに」
「気にしなさんなって。それよりほら、朝飯」
セイは乾パンを差し出すが、ミカは申し訳無さそうに首を横に振る。
セイは嫌な顔一つせず言った。
「……まあ、そう簡単に食欲なんか湧かないよな。俺の時もそうだった」
「セイも、大切な人を亡くしたの?」
セイは黙って頷く。
ミカは俯きながら、これまでのセイの姿を想った。
カムイとして勇敢に戦う強さと、旅の中で幾度となく発揮された優しさ。
一体どれだけの精神力があれば、セイのようになれるのか。
何がセイを強くしたのか。
そう考えた時、ミカはセイが喪った人の正体に思い至った。
「もしかして、その人は」
「ああ。俺のお師匠だ」
「……やっぱりそうなんだ」
正直な所、ミカに驚きはなかった。
セイは師匠・ハルの逸話や英雄譚を話したがる割に近況については言及を避けていたし、そこに何か事情が隠されていることは薄々気がついていた。
死別したならば、全て納得がいく。
そして今敢えてハルの死を明かした理由を察して、ミカは身を乗り出した。
「教えて。セイはどうやって、ハルさんの死を乗り越えたの?」
「俺のはあまり参考にならんよ。歌姫さんにやって欲しくないこと、全部やっちまったから」
「それでも聞きたい」
「……分かったよ」
ミカが立ち直る助けになるならばと、セイは意を決して心の
瘡蓋に閉じ込められていた膿が、声にならない呻き声になって漏れ出した。
「俺の時は、一人で全部背負い込んだ。捨て鉢になって、自分を責めながら生きてきた」
「だから昨日、わたしを慰めてくれたんだ」
無理やり作った笑顔の先には、哀しみしかないと知っていたから。
セイは穏やかに続ける。
「そんな風に過ごしていたある日、俺は自分の悪い噂を聞いた。それ自体はどうでもよかったけど、一つだけ引っかかることがあってな」
噂の中に、ハルの悪口が含まれていたのだ。
その時初めて、セイは自らの行いを省みた。
「そこでやっと気付いたんだ。自分で自分を傷つけることは、大事な人の名誉まで傷つけることになるって。……俺は前を向くことにした。お師匠の誇りを、これ以上穢さないために」
それからセイは旅の紙芝居屋となり、ハルの活躍を方々に伝えて回った。
そしてあの日、追われているミカに出会った。
「てなわけで、俺が今の自分になれたのは本当につい最近なんだ。……歌姫さん。俺、あんたに結構救われてる」
「セイ……」
「歌姫さんは、これからどうしたい?」
セイは笑って尋ねる。
ミカは悩んだ末、意を決して宣言した。
「わたしは、これからもセイと一緒に戦いたい。お兄ちゃんが守ってくれた命を、みんなを守るために使いたい!」
「上等!」
セイは不敵に笑い、ミカに親指を立ててみせる。
気持ちが前向きになり始めた時、ミカの腹が盛大に鳴った。
「食欲が戻ったか、いい調子だぞ!」
「な、何か恥ずかしい……」
「はっはっは! よし、折角だからスイーツでも作ってやろう」
セイは鞄から林檎を取り出し、洗ったサバイバルナイフで八等分に切り分ける。
そして四切れずつに分けて串に刺すと、それを焚き火で炙り始めた。
「串焼き林檎だ、美味いぞ」
「ありがとう。いただきます」
ミカはセイから串焼き林檎を一本受け取り、一口齧ってみる。
加熱したことでより濃厚になった林檎の甘さが、口いっぱいに広がった。
「美味しい……!」
「へへっ、おかわりあるぜ」
自然体の笑顔を浮かべるミカに、セイは追加の串焼き林檎を作る。
林檎の香りが周囲に漂い始めたその時、ミカが空を指差して言った。
「セイ、あれ!」
白昼の空に流星が一つ瞬き、地上へと降ってくる。
輝きと熱は急速に増し、光が視界を埋め尽くして––。
「危ない!」
光に呑まれそうになる刹那、ミカはセイに腕を引かれて我に返る。
直後、光の塊はミカが立っていた位置に墜落した。
「何なんだ、一体……」
セイは恐る恐る、串で光の塊を突く。
すると光が弾け飛び、中から一羽の小鳥が姿を現した。
「かなり弱ってる。手当てしよう」
「わたし包帯持ってくる!」
セイとミカは迅速に応急処置を施し、小鳥の命を取り留める。
目を覚ました小鳥がセイの手中で羽ばたこうとするのを、彼は優しい口調で制した。
「まだ動かない方がいい」
小鳥は人語を理解しているかのように動きを止め、代わりにミカへと目線を向ける。
ミカは小鳥に目の高さを合わせると、焼き林檎の一切れを串から外して差し出した。
「もしかして、これが欲しいの?」
「……!」
小鳥は目を輝かせ、一心不乱に焼き林檎を啄む。
掌に小鳥の温もりを感じながら、セイが一つ提案をした。
「歌姫さん、俺たちでこの子の面倒を見てみないか?」
「えっ?」
「どんな事情があるにせよ、怪我が治るまでは放っておけない。それに命を育めば、歌姫さんの悲しみも和らぐと思うからさ」
ミカはセイと小鳥を交互に見つめて、大きく頷く。
そして林檎を食べ続けている小鳥に、笑顔で挨拶した。
「分かった。よろしくね、『リン』ちゃん」
「もう名前つけたのか。やる気満々だな」
「うん。林檎が好きだからリンちゃん」
「待った! 俺はデスゲジゲジがいいと思うぜ! なっ、デスゲジゲジ?」
セイは掌の中の小鳥に尋ねる。
小鳥は親の仇を見る目でセイを睨むと、不安定な姿勢でミカの元に飛んでいった。
「デスゲジゲジは嫌だって」
「そんなぁ〜! デスゲジゲジいいだろ〜!?」
センスのない名前に固執するセイを尻目に、ミカと小鳥––リンは微笑みを交わし合う。
小さな仲間を加えて、神話が新たな局面を迎えようとしていた。