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第19章 昏倒の雲

空の上の怪事件



「神威一刀・鳴神斬り!!」


 白昼の空に閃光が迸り、次いで雷鳴が轟く。

 鳥型災獣の群れが墜落する様をカムイの掌の上から見下ろして、ミカが言った。


「これでミクラウドに行けるね」


「ああ。空が飛べるというのは便利なものだな」


 ミカの隣に立つシンは頷き、ディザスが封じられている右腕を見やる。

 ディザスに飛行能力がなかった故に、鳥災獣の掃討はほぼカムイに任せきりとなってしまっていた。


「だろ? さあ、先を急ごうぜ!」


 カムイは二人を乗せ、雲海の中へと飛び込む。

 そして一際大きな雲の近くに向かい、それを覆う結界に手を触れた。

 カムイの力と反応し、結界が一時的に消失する。

 カムイはミカとシンを先に降ろすと、自らも変身を解いてミクラウドの国土に足を踏み入れた。


「凄い、雲の上を歩いてる!」


「……不思議な感覚だ」


 ミクラウドの大地を形成する雲は見た目に反して固く、視覚と触覚の乖離に三人は少し戸惑う。

 独特の感覚に体を慣らしながら、セイが独り言を呟いた。


「そういや、お師匠はここに住んでたって言ってたな。どっかにお師匠の知り合いとかいないかな」


「おい。前々から気になっていたが、そのお師匠というのは誰なんだ?」


 玄武戦の時や昨夜の夕食時。

 セイが所々で『お師匠』の格言を引用していたことを思い出し、シンはそう質問する。

 セイは目を輝かせ、シンの手を取って言った。


「知りたいか! 俺のお師匠のこと!」


「……手短に頼む」


「三日三晩コースでご案内しよう!!」


「話を聞いていなかったのか?」


 ミカによく似た困り顔をするシンに、セイは意気揚々と師匠・ハルの話を始める。

 祈るように妹の方を見ると、彼女は『残念ですが……』と言わんばかりに目を伏せた。


「それでな、お師匠は行く先々で人助けを……」


「おーい!!」


 何処かから威勢のいい声が響き、セイの話を遮る。

 肩に白いフクロウを乗せた和装の大男が、元気よく駆けてきた。


「久しぶりぜよ!」


「リョウマか、久しぶりだな!」


 大男––リョウマとセイは握手を交わし、久方ぶりの再会を喜び合う。

 リョウマの肩に乗っていたフクロウが、しゃがれた声色で名乗った。


「儂とは初めましてじゃのう。儂はミクラウドの守護者オボロじゃ。お主らのことは噂で聞いておるぞ」


「そうなのか。じゃあ、シンのことも?」


「左様」


 オボロはセイの質問に頷き、シンをじっと見つめる。

 暫く沈黙した後、彼は神妙な様子で口を開いた。


「シンよ。お主はディザスの力を使い、世界に大きな混乱を与えた」


「……ああ」


「じゃが今はカムイと共に大災獣と戦い、ファイオーシャンでは災獣ポイズラーを退けたとの情報も入っている。それに何より、当代の巨神が認めた男じゃ。儂は、お主を信じるぞ」


 オボロの判断を、セイとミカは我がことのように喜び合う。

 シンは躊躇いがちに頷くと、羽と掌で握手を交わした。


「オボロ爺と二人で話し合って決めたことぜよ!」


 リョウマが豪快に胸を張る。

 シンたちと肩を組んで、彼は元気よく音頭を取った。


「さあっ、早速みんなで対策会議ぜよ!」


「うむ。では儂の家に案内しよう……む?」


 オボロの家に向かおうとする五人の元に、ミクラウド人の男が切羽詰まった様子で走ってくる。

 彼は息も絶え絶えになりながら、最後の力を振り絞って言った。


「とうとう俺の村も、やられた」


「まさか……。おい、しっかりしろ!」


「頼む、誰か『眠り病』を、追い払って……」


 男はそこで事切れ、力なく倒れ伏してしまう。

 シンが迅速に脈を測って言った。


「問題ない。眠っているだけだ」


「問題ではあるだろ。だってこれ、ほぼ確実にその眠り病とやらの症状だぞ」


 セイの発言に、ミカとリョウマも同調する。

 オボロは診療所の医者たちに連絡を済ませると、深刻な面持ちで語り始めた。


「眠り病……近頃急速に流行し出した病じゃ。罹った者は皆深い眠りに落ち、目を覚まさなくなってしまう」


「ワシがラッポンから持ってきた薬も効かなかったぜよ!」


 リョウマは悔しげに拳を握りしめる。

 一同が手掛かりを探しあぐねる中、シンが呟くように言った。


「ミクラウドに来た時、僅かだが災獣の気配がした。『夢枕災獣バクスイマ』の気配が」


「絶対そいつぜよ!」


「能力的には奴で間違いないが……ポイズラーの時といい、何故災獣墓場の災獣たちが……?」


「へっ! 要はバクスイマを倒して、みんなを助けりゃいいってことだろ!」


 行動指針が定まり、五人は士気を向上させる。

 バクスイマ捜索に赴こうとした時、ミカの体が不意によろめいた。


「歌姫さん?」


「セイ、何だかわたし、凄く眠い……」


「歌姫さん!? ちょっと、歌姫さん!!」


 セイはミカの肩を揺さぶって呼びかけるが、奮闘虚しく彼女は深い眠りに落ちてしまう。

 戦慄するセイたちを嘲笑うように、落ち着いた女性の声が響いた。


「いかがですか? バクスイマの煙の味は」


 蜘蛛の意匠をあしらったドレスに身を包んだ女性が、災獣バクスイマの背に乗って姿を現す。

 美しい風貌の裏に底知れない威圧感を漂わせて、彼女は優雅に頭を下げた。


「この前はガメオベラがお世話になりましたね。私は『ラスト』と申します。以後お見知り置きを」


「……奴を知ってるのか」


「よき同胞ですから」


「お前たちの目的は何だ? ソウルニエの災獣を使って悪事を働き、一体何をしようとしている」


 ラストは口元に手を添えて、シンの言葉にくすくすと笑う。

 彼女は柔和な笑顔のまま、目の奥の冷たい光をシンに向けて言った。


「貴方も同じことをしていたではないですか。心を入れ替えて英雄にでもなったつもりでしょうが、過去の罪は容易には濯げませんよ」


「好き勝手抜かしてんじゃねえ!」


 シンへの糾弾に、セイが声を荒げる。

 彼は力強く左胸を叩き、ラストを指差して叫んだ。


「今みんなを苦しめてるのはあんただろうが! 早いとこぶっ倒させて貰うぜ!」


「我が妹を傷つけた報い、受けるがいい……!」


 二人は肩を並べて臨戦態勢に入り、戦う力を解放しようとする。

 バクスイマの丸みを帯びた体を撫でながら、ラストがセイたちに忠告した。


「よいのですか? バクスイマは夢と現の中継点。倒してしまえば、夢に囚われた人たちは文字通りの永眠をすることになりますよ」


「……どうすればみんなを助けられる」


「簡単なこと。バクスイマの夢世界に飛び込み、鍵を見つけるのです」


 妙にあっさりと解決方法を教えるラストに、セイたちは疑いの目を向ける。

 彼らの反応が分かっていたかのように、ラストは挑発的な口調で言った。


「罠を警戒するのはご尤も。しかし残念です。この程度で諦めてしまうような方たちが私の獲物だったとは……『お師匠』とやらも浮かばれませんね」


「やってやろうじゃねえかよこの野郎!!」


 ハルのことを話題に出された途端、セイが目の色を変える。

 ラストに詰め寄ろうとする彼を、シンが制した。


「待て、夢世界には俺が飛び込もう」


「でもシン!」


「俺にやらせてくれ」


 そう訴えかけるシンの眼には、強い決意が滲んでいる。

 彼の想いを受け止めて、セイは自分の怒りを押し殺した。


「……分かった。頼んだぞ」


「話はついたようですね」


 ラストは穏やかに微笑み、シンに小瓶を投げ渡す。

 シンが瓶の蓋を開けると、封じられていたバクスイマの煙が彼の体を包み込んだ。


「では、よい夢を」


 蠱惑的な香りを残して、ラストは姿を消す。

 多くの人々の命運を懸け、兄妹の戦いが始まった。

––

欠落と原点



「はあっ、はあっ……!」


 山奥の深い森の中を、ミカは息を切らして駆けていく。

 木の幹に身を隠して追跡者をやり過ごすと、彼女は座り込んで息を吐いた。


「助けて……!」


 たった一つの持ち物である神話の書を胸に抱えて、ミカは縋るように呟く。

 何者かに肩を叩かれて、彼女は戸惑いながら顔を上げた。


「ミカ! 俺だ。さあ帰るぞ」


「ぃ……!」


 心配そうにこちらを覗き込むシンを見て、ミカは恐怖に顔を歪める。

 逃げようとする妹の肩を掴んで、シンは怪訝そうに呼びかけた。


「俺が分からないのか? お前の兄のシンだ」


「分からない……何も……」


 頭を抱えて苦しむミカに、嘘を吐いている素振りはない。

 ただならぬ様子の妹に、シンは祈るような気持ちで尋ねた。


「……では、セイのことは? お前の仲間の」


「知らない! わたしには仲間なんていない!!」


 ミカは髪を振り乱して叫ぶ。

 泣き喚く妹を宥めながら、シンは一つの確信を得た。


「間違いない。ミカは今、セイに出会う前の夢を見ている」


 今のミカに闇雲に真実を明かしても、かえって混乱を招くことにしかならない。

 シンは大きく息をすると、妹に目線の高さを合わせて尋ねた。


「よければ話してくれないか。どうしてそんなに怯えているのか」


 目の前の男の語る言葉は信用できないが、少なくとも敵意はない。

 ミカはそう判断して、自分の抱える事情をぽつぽつと語り始めた。


「……わたし、記憶がない。気付いたら知らない場所にいて、怖い人たちに追われて、ずっと逃げてきた」


「そうか……辛い思いをさせたな」


 二人が兄妹であることは分かったが、『何故離れ離れになってしまったのか』は未だ判明していない。

 ミカの不安そうな顔を見つめながら、シンは改めて気を引き締めた。


「俺たちの記憶探しはまだ終わっていない……何だっ!?」


 その瞬間、凄まじい地響きが二人の足元を揺るがす。

 山の頂上に現れた三つ首の災獣が、獰猛なる咆哮を轟かせた。


「走るぞ!!」


 シンはミカの手を引き、急いで山を降りる。

 戦いの影響が出ない地点まで逃げ延びると、眩い光が空に迸った。


「カムイ……!」


 巨神カムイが現れ、三つ首の災獣に戦いを挑む。

 シンがカムイの姿を指差して言った。


「見ろ、あれがお前の仲間だ。巨神カムイだ」


「巨神、カムイ……?」


 カムイは鋭い徒手空拳で災獣を追い詰め、的確にダメージを与えていく。

 そして雷の大太刀を召喚し、鳴神斬りの体勢に入った。

 空が俄かにかき曇り、落雷のエネルギーが大太刀に集中する。

 溜めた力が爆発する刹那、カムイの動きが不意に止まった。


「えっ……?」


 何かを確かめるように背後を振り向き、大太刀に蓄えられた力が霧散する。

 致命的な隙を晒したカムイに、三つ首災獣は容赦なく牙を突き立てた。


「カムイ!!」


 カムイの巨体が地に伏せ、悍ましい叫びが山に木霊する。

 断末魔さえ沈黙した時、ミカはとうとう膝から崩れ落ちてしまった。


「わたし、死ぬんだ……!」


 土を握りしめた手の甲に、大粒の涙が溢れる。

 シンは堪らずディザスを召喚しようとするが、右腕に宿っている筈の力は応えてくれない。

 シンは長い葛藤の末、ミカに兄としてかけるべき言葉をかけた。


「しっかりしろ!!」


「……っ!」


「お前は歌姫だろう! 守るべき者より先に希望を捨ててどうする!」


「歌、姫……」


 ミカは懸命に頭痛を堪えて、蘇りつつある記憶を受け止める。

 脳裏に浮かんだセイの微笑みに手を伸ばして、彼女は大地を踏み締め立ち上がった。


「セイ! わたしの歌を聴いて!!」


 カムイの立っていた方角に向けて、ミカは神話の書に記された歌を激唱する。

 歌に宿る力が光の雨となって、血みどろの戦場に降り注いだ。


「セイ……!!」


 カムイの復活だけを願い、ミカは歌い続ける。

 そして全ての力を使い果たした時、巨神は歌姫の祈りに応えた。


「クァムァアアイ!!」


 カムイは再び立ち上がり、三つ首災獣に苛烈な攻撃を仕掛け圧倒する。

 無我夢中で雷の力を振るうカムイの前に、災獣は為す術なく沈黙した。

 脅威が去ったことを確認し、カムイは天高く飛翔する。

 青空を駆け抜ける彼の姿を見上げながら、ミカは噛み締めるように呟いた。


「カムイの戦う姿が、わたしに希望をくれた。あの背中を追いかけたから、セイやみんなに出会えた。今のわたしを作ってくれた始まりの記憶……取り戻せてよかった!」


「ああ……」


「ありがとう、お兄ちゃん!」


 心からの笑顔を見せるミカの頭を、シンは優しく撫でる。

 改めて夢世界から脱出しようとする兄妹の前に、突如ラストが立ちはだかった。


「歌姫の心を壊す作戦は失敗に終わりましたか」


「我が妹の心、貴様などには壊せん。大人しく負けを認めることだな」


「おや、勝負はまだ終わっていませんよ。鍵を手に入れるまでは、貴方たちは夢の虜です」


 ラストは夢世界から帰還するための鍵を取り出し、目の前で揺らす。

 すかさず奪おうとするシンとミカの手を躱しながら、ラストは残忍に告げた。


「私はこれから現実世界に帰り、二度と戻っては来ません。永遠に夢の世界を彷徨いなさい」

「何……?」


「それでは、ごきげんよう」


 ラストは嗜虐的な笑みを残し、夢世界から完全に消滅する。

 しかし次の瞬間、ラストは夢世界へと引き戻された。


「そのような無粋を、俺が許すと思うか?」


「……仕組みを説明していただいても?」


 ラストは焦る様子もなく尋ねる。

 シンは右手を包む包帯を風に靡かせ、彼女に作戦を明かした。


「俺とミカは呼吸を合わせ、貴様に光の力を送り込んだのだ。光の力はディザスが持つ闇の力と相反する性質を持ち、磁石のような働きをする。そしてその磁力は、夢と現の境目さえ超える!」


「……ディザスの力は封じた筈なのですが、詰めが甘かったようですね。いいでしょう、私の負けです」


 ラストはあっさりと負けを認め、シンたちに向かって鍵を放り投げる。

 しかし次の瞬間、鍵は災獣バクスイマへと姿を変えた。


「貴様……!」


「確かに知謀では負けましたが、純粋な戦闘力はまた別の話。バクスイマ、彼らを屠りなさい!」


 バクスイマは現実世界では人を眠らせる力しか持たないが、夢世界では凶暴な捕食者となる。

 捕食者の側面を剥き出しにして襲い来るバクスイマに、シンはディザスを解き放って対抗した。


「超動!!」


 ディザスとバクスイマの巨体が激突し、衝撃が大地を揺るがす。

 戦いの趨勢を見ると、ラストはバクスイマに自らの力を分け与えた。


「歌姫ミカ、あなたの歌ではカムイしか強化できない。ですが私は違う。あまねく命全てに力を齎し、傀儡にすることができる!」


「わたしがカムイを支えるのは、傀儡にしたいからじゃない!」


「負け惜しみを。バクスイマ!」


「ディザス!」


 互いの主人の呼び声で、戦いは激化の一途を辿る。

 ミカは脳味噌を回転させて、この膠着状態を打破する方法を考えた。


「ここは夢の世界。だったら……!」


 ミカは天に向かって両手を広げ、一心に念を送る。

 そしてその祈りは、誰も予想していなかったものを呼び出した。


「あれは、鳥……?」


 日輪を背負った巨大な鳥が、羽撃きと共に舞い降りる。

 鳥はその身を弓に変えると、ミカの掌に収まった。


「……なるほど。ここは撤退した方がよさそうですね」


 ラストは何かを察して頷き、夢世界から撤退する。

 ミカは弓に導かれるがまま、荒れ狂うバクスイマの眉間に狙いを定めた。


「光よ! 災いの獣を撃ち抜け!」


 全力を込めて放った矢が極太の破壊光線となり、バクスイマを焼き尽くす。

 バクスイマの亡骸から鍵が浮上すると、弓は鳥の姿に戻り再び大空へと舞い上がっていった。


「終わったな。さあ、帰ろう」


「うん。セイたちの所に!」


 兄妹は鍵を手に取り、現実世界への帰還を願う。

 そして眩い光が視界を埋め尽くし、二人の意識は段々と遠くなっていった––。


「……あ」


「歌姫さんっ!」


 セイの声で、ミカの意識は覚醒する。

 ミカが何かを言う前に、セイは彼女の手を包み込むように握りしめた。


「ここは……?」


「ミクラウドの診療所だよ。ごめんな。俺が迂闊だったばかりに」


「大丈夫。それより、眠り病は終わった?」


「おう! みんな元気になったぜよ!」


「お主らの奮闘のお陰じゃ。改めて、礼を言わせてくれ」


 危険を冒して戦ったシンとミカに、オボロは深々と頭を下げる。

 穏やかな空気に包まれた診療所の中で、シンが不意に口を開いた。


「セイ。お前はこれからもミカの希望であり続けろ」


「え? どうしたいきなり」


「約束してくれ。頼む」


 シンは真剣そのものの表情で小指を突き出す。

 その意味もよく知らぬまま、セイはシンと指切りを交わした。


「右手に宿るディザスに懸けて誓おう。どんな脅威が現れても、最後まで戦い抜くと」


「大災獣もあの妙な連中も、みんな纏めて倒してやろうぜ!」


「わたしたちはこの世界を守り抜く。必ず!」


 三人は改めて想いを言葉にして、決意を固める。

 危機を乗り越えたミクラウドの上空を、夢に現れた白い鳥が悠々と飛んでいた。

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