誇りと実利
塔大の地下では、巨大兵器G9の白く無機質な体がゆっくりと明滅を繰り返している。
手元のノートと眼前のG9を交互に見ながら、ミリアは独り言を呟いた。
「全て異常なし。実戦投入できる日もそう遠くないな。後は操縦者だが……」
ミリアは横目でアラシを見やる。
アラシは苛立ち気味に後頭部を掻いて言った。
「何度も言ってるだろ、オレはこいつの操縦者にはならねえ。オレには……」
「クーロンがある、か。君も強情だな。だが現実問題、クーロンはディザスに秒殺される程度の力しか持たない。そのディザスでさえ、カムイと協力しなければ大災獣には勝てない。今クーロンを修復したとて、余分な鉄屑が増えるだけだ」
「そりゃ……そうだけどよ」
アラシは俯いて言い淀む。
次の言葉を待つミリアに、彼は切々と語った。
「理屈じゃ分かってる。でもクーロンのことは、シナトとの約束でもあるんだ。それを裏切るわけにはいかねえ」
「……あくまで精神論、か」
「文句あんのかよ、理屈屋」
燃えるようなアラシの視線を、ミリアは冷静に受け流す。
そして人差し指を立て、アラシに一つの提案をした。
「ではこうしよう。ドローマに赴き、シナト君と交渉するんだ」
「まだ目的を果たしてないのに、顔見せられねえよ」
「嫌なら結構。但し、後から文句は言わないでくれよ?」
ミリアは鼻歌混じりに歩き出し、わざと不快な高笑いをしてアラシを挑発する。
大きく揺れるミリアの手を掴んで、アラシはぶっきらぼうに吐き捨てた。
「行けばいいんだろ、行けば!」
二人は準備を整えると、小型船に乗り込んでドローマへと向かう。
蒼い海を裂いて突き進む船の上で、ミリアが言った。
「君がどうしても変装したいと言うので我が塔大の制服を着せたが……中々よく似合ってるじゃないか。折角だし偽名も考えよう。ボブでどうだ?」
特徴的なドレッドヘアを解いて伊達眼鏡を装着したアラシは、傍目には真面目な男子学生にしか見えない。
目にかかる前髪を弄りながら、アラシは生返事をした。
「ボブはダセえよ」
やがて船はドローマに到着し、アラシとミリアはシナトを探し始める。
救援を求める手紙に書いてあった住所を頼りに、二人はシナトの住む仮設住宅を見つけ出した。
「ミリアと助手のボブだ。シナト君はいるか?」
ミリアは扉を軽く叩き、中にいるであろうシナトを呼ぶ。
すぐに扉が開いて、シナトが姿を現した。
激務のせいか酷くやつれ、目には大きな隈ができている。
シナトは目を血走らせ、憎悪を煮詰めたような声を絞り出した。
「よく来られましたね。ドローマを見殺しにしておいて」
「どういうことだ?」
「とぼけるな!!」
シナトは激情のままに壁を殴りつける。
仕事のことしか考えていないような部屋にうず高く積まれた書類の山が、弾みで崩れ落ちた。
「仮にも同盟国でありながら救援要請を黙殺して、一体どういうつもりなんだ!!」
「私は黙殺などしていない。ちゃんと物資を届けたはずだ」
「なら……どうしてみんなは飢えている……!」
遣り場のない憤りを込めて、シナトはゆっくりと拳を振り上げる。
殺意の拳がミリアを打つ刹那、アラシが二人の間に飛び出した。
「やめろッ!」
伊達眼鏡のフレームが割れ、アラシの素顔が曝け出される。
愕然とするシナトに、ミリアが滔滔と弁明した。
「支援物資の件については、大至急調査を開始しよう。……では、失礼する」
ミリアが部屋を出たことで、室内はアラシとシナトの二人だけとなる。
重苦しい沈黙の中、シナトの深呼吸の音がいやに大きく聞こえた。
「……言いたいことは沢山ある。でもまずは、無事でよかった」
「シナトもな。……シナト、実は俺」
「ドローマに戻ってきてくれ」
アラシの言葉を遮って、シナトが言う。
煮え切らない態度のアラシに、彼は必死の形相で詰め寄った。
「頼む! みんなアラシを必要としてるんだ。お願いだ、もう一度ドローマの守護者になってくれ!」
「……できねえ」
アラシはゆっくりと首を横に振る。
彼はシナトの目を見て、旅の中で学んだことを語った。
「今、世界は大災獣の脅威に脅かされてる。ドローマだけ守るってわけにはいかない」
「俺たちを見捨てるのか!?」
「そうじゃねえ! ドローマも他の国も、全部守るんだ! だからシナト、お前も」
「ふざけるな!!」
シナトは激情に任せて、アラシの伸ばした手を打ち据える。
呆然とするアラシを殴り飛ばして、彼は泣き喚くように叫んだ。
「お前はもう俺の知ってるアラシじゃない。……俺を救ってくれた男は、たった今死んだ!!」
「シナト……」
「出ていけ! ここから出ていけ!!」
シナトは散らばった書類を掻き集め、ぐしゃぐしゃに丸めて投げつける。
軽い紙に込められたあまりに重い拒絶の意思に追い立てられ、アラシは家を後にした。
「お疲れ様、アラシ君」
外に出ると、家の前で待っていたミリアがアライブを出迎える。
彼女の落ち着いた声色が、心なしか少し気遣わしげに聞こえた。
「声、外まで聞こえてきたよ。シナト君のことは心配だが、今の私たちではどうにもできないだろうな」
「……シナト」
「教養を身につけて視野が広がれば、価値観の相違は生じる。何も悔やむことはないさ」
ミリアはそう言って慰めるが、アラシの心には響かない。
肩に置かれたミリアの手をやんわりと払い除け、アラシは重い足を引き摺った。
「シナト、みんな、すまねえ……」
アラシとミリアはドローマを去り、レンゴウへと帰還する。
揺れるドローマに悪意の影が迫りつつあることに、二人はまだ気付いていなかった。
––
野営の夜
「そうそう。で、そこをこうして……」
ある山の奥深くにて、ミカがシンにテントの立て方を指導する。
シンが無事に自分のテントを立てると、彼女は拍手をして喜んだ。
「やった、お兄ちゃん凄い!」
「お前の教え方がよかったんだ」
「殆どセイの受け売りだけどね。他にも火の起こし方や罠の張り方、釣りのコツに食べられる野草の見分け方……セイに色々教わった分、今度はわたしがお兄ちゃんに教えてあげる」
「へへっ、妹が姉ちゃんぶってら」
二人のやり取りを背後に聞きながら、セイは鍋の中の干し肉と山菜のスープをゆっくりとかき混ぜる。
お玉で掬ったスープを小皿に注いで味見をすると、彼はその出来栄えに満足して大きく頷いた。
「二人とも、晩飯できたぞー!」
セイたちは鍋を囲んで座り、思い思いに自分の器へとスープをよそっていく。
シンの器に追加の干し肉を入れて、セイが言った。
「歌姫さんのリクエストで作ったんだ。さ、腹いっぱい食ってくれ」
「ああ。……いただきます」
シンは両掌を合わせて、黄金色のスープに口をつける。
山菜の旨みが溶け出した素朴な味わいのスープに干し肉の強い塩気が調和し、香辛料の刺激が彼の食欲を湧き立てた。
シンは喉を鳴らしてスープを飲み、無我夢中で具材を搔き込む。
あっという間に空になってしまった器を呆然と眺めていると、セイとミカの笑う声が聞こえてきた。
「よかった。お兄ちゃんも気に入ったみたい」
「お師匠が言っていた。一流のシェフの元には、一流の食材が集うってな。シンもそう思うだろ?」
「……そうだな」
シンは微笑んで頷く。
このスープを飲むまで、彼には食事を楽しむという発想そのものがなかった。
上層部から支給される灰色の携帯食糧を水で流し込み、任務に邁進する。
それだけだった過去の日々を少し悔やみながら、シンはセイに空の器を差し出した。
「……おかわり、というのを貰えるか?」
「おう!」
セイは屈託なく頷き、シンの器に二杯目のスープをよそって返す。
再び温もりを取り戻した器を両手に抱えながら、シンが口を開いた。
「次の目的地はどこだ?」
「ミクラウドだよ。近頃は空の災獣が騒がしいから、警備するんだ」
「ミクラウド……雲上の国か」
「リョウマも大災獣についての調査でそっちにいるんだって。久しぶりに会えるの楽しみだね、セイ」
「ああ!」
セイたちと敵対していた時を思い出し、シンは気まずそうに目を逸らす。
シンの不安を察して、セイは彼を励ました。
「心配するなって。あいつは過去の因縁に拘るような男じゃないさ」
「……だといいが」
「今のお兄ちゃんなら大丈夫。自信を持って」
「ああ。ありがとう、ミカ」
旅の話に花を咲かせている内に、三人の夕餉は終わりを告げる。
食器を片付けてテントに入ろうとするシンを、セイが呼び止めた。
「待てよ。まだ大事な儀式が残っているぜ?」
「大事な儀式?」
「ほら、こっちこっち!」
ミカに手を引かれ、シンは焚き火の前に連れ出される。
促されるままに右腕を伸ばすと、セイが意気揚々と叫んだ。
「っしゃいくぞ! 最初はグー、ジャンケンポンッ!!」
反応が遅れて拳を握ったままのシンに、セイは容赦なくパーを叩きつけようとする。
そんなセイの作戦を阻止せんと、ミカはチョキを繰り出した。
「かーっ、あいこか!」
「……何の真似だ?」
「わたしたち、寝る時は交代で見張りをしてるから。これは順番決めのジャンケン」
ミカはシンにそう説明して、むっとした顔でセイを見る。
無言の圧力に平謝りしつつ、セイは改めて音頭を取った。
「よし、今度は正々堂々といくぞ! セイだけに! 最初はグー!」
「ジャンケンポンッ!!!」
三人は同時に腕を突き出し、一天地六の賭けに身を投じる。
そしてそれは、セイの一人負けに終わった。
「セイ、最初の見張りよろしくね」
「あいよ。じゃ、おやすみ」
テントに入る二人を見送って、セイは周辺の警備を開始する。
そして夜が深くなった頃、彼は見張りの任から解き放たれた。
「シン、出番だぞ」
「……ああ」
短時間の睡眠に慣れているのか、シンは眠気をおくびにも出さずテントを出る。
黒く澄んだ星空を眺めながら、彼は神話の書を取り出した。
かつて上層部からの指令を受けていた白紙のページには、今は何も浮かび上がらない。
シンは小さい筆を構えると、白紙のページを夜空に見立てて墨の星を点々と落とした。
そしてページの下半分に、明日の日程を書き記す。
それでも残った空白に、彼は小さくこう書き足した。
『楽しみだ』