海を蝕む毒
一隻の貨物船が穏やかな海を渡り、ドローマへと向かっている。
双眼鏡で海域の様子を伺う船長の元に、乗組員が駆けてきた。
「異常なしです。明日にはドローマの港に着くでしょう」
「ああ。だが油断するなよ。俺たちの仕事には、国の信用がかかっているんだからな」
「はいっ!」
波はなく、風も静かで、嵐の予兆もない。
こういう順調な航海こそ用心しなければならないのだと、船長は知っていた。
「どうした!?」
その予感を的中させるが如く、突如船内で爆発が起こる。
黒い煙の中から、闇を纏った大男が現れた。
「何者だ!」
「……!」
巨漢は何も答えず、船長の頭蓋を握り潰してその体を海に投げ捨てる。
そして五分と経たない内に、彼は乗組員たちを海の藻屑と変えてしまった––。
「よっ、おはようさん」
一晩してようやく目を開けたミカに、セイは手を振って微笑みかける。
甲斐甲斐しい介抱の跡が残る部屋を見回して、ミカは伏し目がちになって言った。
「セイ……。ごめんね、迷惑かけて」
「気にするなって。無理もないさ、あんな事実を知らされちゃあな」
自分の兄がシンであると判明した時、ミカは彼を求めて泣き叫んだ。
しかし今は、それまで他人だった相手を兄と呼ぶことへの躊躇いと強烈な異物感が心を満たしている。
相反する感情が同居する胸の内を、ミカは辿々しく吐き出した。
「わたしの中に、二人のわたしがいる。記憶を失うまでのわたしと、セイと出会ってからのわたし。……どっちが本当のわたしなんだろう」
「どっちも本当の歌姫さんだよ。焦らなくていいさ」
「セイ……」
「腹減ってるだろ? 朝飯、一緒に食べよう」
「うん、ありがとう」
セイは鞄から乾燥させた刻み野菜と米を取り出し、湯で戻して簡単な粥を作る。
素朴な食事を摂る二人の元に、ミリアが規則的な足音を鳴らして現れた。
「大災獣を倒したばかりで悪いが、二人に頼み事だ」
「何かあったのか?」
「つい先程、シイナ君とハタハタ君にファイオーシャン領海の水質調査を依頼されてね。出動したいのは山々だが私とアラシ君は急用で手が離せない。そこで君たちの出番というわけさ」
暇人扱いされているように感じて、セイは少々釈然としない気分になる。
渋るセイに、ミカは力強く促した。
「行こう、セイ。カムイの役目を果たさないと」
「でもあんたはまだ本調子じゃ」
「大丈夫。何もしないで悩んでるより、今は少しでも動きたい」
ミカの意思を受け止めて、セイはミリアから暇人と見做される覚悟を決める。
そして彼はカムイに変身し、ミカと共にファイオーシャンへと飛び立った。
「行ってしまったねぇ。さて、私も『急用』を済ませるとしようか」
カムイとミカを見送ると、ミリアは足取り軽く塔大へと駆けていく。
彼女の思惑など知る由もなく、二人はファイオーシャンの砂浜に着陸した。
「おーい!」
シイナが大きく手を振り、カムイ––セイとミカの元に駆けてくる。
少し遅れて、ハタハタが息を切らしながらやって来た。
「い、いきなり走らないで下さいまし! ……ごほんっ! お二人とも、ご機嫌よう」
ハタハタは咳払いをして呼吸を整え、ロングスカートの裾を摘んで頭を下げる。
セイも社交界の作法に倣った挨拶をすると、元の気安い態度に戻って言った。
「おう、暫くぶりだな」
「うん! ……あれ、ミカどうしたの? 元気ない?」
「セイさん、貴方まさかミカさんにあんな辱めやこんな辱めを!?」
「してないよ! どっちかと言えばあんたが俺を辱めてるだろ現在進行形で!」
セイは慌ててハタハタのあらぬ疑いを否定する。
シイナが呆れて苦笑した。
「ごめんね、最近そういう小説を読んだみたいで。ハタハタは結構影響されやすいタイプだから」
「そうなんだ……いつか深刻な対人トラブルに発展しそう」
それより、とセイは強引に話題を切り替える。
彼は真面目な態度になって言った。
「海域調査だったよな。詳しい話を聞かせてくれるか?」
シイナとハタハタは頷き、自分たちの知る情報を伝える。
セイは丁寧にメモを取りながら、ぶつぶつとその内容を復唱した。
「海水が突然黒くなって、泥みたいな感触になった……か」
しかし海岸に寄せては返す波は、太陽の光を浴びてきらきらと輝いている。
身を屈めて海面に映る自分と睨み合うセイの耳元で、ミカが囁いた。
「セイ、水質調査なんてできるの?」
「できるさ。俺はお師匠との旅で、961の技を身につけたんだ。961《カムイ》って覚えてくれ」
セイは容器に海水を入れ、厳重に蓋を閉じる。
標本を観察しながら、彼はシイナたちに向き直った。
「見た所異常はないな。泥みたいな海水のサンプルはないか?」
「あるよ、ほら!」
シイナは元気よく、汚泥のような物体が入った瓶を見せる。
朗らかな笑顔と持ち物の乖離に困惑しながらも、セイは二つの瓶を見比べて呟いた。
「とても同じ物とは思えないな。一度レンゴウに持ち帰って調べてみるよ」
「うん、お願い」
シイナは頷き、汚泥の入った瓶をセイに手渡す。
セイがそれに手を触れた瞬間、瓶は粉々に砕け散った。
否、汚泥が内側から瓶を破壊した。
「っ!?」
汚泥は意思を持つかのように砂浜を這い、水中にその身を埋める。
そして汚泥は瞬く間に海を黒く染め、アンコウのような姿の災獣として海面に浮上した。
「みんな離れろ!!」
セイはすかさず勾玉を構え、ミカたちを守らんと前に出る。
災獣はセイがカムイに変身するより早く、口腔から汚泥の弾丸を吐き出した。
「ディザス火炎壁!」
弾丸が四人を喰らう刹那、炎の壁が彼らを取り囲む。
ディザスを従えたシンが、セイたちの前に颯爽と躍り出た。
「お兄ちゃん……」
シンはミカに一瞥もくれず、ディザスを操り災獣を攻め立てる。
災獣が堪らず海中に逃げ出すと、彼もまた臨戦体制を解除した。
ディザスがシンの中に戻ると同時に、セイたちを取り巻いていた炎の壁が消える。
立ち去ろうとするシンの背中に、ミカが叫んだ。
「シン!」
「……やはり、兄とは呼んでくれぬか」
どこか寂しげなシンの言葉に、ミカも胸を痛める。
セイが間に入ってとりなした。
「気を悪くしないでくれ。歌姫さんも、まだ心の整理がついていないんだ。それより、さっきはありがとな」
「降りかかる火の粉を払っただけだ」
「なあ、一緒にあの災獣を倒してくれないか?」
「そんなことは命令されていない。断る」
シンはセイの頼みを一蹴する。
シイナとハタハタも踏み出して、真剣そのものの眼差しで訴えかけた。
「あたしからもお願い!」
「海の平和のためですわ!」
だが、シンは眉一つ動かさない。
ミカの方をちらりと見て、セイが言い放った。
「見損なったぜ。あんた、命令がないと何もできないんだな」
「……なに?」
「それとも、命令を言い訳にして妹から逃げてんのか?」
「貴様……!」
シンは激昂し、セイの襟首に掴みかかる。
セイは冷静に彼を諭した。
「今怒ったのは、誰かに命令されたからじゃないだろ。シンにはシンの感情があるんだ」
「俺にそれを分からせるための挑発か。……余計な世話を焼く奴め」
「もしあんたが心から歌姫さんを拒絶してるなら、俺もここまでは言わんさ。でも見ちゃったからな。あんたの寂しそうな顔を」
地底で記憶が蘇った時のシンとミカを思い出し、セイは優しく微笑む。
あの時の二人は、ただ純粋に兄妹として互いを慈しみ合っていた。
シンも同じ光景を思い出したのか、目を伏せて右腕の包帯に手を添える。
そして彼は顔を上げ、吐き捨てるように告げた。
「手を貸してやる」
シンの決断に、セイたち四人の瞳が輝く。
五人は近くにある海の家を前線基地として、作戦会議を開始した。
––
ブルーオリーブ
「先程の災獣の名は『
長テーブルを囲んで座るセイたちに、シンは敵の情報を伝える。
セイが手を挙げて質問した。
「詳しいんだな。ソウルニエにもポイズラーいたのか?」
「ああ。死んだ災獣の魂が彷徨う場所……災獣墓場でその姿を見たことがある。実験で奴の毒を投与されたこともあったが、あれは死を覚悟したな」
死ぬほどの猛毒を受けた経験を軽く話すシンに、シイナとハタハタは思わず震え上がる。
幾度も死地を乗り越えたセイとミカでさえ、神妙な面持ちで受け止めるしかなかった。
「ヒィイ〜ですわ……!」
「で、でもさ! こうして今生きてるってことは、毒を何とかできたってことだよね。どうやったの?」
ハタハタの疑問に便乗して、セイたちは一斉に身を乗り出す。
シンは簡潔に答えた。
「『ブルーオリーブ』だ」
「ブルーオリーブ?」
初めて聴く名前に、ミカは小首を傾げる。
心当たりがある様子の守護者二人に顔を向けると、彼女たちは得意げに解説を始めた。
「ブルーオリーブはね、ファイオーシャンの特産品なんだよ! 普通のオリーブと違って、海みたいに青い実をつけるの!」
「わたくしたちの国では、感謝を伝える贈り物として親しまれていますわ。ちなみに、食用油としても良質ですのよ」
「……ブルーオリーブがあれば、ポイズラーを倒して海も元通りにできる」
「となれば、やることは一つだな」
セイは不敵に笑い、真っ直ぐに手を伸ばす。
ミカたちと手を重ね合い、彼は力強く呼びかけた。
「みんな、ありったけのブルーオリーブを集めるぞ!!」
「おーっ!!」
五人はセイ、ミカ、シンとシイナ、ハタハタの二チームに分かれ、ブルーオリーブ探しを開始する。
それから数時間後、セイたちのチームは未だ打ち解け切れないまま、賑やかな商店街を歩き回っていた。
「でさぁ、あそこのクレープがマジで美味いの! しかも店長の気前もいいんだぜ! 前にお師匠と行った時なんて苺をサービスしてもらっちゃって」
「無駄口を叩くな」
「すんません……」
会話の取っ掛かりを作ろうとするセイの努力は虚しく打ち砕かれ、再び沈黙の時間が流れる。
ミカがぽつりと呟いた。
「結構集まったね、ブルーオリーブ」
十件以上の青果店を回った甲斐あり、大袋は既に大量のブルーオリーブで膨れ上がっている。
さしものセイも、持ち手を数分おきに変えなければ持っていられないほどだ。
セイは袋からブルーオリーブの実を一つ取り出して、天高く放った。
「そろそろシイナたちと合流しようぜ。二人のと合わせれば、ポイズラーを倒せるだけの数は揃うだろ」
重力に従って落ちてきた果実を掴み取り、ミカは頷く。
シンはソウルニエに帰還する時と同じように闇で自身を包み、目的の場所へと一人で転移してしまった。
「お兄ちゃん……!」
「しゃーない。俺らは地道に歩きますか」
二人は昼下がりの道を並んで歩き、シイナたちと合流する。
野生のものを探していた彼女たちの大袋にも、大量のブルーオリーブが詰まっていた。
「お互い、上手くいったみたいですわね」
「だな。後は災獣をぶっ倒すだけだ」
「そうはいかねえ!!」
五人の中の誰とも違う野蛮な大音声が、オリーブ畑の木々を揺らす。
黒い炎と共に現れた大男が、ブルーオリーブの詰まった袋を指差して言った。
「そいつがあると、俺様の可愛いペットが暴れられねえんだ。壊させてもらうぜ!」
大男はニヤリと笑い、空気を擦り潰すように拳を握る。
その瞬間、ぶちゅっ、という不快な音の多重奏がセイたちの耳で蠢いた。
「え……?」
青く染まった大袋、屍肉のように飛び散るオリーブの果肉。
絶句する五人の眼前で、大袋が独り手に発火した。
火は瞬く間に燃え広がり、穏やかな森は地獄絵図へと姿を変える。
燃え盛る森の中で、男は堂々と名乗りを上げた。
「俺様は『ガメオベラ』。破壊の化身、ガメオベラだ!」
ガメオベラの意思に呼応し、海中に潜伏していたポイズラーが姿を現す。
セイが叫んだ。
「みんな逃げろ、早く逃げるんだ!」
ポイズラーの毒弾を掻い潜りながら、五人は燃え盛る森を駆け抜ける。
ようやく森を脱出した時、シイナは膝から崩れ落ちてしまった。
「森が、みんなの森が……」
普段の静謐な森では、オリーブの薫りに包まれて森林浴ができる。
贈り物の季節には、皆が集まって歌い踊る。
そして森は、海の環境を支えている。
時期ごとに違った顔を見せるこの森を、シイナは心から愛していた。
しかし森は一夜にして炎と毒に侵略され、もう見る影もない。
涙に濡れるシイナの頬をそっと拭って、セイはガメオベラに向き直った。
「超動」
冷たい怒りを滾らせて、セイはカムイに姿を変える。
シンもディザスを召喚し、二対一の戦闘が始まった。
「シイナ……」
ハタハタが呼びかけても、シイナは虚ろな目をしたまま動かない。
震える彼女の肩を、ハタハタは激しく揺さぶった。
「シイナ、しっかりなさい!」
「ハタハタ……」
「忘れましたの!? わたくしたちが初めて出会ったあの日を!」
「初めて、出会った日……」
絶望に苛まれる意識の中、シイナはハタハタと初めて出会った日のことを思い出す。
その日、幼いシイナは先代守護者である父親に連れられ、近くの海を訪れていた。
「じゃあ父さんは仕事があるから、シイナはそこで待っていなさい。夕方には迎えに行くからね」
「うん! ……よーし! 今日はあっちの島まで泳ぐぞーっ!」
シイナは父を見送るなり、水平線の向こうの小島を指差して宣言する。
準備運動を済ませた彼女が助走をつけて飛び込もうとしたその時、海面から少女が浮かんできた。
「ぅわーっ!?」
慌てて急ブレーキをかけたシイナの体がビーチに倒れ、砂埃を巻き上げる。
浮上してきたその少女は、シイナの顔を覗き込んで言った。
「だ、大丈夫?」
「うん、全然平気……ってその足! もしかして人魚!?」
シイナの言葉に驚いて、人魚は足元に目を落とす。
まだ子供である彼女は、人間への変化に失敗したらしい。
赤面する人魚に、シイナは元気よく挨拶した。
「あたしシイナ! あなたのお名前は!?」
「わ、わたくしはハタハタ。ドトランティスの守護者だわよ……あ、いやっ、ですわ」
ハタハタは不慣れな敬語で答えながら、海に逃げようと後退りをする。
そんな彼女の手を掴んで、シイナは瞳を輝かせた。
「えっ! ハタハタちゃん、守護者なの!?」
「ええ。といっても、執事のクリオは全然お仕事をさせてくれませんけど……」
「じゃあ一緒に遊ぼ! パパが言ってたよ、子供は遊ぶのがお仕事だって!」
「……あなたのお父様も、守護者なんですの?」
「うん! 優しくてかっこよくて、みんなパパのことが大好きなんだ!」
シイナは朗らかに笑い、ハタハタの手を引いて走り出す。
父が守ってきた海や街、森を誇らしげに紹介する内に、二人はいつの間にか小高い山の頂上に辿り着いていた。
「まあ……!」
山頂から海岸を一望して、ハタハタは感嘆の溜め息を漏らす。
隣で景色を眺めるシイナが、愛おしそうに言った。
「あたし、ここから見る景色が大好きなんだ。みんながキラキラして見えるから」
人や自然の営みを慈しむシイナの姿が自分よりずっと守護者らしく見えて、ハタハタは思わず目を伏せる。
しかし彼女は強すぎる光から逃げることなく、顔を上げて尋ねた。
「シイナ。守護者にとって、一番大事なことは何ですの?」
「ええっ、あたしまだ守護者じゃないから分かんないよ! ……あっ、そうだ!」
シイナは元気よく手を叩き、懐から植物の種を取り出す。
サファイアのように青く輝く種を見て、ハタハタが呟いた。
「それは、ブルーオリーブの種……」
「ねえ、一緒に植えようよ! これが大きな木になったら、守護者にとって大事なことも分かるかも!」
「……ええ、きっとそうですわね!」
立派な守護者になるという誓いと友情を込めて、二人はブルーオリーブの種を植える。
そして種はすくすくと育ち、現在は––。
「行こう! ハタハタ!」
「ええ!!」
最後の希望を掴むべく、シイナとハタハタは山に向かって走り出す。
すかさず後を追いかけるミカに、シンが言った。
「カムイはいいのか?」
「大丈夫。セイならきっとこうする」
ミカの言葉を証明するように、カムイは振り向きもせずポイズラーを食い止める。
以心伝心の二人を不思議に思いつつ、シンはディザスに攻撃を命じた。
「ディザス!」
ディザスはガメオベラのいる場所に大岩を落とし、彼の動きを封じる。
そしてシンもミカたちの後に続き、シイナたちの植えた木がある山の頂上へと急いだ。
「ここを越えればすぐだよ!」
先頭に立つシイナの視界の先に、濃紺の果実が覗く。
一気に登り切ろうとした彼女を、鈍器で殴られたような衝撃が襲った。
「ガメオベラ……!」
「通さねえと言っただろ。お前らもあのオリーブみたいにしてやる」
ガメオベラは破壊の力を掌に込め、光弾として射出する。
当たれば死は免れない致命の一撃に、シンは躊躇いなく飛び出した。
「ぐ……ッ!」
光弾を受け止め、気力を振り絞って弾き返す。
跳ね返された光弾をその身で受け止めて、ガメオベラは豪快に笑った。
「中々壊し甲斐のある獲物じゃねえか! その粘りに免じて、今回は退いてやる。次はねえからなァ!!」
ガメオベラが撤退したことで、山から敵の気配は消える。
慌てて駆け寄ってきたシイナとハタハタを、シンは強い口調で追い返した。
「俺に構うな、早く行け!」
シンの気魄に押され、二人は山頂の木へと駆けていく。
シイナたちの背中を見送ると、彼は満身創痍で倒れ込んだ。
「シン、しっかりして!」
ミカはシンを木陰に寝かせ、応急手当てを開始する。
慣れた手つきで傷口に包帯を巻きながら、彼女はシンに問いかけた。
「一つだけ聞かせて。さっき二人を守ったのは、誰かの命令?」
シンはぼうっと空を見上げて、先程の行動の理由について考える。
上層部もディザスすらも関係なく、ただ体が勝手に動いていた。
そして勝手に体を動かしたのは、紛れもなく––。
「俺自身の意志だ」
そう断言するシンの笑顔が、過去の記憶の中でミカを励ます兄の笑顔と重なる。
ミカはその時、シンを心の底から兄と認めた。
「……お兄ちゃん!!」
兄妹の絆が蘇ると同時に、シイナとハタハタがブルーオリーブの果実を持って戻ってくる。
ミカは果実を受け取るなり、強肩でそれを大遠投した。
「風よ! 果実をディザスに!」
ミカが巻き起こした突風に乗り、ブルーオリーブの果実は遥か遠くのディザスへと飛んでいく。
シンとミカは呼吸を合わせ、この死闘に終止符を打つ奥義の名を叫んだ。
「ディザス
ディザスの吐く煉獄の炎がブルーオリーブの効力を受け、毒を打ち消す聖なる炎へと生まれ変わる。
そしてポイズラーは聖なる炎に浄化され、跡形もなく消滅した。
「終わったね、ハタハタ」
「ええ。ですが、森は……」
災獣を倒しても、災獣が残した傷は無くならない。
気遣わしげな目を向けるハタハタに、シイナは満面の笑顔を見せた。
「……大丈夫! 何年かかっても、森は絶対に復活させるから!」
「ふふっ、それでこそシイナですわ」
シイナとハタハタは手を繋ぎ、大きく育ったブルーオリーブの木を見上げる。
この木のように立派な大人になれたかどうかは分からない。
しかし守護者として大事なことは掴めたと、二人は胸を張って言えた。
「あたし分かった。守護者として一番大事なことは、最後まで諦めないことなんだって」
「いい答えですわ。ねえシイナ、わたくしの答えも聞いて下さる?」
「勿論っ!」
シイナは頷き、ハタハタの言葉を待つ。
親友の手の温度を噛み締めながら、ハタハタは自らが見出した答えを告げた。
「わたくしの答えは……結んだ絆を手放さないこと、ですわ」
幼い日に植えた木の下で、二人は改めて友情を確かめ合う。
同じ頃、セイたちにも新たな絆が芽生えようとしていた。
「ブルーオリーブの種、さっきの戦いで一つだけ投げ忘れてたみたい。お兄ちゃん、一緒に植えよう」
「……ああ」
焼き尽くされた森の中で奇跡的に健康なまま生き残っていた土壌に、シンとミカはブルーオリーブの種を埋める。
少しずつ歩み寄り始めた兄妹の姿を微笑んで眺めるセイの手を、ミカが不意に引っ張った。
「ほら、セイも!」
「お、おう!」
セイが土を被せると、種は完全に見えなくなる。
かつてシイナとハタハタがしたように、三人は新たに生まれた絆を誓い合った。
「よろしくね、お兄ちゃん」
「……ああ」
「頼りにしてるぜ! シン兄さん」
「俺はお前の兄貴ではない」
「固いこと言うなよシン兄さん!」
「お兄ちゃんが二人、それいい!」
命のやり取りは他愛のない小競り合いに変わり、セイとミカは笑い声を響かせる。
不器用に微笑むシンの足元で、種は芽吹きの時を待っていた。