南の島への船出
「もう行ってしまうんですか?」
孤児院の入り口前で、子供たちを背にしたジュウジが名残惜しそうに尋ねる。
重くなった鞄を持ち直して、セイとミカは頷いた。
「ああ。あんまり長居しても悪いしな」
「今日までありがとう、ジュウジ」
「ええ。お二人ともお気をつけて!」
「お兄さん、お姉さん、さようなら!!」
ジュウジと子供たちに見送られて、セイとミカは孤児院を後にする。
友達の輪の中で控えめに手を振るユウタの姿を、二人はしっかりと視界に捉えていた。
「セイ、次はどこの国に行くの?」
「ファイオーシャンだ。まずは歌姫さんの処刑に反対した守護者の所を回って、情報を掴む」
セイは鞄から観光情報誌を取り出し、名産品やこの時期に開催される催し物の特集記事を眺めて頬を緩ませる。
ふやけた顔をミカに覗かれると、彼は慌てて表情を取り繕った。
「べ、別にバカンスしたいわけじゃないよ?」
「しようよ、バカンス。やりたいこともやるべきことも、全部やっちゃおう」
「いいの!? やった〜っ!」
飛び跳ねて喜ぶセイを微笑ましげに眺めつつ、ミカは新天地に想いを馳せる。
そして二人は港に向かい、ファイオーシャン行きの船に乗り込んだ。
「わたし、船って初めて」
「じゃあ、念のためこれを飲んでおかないとな」
セイは鞄から酔い止め薬の入った小瓶を取り出し、ミカに一粒手渡す。
彼女が錠剤を飲み下すと、出航の汽笛が鳴り響いた。
「甲板に出ようぜ!」
「うん!」
海の眺めを堪能せんと、セイたちは階段を登って甲板に出る。
潮の香りを孕んだ風に長い髪を靡かせながら、ミカは壁にもたれて青空を見上げた。
「セイ、歌っていい?」
「勿論」
セイは静かに目を瞑り、耳の感覚を冴えさせる。
静かな高揚感に身を任せて、ミカは麗らかな歌声を響かせた。
明るくも切ない夏の歌が、セイの心を癒す。
思わず眠ってしまいそうになっていると、ミカの歌声が不意に途絶えた。
「……あれ? 歌姫さん?」
周囲を見回してみるが、彼女の姿はない。
緩やかに進む船の中で、セイは苦々しく唇を噛んだ。
「大きな戦いを終えて油断してたぜ。まさか、こんな所にも刺客がいるなんてな……!」
彼はこめかみを人差し指で押さえ、師匠・ハルの言葉を思い出す。
『相手の立場になって考えてみれば、自ずと最善の手が分かる』。
セイは脳細胞を急速に稼働させて、ミカの所在を推理した。
「歌姫さんが船内にいるのは確かだ。場所が近すぎるからか、勾玉は反応しない。歌姫さんだってバカじゃないから単独行動はしない筈だし、声一つ上げさせなかった手際を見るに相手は相当なやり手だ。……だが、やり手『だからこそ』対策しやすいってこともある」
船での誘拐ならば、まず確実に個室などの暗所を利用する。
その上操舵室に近ければなお好都合な筈だ。
セイはミカの攫われた場所に大まかな見当をつけ、階段を降りて個室のある階層に向かう。
足音を殺して歩いていると、彼はある部屋から微かな物音を聞いた。
「ッ!」
セイは壁に耳をつけ、物音をより詳細に聞き取ろうとする。
それがミカの唸り声であると確信した瞬間、セイは勢いよく扉を蹴破った。
「開けろオラァ!!」
麻縄で口と手足を縛られたミカが、声にならない声でセイを呼ぶ。
仮面をつけた誘拐犯が激昂し、セイに飛びかかった。
「てめえ!」
二人は狭い部屋の中で取っ組み合い、積まれていた荷物が散乱する。
力任せに振るわれたセイの腕が、誘拐犯の仮面を打ち砕いた。
「あ、あんたは……!?」
仮面の下の素顔を見て、セイとミカは目を見開く。
誘拐犯の正体はドローマの守護者・アラシだった。
「守護者様が誘拐犯とは、落ちたもんだな」
「……っ」
「何故こんなことをした? いや、そもそも何故あんたがここにいる? 洗いざらい話してもらうぞ」
セイはアラシが逃げないように彼を監視しつつ、ミカの拘束を解く。
嘘を吐いても仕方ないと、アラシはミカ誘拐の目的を白状した。
「てめえを殺して、カムイの力を奪うためだ」
「……ドローマのことはどうしたの」
「ササラモサラだよ。何もかもな」
全ての始まりは、ディザス戦の日に遡る。
クーロン城を失い、ドローマ全土は混乱に陥っていた。
「アラシ、しっかりしろ! もうすぐ診療所に着くからな!」
重傷を負ったアラシを背負いながら、シナトは力を振り絞って歩いていた。
この森を抜けた先の診療所ならば、きっとアラシを治してくれる。
一縷の望みに賭けて進むシナトの背で、アラシがゆっくりと瞼を開けた。
「シナト……」
「アラシ! よかった。今診療所に」
「下ろしてくれ」
アラシは目覚めたばかりとは思えない程にはっきりと言う。
シナトは考えるよりも先に、彼を背中から下ろしていた。
「シナト。『紅い宝玉』がなくなった」
「紅い宝玉?」
アラシは頷く。
戸惑うシナトに、彼は苦々しく続けた。
「そうだ。オレがドローマの守護者になった時に拾った紅い宝玉。クーロン城を超動勇士クーロンにできたのも、その力のお陰だ。……だが、その紅い宝玉が消えちまった」
それはつまり、軍事力の中核が失われたということだ。
愕然とするシナトに、アラシは続ける。
「意識を失う直前、オレは紅い宝玉が空の向こうに吹っ飛んでくのを見た。幸い方角は覚えてる。だから」
「探しに行くっていうのか!? そんな体じゃ無理だ!」
「無理でもやるんだよ! それしか手はねえんだ!」
武器を失くした武装国家など、餌食以外の何者でもない。
アラシの焦りを理解しつつも、シナトは彼を制止した。
「お前は守護者だろう。この一大事にお前がいなくてどうす……」
説得するシナトの眼前に、アラシがあるものを突きつける。
それはドローマ国の守護者であることを示す、国章が刻まれたバッジだった。
「シナト、守護者にはお前がなれ」
「……アラシ、お前」
「オレには腕っ節しかねえ。でもシナトには知恵がある。だから、頼む」
シナトを見据えるアラシの目が、大粒の涙で滲む。
長い葛藤の末、シナトは彼の頼みを引き受けた。
「必ず帰ってこい」
「……おう!」
突き合わせた拳をそっと離し、アラシはシナトに背を向ける。
そして彼は紅い宝玉を探すため、正体を隠してファイオーシャン行きの船に密航したのだった。
「なるほどな。で、歌姫さんを攫った理由は?」
「それは……っ!?」
アラシが何か言いかけたその時、不意に船が大きく揺れる。
駆けつけた警備員が、船内の人々に向かって叫んだ。
「災獣が現れました! 急いで避難して下さい!!」
セイとミカは頷き合い、人の波を掻き分けて甲板に上がる。
慌てて後を追いかけたアラシの体を、突然触手のようなものが締め上げた。
「アラシっ!」
セイは短刀で触手を突き刺し、アラシを助け出す。
水幕を剥いで浮上した『大蛸災獣オクダゴン』が、船に向けて黒い墨を吐き出した。
「慌てないで下さい! 落ち着いて!」
「ボートの用意をしています! 救命胴衣を身につけてお待ち下さい!」
漆黒に染まる船の中で、慌てる乗客たちに係員が懸命に呼びかける。
殆どの乗船が救命ボートに乗り込んだのを確認して、セイが勾玉を構えた。
「おいアラ公、そこで見学しときな。……超動!!」
セイはカムイに変身し、濃紺の海に飛び込む。
激しい飛沫を上げながら、彼はオグダゴン目掛けて走り出した。
–––
嵐の誓い
カムイは両手に小竜巻を纏い、オグダゴンの触手を斬り裂きながら素早く間合いを詰めていく。
中長距離に長けた触手の持ち味を殺すべく格闘戦を挑むカムイに、ミカは惜しみない歌声を送った。
「……カムイ」
有利に立ち回るカムイの姿を、アラシは苦々しげに眺める。
あれがクーロンだったならとあらぬ妄想が頭を過ぎり、彼は船の壁を殴りつけた。
「……くそッ!!」
アラシの憤りを感じて、ミカは横目で彼を見る。
ミカは歌を止め、アラシに声をかけた。
「どうしたの、アラシ」
「悔しいんだよ! 何もかも、全部!」
「なら、その全部を聞かせて」
「……分かった」
十年前、ドローマは地獄だった。
先代守護者の死と相次ぐ自然災害によって生活基盤は崩壊し、多くの人々が野山での暮らしを余儀なくされた。
危険な野生動物から逃げ回り、時には人間同士で殺し合う程にまで荒廃した世界。
アラシもまた、そんな世界に生きる人間の一人だった。
「しっかしデカいな。一人で食うには多すぎるくらいだ」
罠にかかった猪を眺めながら、アラシが呆れたように呟く。
ひとまず締めようとナイフを取り出そうとした時、彼は人間の殺気を感じて振り返った。
「金と食糧を置いていけ」
左右に取り巻きを従えた男が、ドスの効いた低い声で言う。
アラシは彼の全身をじっくりと観察すると、余裕たっぷりに話しかけた。
「お前、熊に襲われたことがあるな。賊とやり合った跡もある。なのに仲間を引き連れるだけの器量があるとは、大したもんだ」
困惑する男たちをよそに、アラシは満足げに頷く。
そして彼は男たちに向き直ると、額に人差し指を突きつけて言った。
「お前ら、オレの仲間になれ!」
唐突すぎる提案に、取り巻きたちは呆気に取られる。
唯一アラシのペースに乗せられなかったリーダー格の男が、冷徹に現実を突きつけた。
「ふざけんな。自分以外は全て敵だ」
「確かにな。だがオレは、今にそうじゃない時代を創る」
「……どういうことだ」
「オレが、ドローマの新しい守護者になるってことだ!」
あまりにも大それた理想を、アラシは呆れるほど真っ直ぐに語る。
子供の夢物語のような口調でありながら、そこには実現への強い意志が込められていた。
「まずは中心部に行って悪徳商人どもを倒し、奴らが独占している物資を人々に分け与える。そこから徐々に街を復興させていけば……」
「ふざけるな!!」
男は激昂して、アラシの言葉を遮る。
彼はアラシの襟首を掴むと、怒りを爆発させて捲し立てた。
「戯れ事を垂れ流すのも大概にしろ! 今更希望なんか持たせるな! 金も知恵もない俺たちが、今更何かを変えられるわけがない! クソみたいな地獄の中で、奪い奪われ死んでいく……それが俺たちの運命なんだよ!!」
「お前……」
「俺たちはもう終わってんだよ!!」
「だったらまた始めりゃいい!!」
アラシと男の拳が交差して、互いの頬を打ち据える。
爆発のような音に次いで訪れる鈍い痛みを感じながら、アラシは思わず笑みを溢した。
「何が可笑しい」
「……いや。オレたち生きてるなって、思ってさ」
拳に滲む赤い血も、全ては生きていればこそ。
無邪気に笑うアラシを眺めながら、男はようやく当たり前の事実を思い出した。
「お前、名前は?」
「アラシだ!」
「そうか。俺はシナト。……よろしくな」
「おうっ!」
握り拳を解いて、アラシとシナトは握手を交わす。
それから数年後、アラシは仲間と共にドローマの再建を成し遂げた。
そして現在、アラシはミカと共に船上でカムイとオクダゴンの戦いを見守っている。
木製の手すりを握り締めながら、彼は絞り出すように呟いた。
「あいつらはオレを信じてくれた。だからオレは、誰より強くなくちゃいけねえ! 災獣よりもディザスよりも、カムイよりも!!」
それがアラシの胸中であり、ミカを攫った理由。
ミカはゆっくり頷くと、アラシに一歩近づいて言った。
「カムイの力を奪わなくても、カムイより強くなる方法ならあるよ」
「……何だよ、それは」
「アラシが、わたしたちの仲間になること」
思いがけない提案に、アラシは目を見開く。
ミカは極めて真剣な態度で続けた。
「わたしたちもアラシも、みんなを守りたい気持ちは同じ。だったら力を合わせよう」
「オレが守りたいのはドローマだけだ」
「じゃあカムイには勝てないね」
挑発気味にそう言ったミカに、アラシが威圧的な目を向ける。
ミカは試すような口ぶりで問いかけた。
「カムイが守るみんなの中には、ドローマだって含まれてる。ドローマ『しか』守らないアラシが、そんなカムイに勝てるのかな?」
アラシは拳を握りしめ、ミカの言葉を何度も反芻する。
滾りに滾った感情の波が、大笑いとなって噴き出した。
「面白えじゃねえか!! オレは決めたぜ。全ての世界を守る、最強の男になってやるよ!!」
アラシの力強い宣言に、ミカはとびきりの笑顔で応える。
二人の想いが重なった瞬間、カムイの眼前に風雷双刃刀が顕現した。
「神威一刀・疾風迅雷斬り!!」
真っ二つになったオクダゴンの体が海に墜落し、派手な水柱を噴き上げる。
水飛沫が太陽の光を反射して、空に七色の虹が輝いた。
「おーい!」
虹を眺めるミカとアラシの元に、戦いを終えたカムイ––セイが駆け寄る。
対立中であることを思い出したセイに、アラシがぶっきらぼうな口調で声をかけた。
「おい」
「なんだよ」
「……今まで悪かった」
不器用だが誠意の籠った謝罪を、セイは神妙な面持ちで受け止める。
長い沈黙の末、彼はアラシに顔を上げるよう促した。
「もういいよ。これからよろしくな、アラシ」
「ほ、本当に許してくれんのか!?」
「ああ。旅は大勢の方が楽しいって、お師匠も言ってたしな」
「セイ……お前って奴はーっ!!」
感涙して飛び込んでくるアラシを、セイはひらりと躱す。
顔から床に激突したアラシが、額に瘤を作って喚いた。
「避けるこたねぇだろ!」
「うるせえ、距離感考えろ」
「寂しいこと言うなよマイフレンド! 待てー! マイスーパーフレンドー!!」
「うわぁ追いかけてくるな! そしてしれっとランクアップさせるなー!!」
やかましく追いかけっこを繰り広げる二人を、ミカは微笑みながら見つめる。
やがて乗客やスタッフたちも戻り、船は予定より数十分遅れで運航を再開した。
「さあ行くぞ、ファイオーシャンへ!」
残り少ない船旅の中、三人は肩を並べて遥か水平線を見つめる。
しかし空の青よりも蒼い光がファイオーシャンへと伸びていることに、彼らはまだ気がついていなかった。