目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第9章 新しい歌

悲しみの写し鏡




 謎の災獣・ディザスがクーロンを倒したという報せは、僅か数日で世界中を駆け巡った。

 民間人の国外渡航は全て禁止され、武装した兵士たちが街を巡回し始める。

 街をぶらつくセイとミカもまた、この事態の煽りを受けていた。


「……アラシたち、無事かな」


「敵の心配とはお優しいことで。それより折角時間ができたんだ。街で歌姫さんの記憶について調べてみようぜ」


「それなんだけど、今は大丈夫」


「そうそう大丈夫……えっ!? どうしてよ! ディザスの件でみんな動けないし、落ち着いて調べ物をする大チャンスなんだぜ!?」


 セイに説得されても、ミカは考えを曲げない。

 セイは神妙な調子で尋ねた。


「……理由を聞かせてくれるか?」


 ミカはこくりと頷く。

 彼女は自分でも不確かな情報を整理するように、ゆっくりと語り始めた。


「この間から、たまに変な気配を感じるの。暗くて寂しい気配。わたしの記憶も大事だけど、まずは気配の正体を突き止めないといけない気がして」


「気配、ね」


 分かった、とセイは頷く。

 そして二人は孤児院に戻り、ミカが気配を感じたという場所に向かった。


「ここか? ……ってか、あれか? 気配の正体」


 木陰に隠れている少年を指差し、セイが尋ねる。

 ボロボロの衣服を身に纏った少年の眼差しに強烈な既視感を覚えて、ミカは力強く答えた。


「うん、きっとそう!」


「分かった。……ごほんっ。ヘイちびっ子、この歳で付き纏いとはいい趣味だね。ちょっとお兄ちゃんと話そうかぁ」

 不気味な猫撫で声を出しつつ、セイは少年ににじり寄る。

 セイが少年を取り押さえようとしたその時、少年が彼の股間を思い切り蹴り上げた。

「マ"ッ」


 声にならない悲鳴を上げて蹲るセイを一瞥もすることなく、少年は走り出す。

 追跡を躊躇うミカに、セイが途切れ途切れに叫んだ。


「歌姫さ……俺に構わ……行……ッ!」


「う、うん!?」


 急所を打たれた男の鬼気迫る勢いに押されて、ミカは少年の後を追う。

 二人の鬼ごっこは、意外な場所で決着した。


「ミカさん!?」


 自室に突撃してきたミカに、ジュウジが驚きの声を上げる。

 背中に隠れた少年の頭を撫でる彼の手を見て、ミカが問いかけた。


「もしかして、その子も孤児院の子?」


「はい。『ユウタ』くん、ご挨拶できる?」


 ユウタと呼ばれた少年は首を横に振り、ジュウジの脚にしがみつく。

 ジュウジは困ったような笑みを浮かべて、彼について語った。


「ユウタくんは、最近この孤児院に来たんです。まだ家族を亡くした心の傷が癒えていないのか、僕以外には気を許していなくて。黙っててすみません」


「大丈夫。この子のために黙ってたんでしょ?」


 ジュウジは頷く。

 少し遅れてやって来たセイが、がらがらと部屋の扉を開けた。


「ジュウジぃ、何も聞かずに軟膏くれ……ああ〜っ! キンタマキックのガキ〜っ!!」


 ユウタの姿を発見し、セイは怒りを爆発させて詰め寄ろうとする。

 ミカとジュウジが慌てて彼を制止した。


「落ち着いてください、これには深いわけが!」


「深いわけェ!?」


「そう。うんぬんかんぬんで……」


 ミカに事情を聞かされ、セイはようやく怒りの矛を収める。

 ミカはユウタに頭の高さを合わせて、優しく話しかけた。


「うるさくしてごめんね。お姉さんたち、ジュウジのお友達なの」


「……うん」


「ねえ、よければお友達に」


 ユウタはミカの差し出した手を拒絶し、彼女に背を向ける。

 かける言葉を失くしたミカの肩に、セイがそっと手を添えた。


「取り敢えず、部屋に戻ろう」


 ミカは小さく頷く。

 二人のために貸し出された空き部屋に戻ると、ミカは座り込んで呟いた。


「家族を亡くすって、どういう気持ちなのかな」


「えっ?」


「わたしには名前以外の記憶がない。当然、家族の記憶も。だからあの子の気持ち、分からない」


 窓から射す西陽が、俯くミカの横顔を橙色に染める。

 小さな背中を震わせながら、彼女は絞り出すように声を漏らした。


「あの子にも笑顔になってほしいのに、これじゃどうすることも……」


「できるさ」


 セイは優しくそう言い、ミカの涙を拭う。

 はっとするミカに、彼はゆっくりと語りかけた。


「歌姫さんは、ユウタの暗くて寂しい気配に反応したんだろ。それはあんたが誰かの悲しみを分かってやれる、誰かを笑顔にできる人の証明なんじゃないのか?」

「セイ……」


「記憶の有無がどうあれ、それがあんたという人間の本質なんだと俺は思うぜ」


 西陽を受けて輝くセイの笑顔に、失われていたミカの自身が少しずつ蘇る。

 ミカは笑顔を取り戻し、立ち上がって告げた。


「わたし、ユウタともう一度話してくる」


「おうっ!」


 ミカはセイと頷き合い、部屋を飛び出す。

 一人だけになった貸し部屋で、セイは大きな溜め息を吐いた。


「やっと軟膏が塗れるぜ〜……」

–––

思惑は日出ずる処に



「……あと1分だな」


 レンゴウ国にて。

 塔大の最上階にある研究室で本を読みながら、守護者ミリアが呟く。

 彼女の予測ぴったりに、2人の来客がエレベーターに乗って現れた。

 シヴァルの守護者ユキと、ドトランティスの守護者ハタハタである。

 ミリアは読んでいた本を置き、ユキたちを出迎えた。


「遠くからご苦労だったな」


「全くですわ。まさか裏社会の方の手を借りる日が来るなんて思いもしませんでしたわよ」


「すまなかった。まあ座ってくれ」


 ミリアに促され、ユキとハタハタは彼女が用意した椅子に腰かける。

 程なくして、付き人が人数分の珈琲を運んできた。

 スティックシュガーとフレッシュもついている。

 付き人を下がらせて、ミリアが前置きもなく切り出した。


「では、状況を整理しようか」


 ミリアは椅子から立ち上がり、咳払いを一つする。

 ユキとハタハタの真剣な目線を浴びながら、彼女は演説するように言った。


「正直に言って、我々はかなり不利な立場にある。処刑派の論拠であるクーロンが、謎の存在ディザスによって破壊されてしまったからな」


「その割には随分と楽しそうですわね」


「私も折角の自信作が壊されているんだ、楽しくなどないさ。ただ……面白くはある」


 ミリアはニヤリと笑う。

 眼鏡の奥の目に獰猛な光を宿して、彼女は本性を曝け出した。


「ドローマなど私の研究の実験台に過ぎない。データが揃った今、クーロンより強い兵器など我が国で幾らでも作れるさ! 国土はまあ、兵器の実験場にでもしてやろう」


「しかしどうしますの? ディザスという最大の脅威を取り除かないことには、歌姫の処刑も何もあったものでは」


「確かに、ディザスは最大の脅威だ。……だからこそ、味方につければ最大の利益となる」


「どういうことだ?」


「どういうことですの?」


 ユキとハタハタの声が重なる。

 ミリアは高笑いしたくなるのを堪えて言った。


「三国の技術を結集し、ディザス捕獲装置を作る。そしてディザスを捕らえた暁には……カムイへと差し向けてやる!」


 治安維持という本来の目的を逸脱した彼女の目論見に、ユキとハタハタは思わず息を呑む。

 知恵と技術を手に入れてしまった異端者に、ハタハタが震える声で問いかけた。


「あなたは一体、何が目的なんですの」


「カムイの神性を確かめることさ。最強の座を奪い、信仰を奪い、それでもなお我らの神でいられるか確かめてやる」


「今はそんな話をしてるんじゃないだろう!!」


 それまで黙り込んでいたユキが突然立ち上がり、テーブルを叩いて叫ぶ。

 ユキは捲し立てるように続けた。


「問題はソウルニエ人やディザスが、この世界に悪影響を及ぼす存在であるということだ! 僕は両者とも排除すべきだと考える、二人はどうなのだ!?」


「え、ええ。わたくしもそう思いますわ」


「まあ落ち着きたまえ。一体どうやって両者を排除するつもりなのか、是非聞かせて貰おうじゃないか」


「それは……」


 ミリアに指摘され、ユキは言葉を詰まらせる。

 机上の空論に用はないとばかりに、ミリアは立ち上がって言った。


「私はこれから歌姫抹殺のためラッポンへ飛ぶ。二人はレンゴウの学者たちと協力して、ディザス捕獲装置の開発を急いでくれ」


 ミリアは振り向くこともなく塔大を後にし、ユキとハタハタだけがその場に残される。

 冷静でありながらその実傍若無人な彼女の態度に、ユキは思わず苦言を呈した。


「なんて勝手な……」


「ああいう人ですわ」


 ハタハタは慣れた様子でそう返し、残った珈琲を飲み干す。

 それがユキの珈琲であることを、彼はついぞ指摘できなかった。

 同じ頃、ソウルニエでは。


「……かなり癒えてきたな」


 生まれたままの姿で緑色の湯に浸かりながら、シンはぼんやり天井を見上げる。

 薄暗い部屋の中で紫色の灯がゆらゆらと揺らめいている様は何とも幻想的で、彼は不意に眠気を覚えた。

 このまま湯の中に身を沈め、眠ってしまおうかとさえ思う。

 しかし意識の片隅に蘇った記憶が、シンの意識を強引に覚醒させた。


『お兄ちゃん! お兄ちゃん!!』


 幼き日の妹が同じく幼少期のシンにしがみつき、助けを求めて泣き叫ぶ。

 正面で待ち構える異形の怪物が、大口を開けて兄妹を威嚇した。

 安全圏から眺める大人たちは、誰も助けてなどくれない。

 しがみつく妹を振り解いて、シンは怪物の前に踏み出す。

 泣き腫らして掠れた妹の声が、小さな背中にぶつかった。


『行かないで……』


 それからのことは、よく覚えていない。

 分かっているのは自分が災獣ディザスを宿していることと、妹は生者の世界で今も生きているということだけだ。

 畳んだ服の上に置いた神話の書が、独りでに開いた。


「相変わらず人使いが荒いな」


 シンは浴槽から上がり、身支度を整えて右腕に包帯を巻きつける。

 そして本を手に取り、次なる指令を確認した。


『ラッポンに向かい、巨神カムイと交戦せよ』


「……了解」


 シンをラッポンに導くべく、彼の体を闇が包む。

 シンは静かに目を閉じて、右腕をそっと握りしめた。


「ユウタくん、やっぱりここにいた」


 橙と紫が混ざり合う空の下で、ミカがユウタに声をかける。

 いつもの木陰から誰もいない広場を眺めるユウタの隣に座って、ミカは楽しそうに語り始めた。


「この間ね、みんなで尻尾鬼をしたんだよ。セイが10人がかりで追いかけられてね、あれは凄かったなあ……。わたしも思いっきりはしゃいで、凄く楽しかったんだ。ねえ、明日ユウタくんも一緒に」


「いい」


 ユウタにすげなく拒絶されても、ミカは諦めない。

 一頻り孤児院の話を出し切ると、彼女はユウタ自身への質問を開始した。


「どうして、いつもボロボロの服を着てるの?」


「……お父さんとお母さんがくれた服だから」


「そっか。それなら、手放したくないね」


 ユウタは勇気を振り絞り、辛い記憶の断片をミカに伝える。

 ミカもそんな彼の言葉を否定することなく、ユウタの心に寄り添いながら耳を傾けた。


「もうすぐ夜になるし、そろそろ帰ろう」


 優しく差し伸べられたミカの手をおずおずと取り、ユウタは地面から立ち上がる。

 手を繋いで歩く二人の前に、シンが姿を現した。


「あなたは……?」


「我が名はシン。厄災の獣を宿す者」


 ミカは無意識のうちにユウタを庇い、シンが放つただならぬ気魄を受け止める。

 気を張っていなければ倒れてしまいそうな圧力を堪える彼女の額に、シンが人差し指を突き立てた。


「歌姫よ、俺と共に来い」


「……ッ!」


 シンの魔力とユウタの恐怖心に挟まれながら、ミカは意識を繋ぎ止める。

 無慈悲に続くシンの攻撃を、セイの叫び声が遮った。


「チェストぉ!!」


 セイは飛び蹴りでシンを吹き飛ばし、ミカとユウタを助け出す。

 彼はシンの動きに注意を向けつつ、二人の安否を確認した。


「ようやく痛みが引いたんで来てみれば……。怪我はなかったか?」


「大丈夫、ありがとう」


「ユウタ、ジュウジにこのことを伝えるんだ」


 ユウタは頷き、ジュウジの家に向かって走り出す。

 力なき者がいなくなった所で、シンが口を開いた。


「現れたな、巨神カムイ」


「俺の正体を知ってるのか。目的は何だ?」


「我が身に宿りし厄災、ディザスと戦って貰う」


 あのクーロンを倒した災獣・ディザスに主人がいた。

 まことしやかに語られていた噂が真実であることを知り、セイとミカの背筋が凍る。

 努めて冷静を装って、セイが言った。


「無理だな。戦う理由がない」


「ならば作ってやろう……超動」


 シンは右腕に巻いた包帯を解き、巨大なる四つ脚の魔獣ディザスを顕現させる。

 漆黒の巨体を見上げて圧倒されるセイたちに、シンが冷徹な脅しをかけた。


「戦いを拒めば、この国が更地になるぞ」


「……しょうがねえ!!」


 セイは怒りを露わにして叫び、勾玉を天に掲げる。

 ミカから供給される風雷の力を浴びながら、彼は巨神カムイへとその身を変えた。


「頑張って、カムイ!」


 人々が逃げ惑う市街地の中心で、カムイとディザスが対峙する。

 二大超動勇士の死闘が、夜の静寂を切り裂いた。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?