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第8章 夢と傷

焼け跡の記憶




 空の天辺に座す太陽に照らされながら、セイは黙々と畑に生えた雑草を引き抜く。

 額に流れる大粒の汗を拭うと、ミカが大きく手を振ってセイを呼んだ。


「セイ、みんなでお昼食べよう!」


「おうっ!」


 セイは元気よく答え、ミカと共に大きな木造家屋へと向かっていく。

 リョウマと共に闇奉公の事件を解決してから、既に三日が過ぎていた。


「ごちそうさまでしたっ!!」


 広い食堂に、子供たちの元気な声が響く。

 誰に促されるでもなく食器を片付け始める子供たちの姿に、セイが感心して口を開いた。


「教育が行き届いてるな、『ジュウジ』」


「ありがとうございます」


 ジュウジと呼ばれた線の細い青年は軽く頭を下げ、照れくさそうに頬を掻く。

 照れ屋な所は相変わらずだなと微笑みながら、セイはジュウジに話しかけた。


「しかし悪いな。急に来て仕事をさせてくれなんて。迷惑じゃなかったか?」


「こっちもちょうど人手が欲しかった所ですし、むしろ有り難い申し出でしたよ。それに恩人の頼みですから、断るわけにはいきません」


「恩人?」


 ようやく会話に入る取っ掛かりを見つけ、ミカが声を上げる。

 ジュウジは大きく頷き、瞳を輝かせて言った。


「はい。セイさんとハルさんは、俺の夢を後押ししてくれた人なんです」


「ハルさん?」


「セイさんの師匠にあたる人なんですけど……セイさんから話聞いてないですか?」


 ミカは首を横に振り、ジトりとした目でセイを見る。

 セイは慌てて弁明した。


「と、時々話題に出してたお師匠って人いたでしょ。あれですあれ」


「じゃあそのお師匠さんについて教えて。わたし、セイの話もっと聞きたい」


「話してあげましょうよ」


 ミカとジュウジに挟まれて、セイはとうとう観念する。

 彼は咳払いを一つすると、遠い昔の話をするように語り始めた。


「お師匠と出会ったのは、俺が旅に出てすぐの頃だ……」


 家出同然に国を飛び出したセイは、しかし行く当てもなく野山を彷徨っていた。

 そして遂に行き倒れてしまった彼に手を差し伸べたのが、ハルだった。


「こんな所で寝てると風邪引くぞ」


 ハルはセイをおぶって自分のテントまで連れて行き、熱心な介抱で彼を助ける。

 意識を取り戻したセイが、訝しげに問いかけた。


「……ありがとう。でも、何で見ず知らずの俺なんかを助けたんだ?」


「俺たちはみんなこの世界に生きる仲間だ。仲間同士で助け合うのは当然だろ?」


 ともすれば綺麗事と笑われてしまうような言葉を放つハルの目に、一切の曇りはない。

 しかし心さえ凍りつくような凍土で育ったセイは、その理想を素直に受け取ることができなかった。


「……そんなの綺麗事だ」


「だから現実にするんだよ。綺麗事は、綺麗だから綺麗事なんだ」


 ハルは屈託なく笑い、セイに手を差し伸べる。

 太陽のような彼の笑顔は、セイの心の氷すら溶かした。


「一緒に来るか?」


「……うん!」


 かくして二人は師弟となり、共に世界を巡るようになった。

 一部始終を聞いたミカが、興味深そうに言った。


「ハルさん、凄い人だったんだ。でも、そこからどうやってジュウジと仲良くなったの?」


「それもこれから聞かせてあげよう! 素敵なお師匠伝説、第2章の始まり始まり〜!」


 語っている内に気分が乗ってきたのか、セイは笑いながら続きを語り始める。

 そして三人は、再び数年前に意識を飛ばした。


「はあ、はあ……」


 瓦礫に埋め尽くされた広大な廃墟の中心で、一人の青年が荒い息を吐いている。

 孤独に撤去作業を続けた手は傷だらけで、細身の体は風に吹かれれば消えてしまいそうなほどの儚さを持っていた。


「まだだ!」


 青年は気持ちを奮い立たせ、大きな瓦礫に手をかける。

 持ち上げようとした彼の腕を、不意にハルが掴んだ。


「君か。災獣に破壊された土地を買い取ったという商人は」


「……あなたたちは?」


「俺はハル。こっちは弟子のセイだ。よろしく」


 ハルは爽やかに挨拶し、青年の警戒心を緩める。

 瓦礫から手を離し、青年も名を告げた。


「えっと、僕はジュウジって言います」


「ジュウジか。ジュウジはどうしてこんな土地を買ったんだ?」


 セイが率直な疑問をぶつける。

 ジュウジは少し自信なさげに答えた。


「身寄りのない子供たちのために……こ、孤児院を作ろうと思って。安くて広いし、地形も悪くなかったので」


「一人で作業してるのは何でだ? 幾ら災獣に荒らされていたとしても、これだけデカい土地を買えるんだ。作業員くらい雇えるだろ」


「……断られたんです。こんな無意味な仕事、やってもしょうがないって」


 荒れ果てた土地の整備には莫大な労力と時間、そして資金が必要な上、それを回収できる保証もない。

 何より災獣の犠牲者が増え続けている昨今、孤児院など作っていたらキリがないというのが職人たちの言い分だった。


「バカな奴だって笑われましたよ。……あなたたちも、やっぱりそう思いますか?」


 ジュウジは自嘲気味に尋ねる。

 ハルは極めて明快に答えた。


「思わないさ。君の夢は、みんなを幸せにする素敵な夢だ」


 その言葉を実証するように、ハルは瓦礫を掴む。

 そして、三人での撤去作業が始まった。


「たっぷり三ヶ月かかって瓦礫をどかしたお師匠と俺は、その後も色々な手伝いをした。で、孤児院開業の瞬間までバッチリ見届けたってわけだ!」


「その節はありがとうございました。本当に、何とお礼をしたらいいか……」


「そんなのいいよ。『礼なら子供たちの笑顔で充分だ』って、お師匠も言ってただろ?」


 セイに背中を叩かれ、ジュウジはまた頬を掻く。

 自由に遊び回る子供たちの笑い声を遠くに聞きながら、ミカが微笑んで言った。


「今の孤児院を見たら、ハルさんも絶対喜ぶね」


「ですね。そういえば、ハルさんは今どちらへ?」


 ジュウジの質問に、セイは返答を躊躇う。

 彼は暫く黙り込んだ末、空を見上げて呟いた。


「今は……遠い所にいる」


 青空の下を一羽の鳩が飛び、置き土産のように一枚の羽を残していく。

 昨日の雨でできた水溜まりを踏んで、子供たちが駆けてきた。


「ミカおねえさん、おうたうたって!」


「セイ鬼ごっこしよー!」


 子供たちの面倒を見ることも、二人に与えられた仕事の一つである。

 セイとミカは元気よく応じ、子供たちに連れられて広場へと向かっていった。


「……ふん」


 セイたちの楽しげな声が響く広場から少し離れた木陰で、一人の少年が座り込んでいる。

 他の子供たちとはまるで違うボロボロの衣服を纏う彼の気配に、この場の誰も気づくことはなかった。

–––

暴虐のアラシ




「奴ら、ラッポンに逃げていたのか」


「あいつらもバカだな。戦えば居場所がバレるって分かってただろうに。あ、おかわり」


 向かいのシナトに空の器を渡しながら、アラシが言う。

 今日の昼食は焼いた猪と炊き立ての白飯だ。

 猪は強火でこんがりと、米は多めの水で柔らかく仕上げてある。

 アラシの器に料理をよそいながら、シナトが主人に問いかけた。


「なあ、何だって急に俺の手料理が食べたいなんて言い出したんだ? そんなに美味いもんでもないだろ」


「俺にとっては、これが一番のご馳走だ」


「相変わらず分からんな。お前の味覚は」


 アラシの褒め言葉を受け流しながら、シナトは猪の肉をもう一切れ載せる。

 受け取った大盛りの飯に目線を落として、アラシが口を開いた。


「……覚えてるか? 俺たちが初めて狩った獲物も、猪だったよな」


「ああ。そしてこれを作ってやったんだ」


 仲間と食べた猪ご飯の味は、今でも鮮明に覚えている。

 無邪気に笑うアラシの頬に飯粒がついているのも、昔のままだった。

 かつてのように飯粒を取ってやろうと、シナトはアラシの顔に手を伸ばす。

 彼の手が触れる刹那、アラシが唐突に切り出した。


「なあシナト」


「……何だ?」


「お前、国民にもっと美味い米を食わせてやりたいとは思わないか?」


「まあ、そうだな」


「特にラッポンの米なんか最高だよな。そうそう、ラッポンといやぁ今カムイが」


「言いたいことがあるならハッキリ言え。お前らしくないぞ」


 柄にもなくまどろっこしいアラシの態度に、シナトが声を荒げる。

 アラシはふっと息を吐き、獰猛な声で告げた。


「ラッポンを征服する」


 彼の宣言に、シナトは言葉を失う。

 取り落とした箸の乾いた音を、シナトの机を叩く音が掻き消した。


「……本気で言ってるのか」


 アラシは頷く。

 これまでになく険しいシナトの目を真っ直ぐに見返しながら、彼は作戦を語った。


「カムイ討伐にかこつけて攻め入る。クーロンの力があれば、侵略はあっという間だ」


「侵略戦争は禁忌だ! もしそんなことをすれば、ドローマは世界中を敵に回すことになるぞ!」


「ラッポンの肥沃な農地があればみんなにもっといい暮らしをさせてやれる! ドローマはもっと豊かになるんだよ!」


 楽しい筈の食卓が、一瞬にして論争の場に変わる。

 シナトの揺れる瞳を睨んで、暴君は低い声で呟いた。


「二度とあの頃には戻らない……!」


 その日食べる物にさえ困窮したかつての日々を思い出し、シナトは俯く。

 炎のような野心を滾らせて、アラシは猪丼をかき込んだ。


「……ごっそうさん」


 階段を上がっていく友の背を、シナトは無言のまま見送る。

 2人分の食器と空の釜を洗い流して、彼はクーロン城を後にした。

 あてもなく彷徨い歩くシナトの背で、クーロン城が動き出す。

 暴君を乗せた昇り龍を見上げるシンの右腕に、鋭い痛みが走った。


「時が来たか」


 シンは右腕の包帯を剥がし、血走った眼のような紋章を解放する。

 赤黒い鮮血を迸らせながら、彼は右掌を開いて叫んだ。


「超動!!」


 掌から黒い闇が噴き出し、一体の獣となってクーロンの前に立ちはだかる。

 聖獣・麒麟にも似たその獣の名は、『超動勇士ディザス』。


「荒れ狂え、ディザス」


 主人であるシンの命ずるままに、ディザスはクーロン城へと襲いかかる。

 それぞれの目論見を胸に秘め、要塞と魔獣の戦いが始まった。


「誰だか知らねえが、オレ様の邪魔をするんじゃねえ!!」


 玉座の間の窓の下に見えるシナトと人々を守るべく、アラシはクーロン砲を放ってディザスを威嚇する。

 ディザスの足が止まった隙に、アラシは部下たちに呼びかけた。


「こいつはオレが引き受ける! お前らは今すぐ市民の避難誘導をしろ!」


「おう!!」


 部下たちは城を飛び出し、アラシの命令を忠実に実行する。

 アラシは左右のレバーを倒して、クーロン城を超動勇士クーロンへと変形させた。


「超動!!」


 竜の武人と化したクーロンは咆哮し、災獣目掛けて拳を振り下ろす。

 クーロンの攻撃を的確に捌く災獣に、彼は敵が人間の言葉を持たないと知りつつも叫んだ。


「ただの災獣じゃなさそうだな! お前、何モンだ!?」


「……ディザス」


「はっ?」


 クーロンは耳を疑う。

 返ってきたのは単なる鳴き声ではない。

 あの災獣は、確かに『ディザス』と名乗ったのだ。

 想像を絶する事態を前に、クーロンの動きが停止する。

 その隙を逃すまいと、ディザスが反撃に打って出た。


「うぐっ!」


 頭部の角を勢いよく突き出し、クーロンを後退させる。

 続けて身を翻しての後ろ蹴りを繰り出し、最後は渾身の体当たり。

 多彩な技を使いこなすディザスの戦いぶりに、クーロンは自分が獣ではなく人間を相手にしているかのような錯覚を覚えた。


「いや、錯覚なんかじゃねえ。こいつには意思がある! 目的があってオレと戦ってる!」


 クーロンは遠距離戦へと切り替え、黒鉄の砲弾を連射する。

 矢継ぎ早に迫り来る鉄塊を迎撃すべく、ディザスは角に真紅の炎を纏わせた。


「ディザス火炎斬」


 烈火の斬撃で弾丸を両断し、瞬く間に弾幕を消し去る。

 全てにおいてクーロンを上回る圧倒的な力を前に、操縦者アラシの手が震えた。

 侵略戦争を企てた自分への罰だろうかと、柄にもない考えが脳裏を過ぎる。

 両の頬をぴしゃりと叩き、アラシはクーロン最大の奥義を発動した。


「クーロン砲・全砲一斉射ァああああ!!」


 九十九の砲門から撃ち出される空を埋め尽くす程の弾丸が、ディザスを消し炭をせんと襲いかかる。

 しかしその攻撃も、ディザスにとっては些細な抵抗に過ぎなかった。


「ディザスターカラミティ」


 脚から闇の力を流し込み、クーロンの立つ地面を崩壊させる。

 倒れ込んだクーロンを見下ろして、ディザスは炎と風を巻き起こした。

 風に煽られた炎が城内にまで燃え広がり、操縦者アラシを追い詰める。

 尚も戦おうとするアラシを、攻撃の余波が無情にも操縦席から引き剥がした。


「くっ……うぁ!」


 運悪く頭部を強打し、視界に白い火花が飛び散る。

 遠ざかっていく意識の中で、アラシは誰かの叫び声を聞いた。


「シナ、ト……」


 相棒の名を呟いて、アラシはとうとう力尽きる。

 玉座の間に辿り着いたシナトが、倒れた主人の姿を見て叫んだ。


「アラシ! しっかりしろアラシ!!」


 シナトは躊躇いなく飛び込み、火の海からアラシを救い出す。

 もぬけの殻となったクーロンの姿を、ディザスの眼が冷淡に見つめた。


「アラシ様だ! 怪我をしてるぞ!」


「大丈夫なのか!?」


 アラシを抱えて逃げるシナトに、パニックに陥った市民たちが大挙して詰め寄る。

 焦燥と不安の中、シナトは腹の底から叫んだ。


「落ち着け!! 俺はアラシを診療所へ運ぶ! お前たちは避難所に向かうんだ!」


 シナトの気迫に圧倒されるまま、市民たちはぞろぞろと捌けていく。

 避難を再開したシナトは、ディザスを見上げる黒髪の青年・シンとすれ違った。


「おい、避難所はあっちだぞ」


「……ああ」


 シンは曖昧に頷き、横目でシナトの姿を見やる。

 彼の背中が路地に消えた頃、シンは心の中で言った。


「戻れ、ディザス」


 ディザスを構成していた闇が霧散し、シンの掌に吸収される。

 体内を灼かれるような痛みに悶えながら、彼は新たな包帯で闇を封じた。


『任務は成功だ』


 悶えた拍子に落ちた神話の書の白いページに、文章が浮かび上がる。

 当然とばかりに鼻を鳴らしたシンに、文章が次の指令を下した。


『状況報告の後、傷を癒せ』


「分かってるよ。全ては」


『全ては祖国、ソウルニエのために』


「……祖国、か」


 白紙に戻った本を拾い上げ、シンは大きな溜め息を吐く。

 そして彼は全身を闇で包み隠し、ソウルニエへと帰還した。




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