恐怖の闇奉公
「クーロンの初陣に、乾杯!!」
クーロン城の天守にて、アラシとミリアが杯を交わす。
シナトに注いで貰った甘い濁り酒を飲み干して、アラシが言った。
「流石だぜミリア! まさかレンゴウの技術がこれほどとはな!」
「当然だ。レンゴウはこの世で最も栄えた技術大国。このぐらいやって貰わなければ、むしろ困る」
ミリアは済ました顔で答え、烏龍茶に口をつける。
赤ら顔で笑うアラシに代わり、側近のシナトが頭を下げた。
「我々に対する今日までの援助、本当に感謝しています。……しかし、一つだけ気になることがあるのですが」
「何だ?」
「ミリア様はカムイ神話を研究している筈。それなのに何故、クーロン計画に賛同を?」
カムイと同等の戦力を持つ巨大兵器を建造することは、言うなればカムイの神性を否定することに等しい。
しかもそれが他国の城とあれば、シナトが疑問を持つのも無理はなかった。
「素直な言葉でお答えしよう。率直に言って、ドローマはまだ未熟だ。そんな国を世界防衛の要に育てたとなれば、自ずと我がレンゴウの評判も上がるというもの」
「……未熟」
「ああ。そしてもう一つ、私はカムイを否定しているわけじゃない」
ミリアはそこで言葉を切り、シナトにお酌を促す。
烏龍茶の水面に不敵な笑みを浮かべて、彼女は強気に宣言した。
「信じているからこそ、試すんだ」
策謀を張り巡らせて、三人の宴会は続く。
その頃、セイとミカは東の島国・ラッポンへと逃げ延びていた。
「どうにか逃げ切れたみたいだな」
質素な和装に身を包んだ人々が行き交う賑やかな街並みを路地裏から観察して、セイは安堵の溜め息を吐く。
しかし気が緩んだのも束の間、恐ろしい怒鳴り声がセイとミカの鼓膜を貫いた。
「見つけたぞ!!」
すわ追っ手か、と二人は慌てて路地裏に引っ込む。
しかし声の主が追いかけていたのは、全く別の人間だった。
「か、勘弁してくれよおっ!」
通行人や障害物の存在もお構いなしに駆け抜けながら、浅葱色の作務衣を着た若い男が悲鳴を上げる。
セイとミカは互いに頷き合い、彼を守るべく追跡者たる岡っ引の前に飛び出した。
「どけっ! 今、大事なとこなんだ!」
「ふざけんな。お前こそ、善良な一般市民を追い回してどういうつもりだ!」
「善良だと!? あいつはなぁ……」
セイと岡っ引が議論をしている間に、男は曲がり角の向こうへと行方を眩ませてしまう。
岡っ引きは悔しげに拳を握りしめると、セイの胸倉を掴んで叫んだ。
「てめえ、何てことしやがるんだ!!」
街中で勃発した喧嘩に、ぞろぞろと人が集まり始める。
怒りに燃える岡っ引きは、止めに入ろうとしたミカをも突き飛ばした。
「きゃあっ!」
「歌姫さん!」
強い力で押し除けられ、ミカの体勢が崩れる。
地面に激突せんとしたその時、何者かが彼女の体を受け止めた。
「怪我はないか?」
「あ、ありがとう……」
ミカを助けた屈強な男はそのまま岡っ引きとセイの間に割り込み、両者の仲裁に入る。
岡っ引きが驚いた調子で男の名を呼んだ。
「『トクノスケ』さん!」
「おうマツ。これは一体どういう騒ぎだ?」
「聞いてくれよトクノスケさん。この二人、俺の仕事の邪魔をしやがったんだ。きっとこいつらも『闇奉公』の仲間に違いないぜ」
「闇奉公?」
聞き慣れない単語に、セイとミカは揃って首を傾げる。
トクノスケは冷静な態度で言った。
「見たところ、二人は異国の者だ。事情を知らなくても無理はない。俺から言い聞かせておくから、みんな自分の仕事に戻りな」
トクノスケの鶴の一声で、町人たちはそれぞれの持ち場に戻っていく。
そしてセイとミカは彼に連れられ、町外れの甘味処『ひだか』へとやって来た。
「みたらし団子を3人分頼む」
「かしこまりました」
トクノスケの注文を受け、店員がそそくさと厨房に引っ込んでいく。
頼みの品が来るのを待っている間に、トクノスケが闇奉公について話し始めた。
「闇奉公というのは詐欺の受け子や出し子をさせたり、警備の緩そうな建物を見繕わせたりする行為のことだ」
「おいおい、それモロ犯罪じゃねえか」
「その通りだ。しかし近頃は高額報酬に目が眩んだ若者がこの闇奉公に手を染める事件が急増していてな。奉行所としても、手を焼いているのだ」
逃走者の男と岡っ引きの姿を思い浮かべて、セイとミカの脳内に最悪の可能性が浮かび上がる。
二人は勇気を振り絞り、トクノスケに最終確認を取った。
「……もしかして俺たち」
「悪い人を手助けした?」
トクノスケは厳粛に頷く。
セイとミカは呼吸を揃えて、深々と頭を下げた。
「ごめんなさいっ!!」
「迂闊だった……! 周りをよく見て行動しろってお師匠にいっつも言われてたのに!」
「お願い、わたしたちを逮捕して!」
無実の罪には徹底抗戦するが、犯してしまった罪の償いはしようとする。
そんな二人を困った目で眺めるトクノスケの元に、店員がみたらし団子を運んできた。
「お待たせ致しました……この状況は?」
「ありがとう。いや何、こちらの話です」
「はぁ……」
店員が置いていったみたらし団子を食べつつ、トクノスケは今後の対処について考える。
町人らしからぬ綺麗な所作で団子を食べ終え、彼は決断を下した。
「お前たちが全て悪いわけではないが、連中の尻尾を掴み損ねたのもまた事実。よってお前たちには、闇奉公撲滅作戦に協力してもらう」
「分かった」
「俺たちにできることなら何でもやるぞ!」
「そいつは心強いぜよ! ……ごほんッ!」
いきなりついた妙な語尾を咳払いで誤魔化し、トクノスケは二人に作戦を説明する。
そして三日後、セイたちは闇奉公撲滅作戦を実行した。
–––
リョウマがゆく
「『コウズケ』様! ただ今戻りましたあっ!」
ラッポン西部に立つ豪奢な屋敷に、浅葱色の作務衣を着た若者が息を切らして転がり込んでくる。
金の袴に身を包んだ壮年の男『コウズケ』は、磨いていた壺を持ったまま言った。
「貴様か。仕事は果たしたのだろうな?」
「はい! ですが、奉行所に勘づかれてしまいまして」
「何だと!?」
奉行所の名を出した途端に、コウズケは血相を変えて飛び上がる。
平謝りする男に、彼は壺を構えて叫んだ。
「この無能めが……死刑!」
赤黒い舌のような触手が壺から飛び出し、男を絡め取る。
そして触手は男の骨をへし折り、壺の中へと引きずり込んでしまった。
「助けて! 助け……」
壺の中から響く悲鳴に蓋をして、コウズケは壺磨きを再開する。
ようやく悲鳴が止んだ頃、コウズケの部下が部屋に入ってきた。
「コウズケ様、客が来ております」
「客だと? 誰だ」
「流しの歌姫だそうです。何でも、コウズケ様の元で働きたいとか」
「ふん……分かった。連れて来い」
「ははっ!」
程なくして、部下が菫色の着物姿の女性を連れてくる。
跪く女性を見下ろし、コウズケが命じた。
「面を上げよ。貴様、名は何と申す」
「名前など大層な物はございません。ただ、流しの歌姫とお呼びください」
「……よかろう。では流しの歌姫よ、まずは一曲歌ってみせろ」
「はい」
流しの歌姫––ミカは心の中で安堵しながら、ゆっくりと立ち上がる。
コウズケの全身を舐めるような視線への嫌悪感を堪えつつ、彼女は作戦会議の内容を思い出した。
「今回狙うのは、このコウズケという男だ。何度も捜査線上に上がってはきているが、未だ決定的な証拠は掴めていない」
「なるほどな。どうする、正面から突っ込むか?」
「いや、奴はそう簡単にはいかない相手だ」
難敵を相手に、セイとトクノスケは頭を悩ませる。
作戦会議に立ち込めた重い空気を、ミカの挙手が打破した。
「わたし、いい作戦見つけた」
その作戦とは、ミカ自らが屋敷に潜入して証拠を掴むこと。
かくして彼女は流しの歌姫となり、決死の捜査に乗り出したのである。
「……ありがとうございました」
カムイ神話に伝わる曲を歌い終え、ミカは深く頭を下げる。
未だ余韻が残る中、コウズケが惜しみない拍手で彼女を讃えた。
「素晴らしいぞ! 神話の歌姫に勝るとも劣らない腕前、気に入った。存分にわしを楽しませるがよい」
「……ありがとうございます!」
コウズケは再び礼を言うミカの肩を抱き、屋敷の最奥へと連れていく。
高級品を無秩序に散りばめた悪趣味な部屋を見回して、ミカは可能な限りの愛想笑いを浮かべた。
「凄い……」
「お前にも分かるか。豪華絢爛を極めたこの部屋の素晴らしさが」
ミカの『凄い』は皮肉のニュアンスなのだが、コウズケは気づきもせずに胸を張る。
油断している今を好機と見て、ミカは少し攻めた質問をした。
「これだけの品物を集めるには、さぞ大金を費やしたことでしょう。一体どうやって稼いだのですか?」
「知りたいか? ならば教えてやろう」
コウズケは指を鳴らし、部下に例の壺を持ってこさせる。
壺が放つ異様な邪気に不快感を覚えながら、ミカは後ろ手でトクノスケに貰った小型の蓄音機を起動した。
「全てはこの壺のお陰だ。わしはこの壺に邪魔者や商売敵を吸い込ませ、巨万の富を得ることに成功した。最近はその富を餌に若い衆を操り、街に騒ぎを起こしておる」
「……正直な人ですね」
「暴走する若い衆を御し切れずにリョウマの信頼が失墜すれば、わしを裁ける人間はいなくなるからな。……それに」
コウズケはニヤリと笑い、ミカの方に向き直る。
初めて向けられる下卑た欲望にミカが怯んだのも束の間、コウズケは彼女を押し倒して言った。
「夫婦の間に隠し事は無用だからな!」
「な、何を言って」
「こんなに美しい娘と結婚したとなれば、わしの名声は更に高まる。さあ、大人しくわしの物になれ!」
ミカは咄嗟に電撃を放とうとするが、壺が放つ邪気に阻害され上手く力を練ることができない。
彼女の心に恐怖が噴き出したその時、黄金の襖が勢いよく蹴破られた。
「待てぇい!!」
セイとトクノスケの顔を見た瞬間、ミカは一気に安堵する。
コウズケからミカを引き剥がし、トクノスケが威厳ある声で告げた。
「犯罪の証拠、確かに掴ませて貰ったぞ!」
ミカはトクノスケの言葉に頷き、手の中の蓄音機を見せる。
コウズケは額に冷や汗をかきつつも、未だ不敵な態度を崩さずに言った。
「……全ては作戦だったというわけか。だが無駄だ。わしは金の力で一切の証拠を揉み消す!」
「これを見てもまだ言えるか!?」
トクノスケは袴を引き裂き、鍛え抜かれた上裸を露わにする。
その体には、ラッポンの国章が深々と刻まれていた。
「ワシの名はリョウマ! ラッポンの守護者、リョウマぜよ!!」
予想外の宣言にコウズケだけでなく、セイとミカも驚愕する。
どうにか気を取り直して睨みつけた目線の先で、コウズケが慌てふためいた。
「え……ええい! 守護者様がこのような場所におられる筈がない! ものども、出合え!!」
コウズケの呼びかけに応じ、黒袴の侍たちがわらわらと押し寄せてくる。
四方八方から向けられる殺意に、リョウマは怯むことなく刀を抜いた。
「……成敗ぜよ!」
そこからは、リョウマの独壇場だった。
部屋の装飾にも劣らぬ破天荒な立ち回りで次々に敵を打ち倒し、コウズケの逃げ場を塞いでいく。
遂に部屋の隅へと追い詰められたコウズケの喉元に、リョウマが刀を突きつけた。
「さあ、大人しく観念するぜよ!」
「……ふざけるなッ!!」
コウズケは全身からドス黒い波動を放ち、リョウマを吹き飛ばす。
壺を抱え込む手に力を込めながら、彼は欲望を剥き出しにして叫んだ。
「わしだけの富! 権力! 諦めてなるものかぁああああ!!」
コウズケの思念を壺が増幅させ、壺の力でコウズケは更に欲望を高める。
負の永久機関と呼ぶべきものが持つ邪気に、セイとミカは頷き合った。
「セイ、やっぱりこの気配……」
「ああ。災獣と同じだ!」
壺が独り手に浮かび上がり、舌のような触手でコウズケを壺の中に引き摺り込む。
彼が持つ膨大な悪意を吸収し、壺は真の姿へと巨大化した。
「退避するぜよ!!」
三人は崩れ落ちるコウズケの屋敷を脱出し、巨大化した壺を見上げる。
リョウマが叫んだ。
「あれは、『強欲災獣オモウツボ』ぜよ!」
「知ってるの?」
「ミリアから借りた本に書いてあったぜよ。明確に人間を捕食対象にし、宿主の欲望を暴走させて最後には喰らってしまう恐ろしい災獣だって」
「恐ろしくない災獣なんかいないさ。……だから俺がいる」
例え追われる身であろうと、災獣と戦う責務に変わりはない。
熱を帯びた勾玉を握りしめて、セイがミカに耳打ちした。
「災獣を倒したらすぐ逃げるぞ。俺の側を離れるなよ」
「うん」
民衆の避難誘導に向かうリョウマの背中を見送って、セイが勾玉を構える。
『超動』の口上と共に顕現したカムイの掌が、ミカの体を包んだ。
「クァムァ!!」
歌姫ミカを乗せた左手を背中に回し、カムイはオモウツボと対峙する。
人々が逃げ惑う街の中で、一人の男が睨み合う両者を見上げていた。
シヴァルにてセイとミカの脱走を手引きしたあの男である。
「巨神カムイ。貴様の力、見定めさせてもらうぞ」
男は右腕に巻いた包帯を少し解き、闇の力をオモウツボに照射する。
彼の力を受けたオモウツボの全身が、禍々しく輝いた。
「何が起こったの……!?」
オモウツボに起きた突然の異変に、ミカは思わず呟く。
強化態『オモウツボD』となった災獣は一気に数百本の触手を伸ばし、カムイの全身を締めつけた。
「クァムァアアイ!?」
触手に力を吸い取られ、カムイは呻き声を上げながら膝を突く。
額の勾玉の翡翠色がくすみ、体力の限界が近いことを知らせた。
「セイ、しっかりして!」
ミカは魔法で回復を試みるが、触手に吸収される体力量を考えれば雀の涙にもならない。
もはや変身すら維持できなくなりかけたその時、カムイの中に宿るセイの思念が語りかけた。
「歌姫さん、高い所はお好き?」
「す、好きだけど」
「オッケー!」
言うが早いか、カムイはミカを遥か上空まで放り投げる。
強烈な風に煽られながら、ミカが叫んだ。
「セイ、どうする気!?」
返事の代わりとばかりに、カムイは風の御鏡を召喚して竜巻のベールで自身を包む。
そして高速回転で触手を弾き飛ばし、勢いのままオモウツボDの本体へと突貫した。
「神威一刀・疾風斬り!!」
風の力を宿した斬撃がオモウツボDを両断し、木っ端微塵に爆散させる。
落下してきたミカを風のクッションで受け止めると、カムイは遂に全ての力を使い果たしてしまった。
「……歌姫さんだけでも逃がさないと」
カムイ––セイは限界の体に鞭打ち、ミカを避難させようとする。
しかしリョウマの足音が、彼の最後の気力を打ち砕いた。
「おまんら、巨神と歌姫だったぜよか」
「……ならどうした」
セイはミカを庇うように立ち、敵意を剥き出しにしてリョウマを睨む。
リョウマは彼の警戒を解かんと、快活な笑顔を見せて言った。
「心配せんでも、わしはおまんらを殺したりはしないぜよ」
「でも、守護者たちはわたしを殺すことにしたって」
「みんなが歌姫処刑に賛成してるわけじゃないぜよ。わしのような反対派もいるぜよ」
「その言葉に、嘘はないんだな?」
「このリョウマ、巨神カムイに誓って嘘は吐かんぜよ!」
リョウマは豪快に左胸を叩き、その手でセイの手を包む。
ごつごつした掌の温かさに触れた瞬間、セイは糸が切れた人形のように崩れ落ちた。
「よかったぁ……!」
守護者全員が敵ではないと知り、セイは『よかった』と呟き続ける。
ミカもまた強い安心感を覚えながら、しかし一方で別のことを考えていた。
「もしかしたら、ユキやアラシとも……」
力ある者たちが互いに争わず、一つの目標に向かって進めたらどれほど素敵だろうかと思う。
しかし、現状では空虚な理想論にしかならないことも分かっている。
言葉の続きを胸の中に押し込んで、ミカはセイを助け起こした。
「ねえ、またあそこの店でお団子食べようよ。わたしたちが仲間になれた記念に」
「賛成ぜよ! 今日はワシが奢るから、腹いっぱい食べるぜよ!」
「草団子はあるかい? お師匠が好きだったんだよなぁ」
「わたし、すあま食べたい」
三人は肩を並べて笑い合い、甘味処ひだかへと歩いていく。
その夜、ラッポン某所の深い森では、包帯の男が闇夜に紛れて佇んでいた。
「カムイの力は想定以上か。面倒なことになったな……」
その時、彼の持つ神話の書が紫色に輝く。
シンが本を開くと、白紙のページに文章が浮かび上がった。
『事態は全て把握した。予定より早いが、作戦を第二段階に移行せよ』
「第二段階……」
『ディザスの解放を許可する』
そこで本の輝きは消え、ページは元の白紙に戻る。
シンは本を懐にしまうと、右腕の包帯に語りかけた。
「喜べ。運命の時は近い」
シンの言葉に頷くように、包帯が風に揺れる。
そして彼はラッポンを発ち、次なる目的地・ドローマへ向かうのだった。