雲の魔人
「奴ら、レンゴウに逃げてやがったか」
ミリアから届いた報告書を読みながら、アラシは拳を握りしめる。
シナトが言った。
「どうするアラシ。追っ手を出すか?」
「いや、今は手出しする時じゃねえ。暫く自由にさせる」
側に控えるシナトに報告書を渡して、アラシはクーロン城の玉座から立ち上がる。
物見櫓に出た2人の髪を、春先の風がそっと撫でた。
広がる城下町を眺めて、アラシが言う。
「それに奴らの戦闘データを集めるのも、計画のために必要なことだしな」
「……計画?」
「ああ。この計画が成功すれば、ドローマをオレたち自身の手で守れるようになる。究極の武力が手に入るんだよ!」
アラシは掌を目一杯に広げ、天に掲げて握り締める。
際限なき理想を脳内に描いて、彼は飽くなき野望を曝け出した。
「千年王国を築き上げてやる。もう二度と、オレたちの暮らしは壊させねえ!」
穏やかな春の空に、アラシの高笑いが響く。
その頃アラシたちのいるドローマから遠く離れたレンゴウの地では、もう1つの2人組が馬車に揺られていた。
「セイ、この馬車どこに向かってるの?」
「港だよ。ラッポン行きの船に乗るんだ」
東の国・ラッポンには長い歴史と個性的な文化がある。
そこならばミカの記憶を取り戻す手掛かりがあるかもしれないと、セイは睨んでいた。
「ラッポンに着いたら、路銀を稼ぎつつ本や資料を漁るぞ。知り合いのツテでいい仕事があって……うおっ!」
不意に車体が大きく揺れ、体勢を崩したミカがセイに激突する。
二人に背を向けたまま、御者が間延びした声で言った。
「揺れますよぉ、ご注意下さい」
「もっと早く言ってくんねえかなぁ」
「でも楽しいよ、この揺れる感じ」
「……歌姫さん大物だわ」
馬車での旅に不安を覚えて、セイは額を押さえる。
振動に警戒して体を強張らせていると、じっとりとした雨が屋根を打ちつけた。
「雨が降りましたね。お客様、残念ですがこの馬車はここまでです」
御者は馬車を止め、無言の圧力でセイとミカを追い出す。
ここまでの料金を受け取ると、馬車はそそくさと来た道を引き返していった。
「雨の中放り出すなんて、酷い……!」
「こういう手合いはたまにいるから、運が悪かったで済ますのが吉だぞ」
未だ納得し切れないミカを宥めながら、セイは使い込まれた番傘を差す。
お世辞にも大きくはない傘に身を寄せ合って、二人は近隣の宿を探した。
「見てセイ、村がある」
古い民家が数軒並んだ区画を指差して、ミカが言う。
セイが目を輝かせて叫んだ。
「でかしたぞ歌姫さん!」
本当にレンゴウか疑わしくなるほどの閑散ぶりだが、あるとないとではまるで違う。
二人は急いで村に入り、年老いた男を捕まえて尋ねた。
「俺たちは旅人だ。どこか泊まれる所はあるかい?」
「こんな場所に客とは珍しい。……私の狭い家でよければ、どうぞお使いください」
「本当か? そいつは助かるよ!」
「ありがとう」
頭を下げる二人を、老人は自らの家へと案内する。
他の民家より少しだけ大きな木造の一軒家に上がると、老人は自らの素性を明かした。
「私はこの村の村長『ベダム』と申します。里芋と茄子のスープをご用意しますので、好きに寛いでください」
老人––ベダムに促され、セイとミカは丸テーブルを挟んで黴臭い椅子に腰かける。
数分後、三人分のスープを盆に乗せてベダムが戻ってきた。
「全てこの村で採れた食材を使っております。お召し上がりください」
「ありがとう。いただきます」
湯気を立てる器に両掌を合わせ、セイとミカはスプーンをトパーズ色のスープに浸す。
熱心に息を吹きかけるセイより先に、ミカがスープを一口飲んだ。
「美味しい!」
「ありがとうございます」
ベダムは丁寧に頭を下げる。
ミカから少し遅れてスープを飲み、セイが口を開いた。
「なあ村長。この村、雨が降り続けるようになって長いのか?」
「……何故?」
「スープの具だよ。里芋も茄子も、水捌けの悪い土地で育つ植物だ。それが村で採れたってことは、そうなんじゃないかと思ってな」
セイの推測を、ベダムは黙って肯定する。
彼は重い溜め息を吐いて、村の抱える事情を明かした。
「私が子供だった頃から、この村には四六時中雨が降り続けています。そして雲が最も黒くなる夜に、『雲隠し』が起こる……」
「雲隠し?」
「ええ。人が突然いなくなるのです」
雲隠しを恐れた住人は次々に村を離れ、事情で残らざるを得なかった者たちも雲隠しにより段々と姿を消していく。
そして今、村民はベダムを含めて数十人のみとなっていた。
「空を見るに、雲隠しは今日の夜。ああカムイよ、この不運な旅人にどうかご加護を……!」
ベダムは両手を胸の前で組み、空に向かって祈りを捧げる。
震える彼の眼前に、セイは首に提げた翡翠の勾玉を揺らして見せた。
「なら、あんたは世界一幸運な村長だな」
淡く輝く勾玉こそ、彼が巨神カムイであることの証明。
セイとミカは立ち上がり、呼吸を合わせて名乗りを上げた。
「俺はセイ。またの名を巨神カムイ!」
「歌姫ミカ!」
「おお……なんと!」
ベダムは驚愕に目を見開く。
豪快にスープを飲み干して、セイが堂々と宣言した。
「スープの礼だ。雲隠しの事件は、俺たちが解決してやる!」
「お……お願いします!」
二人の手を取り、ベダムは何度も頭を下げる。
彼の想いを確かに受け止めて、セイとミカは曇り空の夜に飛び出していった。
「雲隠し、今からお前の物真似してやるよ! 僕の大好物はハナクソですぅ〜! ウッヒョヒョイなのです〜!!」
誰もいない村の中心で、セイは理性をかなぐり捨てた奇行に走る。
ミカが呆れて言った。
「みっともない……」
「敵を挑発してんだよ。経験から判断するに、犯人は知性の高い災獣だ。だから怒らせて出てくるのを待ってるのさ」
もう少し普通にできないのかと思うミカをよそに、セイはその後も暴れ続ける。
ネタを出し尽くしたセイがふと後ろを振り向いた時、彼女の姿はそこになかった。
「あれ……歌姫さん? 歌姫さん!!」
幾ら呼んでも返事はなく、不気味な雨音だけが断続的に響く。
雲隠しが始まった。
———
輝く虹
「勾玉よ! 教えてくれ、歌姫さんは何処にいる!?」
セイは翡翠の勾玉を握りしめ、ミカの居場所を強く念じる。
彼を導くべく、勾玉から一条の光線が放たれた。
「……そこにいるっていうのか?」
光線が示す場所を見つめて、セイは怪訝そうに呟く。
それは、分厚く黒い雨雲の向こう側だった。
セイは勾玉を構え、カムイとなって雨雲を突き破ろうとする。
その瞬間、雨足が急に強まった。
「何っ!?」
雨を槍のように降らせて逃げ道を封じ、超集中豪雨による水の檻でセイを閉じ込める。
頭の先まで水没してしまう刹那、セイが勾玉を掲げて叫んだ。
「超動!!」
セイはカムイへと変身し、その巨体で水の檻を突き破る。
そして大太刀のひと振りで雨雲を切り裂き、中に囚われていたミカを救い出した。
「セイっ!」
カムイは風に煽られて落下するミカを掌で受け止め、ゆっくりと地上に下ろす。
ミカを庇って立ちはだかるカムイの上空で、雨雲が再び集結した。
「災獣……!」
雨雲でできた屈強な肉体を持つ単眼の魔人が放つ威容に、ミカは思わず後退りする。
『雨雲災獣クモカクシ』は咆哮と共に、カムイ目掛けて雨の槍を放った。
「クァムァッ!!」
カムイは雷の大太刀で攻撃を捌きつつ、クモカクシとの距離を詰める。
しかし大太刀がクモカクシの胴を捉えた瞬間、敵の肉体は千々に霧散した。
「ムァイ!?」
体を分散させることであらゆる物理攻撃を無効化し、怯んだ隙に体を再構成して強烈なパンチを叩き込む。
翻弄され追い詰められていくカムイを見上げながら、ミカは神話の書を抱える手に力を込めた。
「捕まってる時、わたしはあの災獣の弱点を見た。早く伝えないと……!」
クモカクシにバレない形で情報を伝える方法を、ミカは知恵を絞って考える。
そしてカムイが膝を突いたその時、彼女は高らかに歌い始めた。
「かごめかごめ、籠の中の鳥は」
「これは……童謡?」
戸惑うカムイをよそに、ミカは歌い続ける。
彼女の真剣極まる眼差しを見て、カムイはそれが何らかの意味を持つことを理解した。
クモカクシの猛攻に耐えながら歌を聴き、意図を読み取ろうとする。
そんなカムイにもはや戦意はないと見たか、クモカクシが大振りの一撃を繰り出した。
「オオオッ!!」
水流を纏わせた鉄拳を勢いよく振り抜き、カムイの肉体を砕く。
しかし砕け散ったはずのカムイの肉体は、次の瞬間何事もなかったように復活した。
「夜明けの晩に、鶴と亀が滑った」
眼下で歌うミカを睨み、クモカクシが腕を叩き下ろす。
剛腕が彼女を擦り潰す刹那、彼の背中を雷の大太刀が貫いた。
「後ろの正面だあれ」
正面にいたカムイがゆらりと消え、風の御鏡だけがその場に残される。
クモカクシの攻撃を受ける刹那、カムイは鏡で作り出した分身と位置を入れ替えていたのだ。
ミカが教えた弱点––背後を狙うために。
「神威一刀・鳴神斬り!!」
突き刺した刀に雷を宿し、渾身の力で引き抜く。
刀を納めたカムイの背中で、クモカクシが断末魔の叫びを遺して爆散した。
「……グッ!」
力強いサムズアップをして、カムイはセイの姿に戻る。
ミカと互いの無事を喜び合うセイの元に、ベダムと村人たちが駆け寄ってきた。
「お二人とも、本当にありがとうございます! これでもう雲隠しに怯えなくて済みます!」
「是非あなたたちを讃える宴を!!」
「いいっていいって。それに、喜びを伝えるべき相手は他にいるだろ?」
セイはやんわりと宴の誘いを断り、村の出口を指差す。
彼の意図を理解して、ベダムは深く頷いた。
「ええ。まずは村を去った者たちに、このことを伝えます。……それにしても」
いつの間にか夜は明け、昇り始めた太陽が空を白く染めている。
白んだ空にかかる七色の虹を見上げて、ベダムは呟いた。
「空が、こんなに綺麗なものだったとは」
セイとミカも顔を上げ、雲一つない空を目に焼き付ける。
セイが徐ろに口を開いた。
「なあ、歌姫さん」
「なに?」
「俺には、今すぐあんたの記憶を取り戻してやることはできない。でもこうやって新しい思い出を作っていけば、それもいつか、記憶の一部になると思うんだ」
ミカは静かに頷く。
翡翠の勾玉を虹に透かして、セイは無邪気に言った。
「『よい旅とは、よい寄り道のことである』。なんて、お師匠の受け売りだけどな」
「……じゃあ、沢山寄り道しないとね!」
セイとミカは微笑み合い、音もなく村を後にする。
次の街に向かう道中、二人は重装備の兵士を従えた少年に声をかけられた。
「巨神と歌姫だな」
少年は厚手の防寒着を着込み、怜悧な視線でセイたちを睨みつける。
そして次の瞬間、彼は衝撃的な宣言をした。
「お前たちを逮捕する!」
言うが早いか兵士たちがセイとミカを取り囲み、氷の手錠で二人を拘束する。
そして二人は世界の最北端・凍土と洞穴の国シヴァル行きの船へと乗せられていった。