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6)


「……っ」

 声が出ない代わりにリディは頷いてみせる。周りはそれぞれが一組のペアになって踊りだしているのにこのまま立ち竦んでいては邪魔になるだけだった。

 すると、ジェイドにぐいっと手を引き寄せられてしまい、彼の逞しい腕にふわりと包み込まれると、あの日に感じた香りが鼻孔をくすぐった。

 やっぱり、とリディは顔を上げた。

ジェイドは勝ち誇ったような表情を浮かべていた。

「どうした。花嫁候補のお嬢さん。これも試験の一つになるんじゃないのか」

 紳士を気取っていた彼はどこへいってしまったのか。いきなり砕けた口調でからかってくる彼に、リディはむっとする。彼の豪傑な様子もまたあの間者の姿をした彼を思い起こさせるものだった。

(あのあと捕まらずに済んだのね……)

「あなたこそ、堂々と顔を見せるくらいだもの。わざわざ私の口封じでもするつもりで声をかけてきたの?」

「あいにく目的はそれじゃない。そのつもりなら忍び込んだあの日に実行していたと思わないか?」

 非力な令嬢相手に計略を隠すほどではないと考えているのか、ジェイドのさらっとこぼれる物騒な発言にリディの方がどぎまぎしてしまう。

「……じゃあ何だというの?」

「ここにいるご令嬢たちはまだ花嫁の卵らしいからな。本物の花嫁あるいはこの国の王女ならば、この隙にどさくさに紛れて攫っていくのもやぶさかではないのだが……」

 剣呑な眼差しを覗かせた彼に、リディは身を強張らせた。彼はやはり何かを企んでここにいる。そんな気配を察してしまったからだ。

「あ、あなたがもしも何か怪しい動きをしたら、私がここで大きな声を出すわ」

 リディの警戒した表情を見たジェイドは何がおかしいのか、くっと喉の奥で笑いをかみ殺した。

「やれるものならばやってみるといい。だが、いいのか? そんなことをすれば貴国の王太子殿下の品格を落とすことになる。おまえは現在そういう立場にいるのだろう」

「……っ」

 そう言われてしまえば何も返す言葉がない。きっとただの令嬢であるリディの言葉よりもオニキス王国の王太子である彼の言い分が信憑性のあるものと判断されるだけだろう。

 皮肉にも、リディは父がなぜ身分や地位について拘るのかをここで思い知った気がした。 身分や地位というものは、つまりその人の剣となり盾となるもの。しかし隣国の客人である王太子と比べたら脆い布のような頼りないものであるに違いない。

 悔しくて戦慄いたまま睨むと、ジェイドはますます愉快そうに微笑を浮かべるだけだった。それも絵になるような雰囲気を持っているから余計に悔しくなってしまう。

「いい表情だ。そういう素直かつ強気な女は嫌いじゃない」

 ジェイドは不遜な物言いをしたあと、リディを観察するように眺める。出会ったときから彼はそんなふうに値踏みをするかのように見る。まるで彼にまで花嫁候補の資質を審査されているみたいで落ち着かない。

「私をあなたの玩具にしないでほしいわ。あのとき……あなたのことなんて助けてあげなきゃよかった」

「さっきの花嫁を攫うといったのは冗談なのだが。おまえが勝手に早とちりをして本気にとっただけだ」

「だったら、タチの悪い冗談だわ。あなたの顔、ちっとも嘘に見えないもの」

 間髪入れずに反論すると、ジェイドはまた喉の奥で愉しげに笑った。

何が楽しいのか、リディにはちっともわからない。

「おまえにとっては残念かもしれないが、俺はおまえに会えたことだけでも僥倖だと思っている。なかなかに見目も好みだ。ずっと側においておくのだから、おまえのような愛らしい者の方がいい」

 いきなり熱っぽい視線を向けられて、リディはどきりとする。簡単に翻弄されてしまう自分が悔しくて、目の前の彼をきっと睨んだ。

「私を箱入りのお嬢さんって散々子ども扱いしたのに口説くの?」

「ああ。おまえの純粋無垢さは好ましい。そうやっていちいちムキになるところも面白いしな」

「面白いって……私はあなたにどういう評価をされているの?」

 リディは思わずため息がこぼれた。

「おまえは、生かされているのではなく生きている、という気がする。退屈しないという意味だ。このまま許されるなら攫ってもいいくらいには気に入った」

 実行しようと思えばできるという自信。だが、彼は実行する気がないからこそ悪戯にリディを翻弄しているのだ。要するにからかわれているだけ。そんな彼に呑み込まれないように睨むだけだった。

「リリーというのは偽名だろう。おまえの本当の名は?」

「あなたに教える必要なんてないでしょう?」

「礼儀は大事だ。偽証罪に問われたくないのならば」

「呆れた」

 城に間者を装って忍び込んだ彼が言えた口ではない。だが、今のリディでは圧倒的に不利なのは認めざるを得ない。きっと彼は教えなくてもいつかは情報を入手する、そんな揺るぎない意思を感じさせられてしまう。

「リディよ。リディ・ヴァレス」

 結局、リディは観念して本名を彼に告げることになった。

「……リディ。今夜の宴が終わっても覚えておこう。どこか懐かしいような、いい響きの名だ」

 ジェイドは満足したように微笑んだ。

「懐かしい? きっと前にも同じこと言っていたからだわ。リリーでもリディでも名前なんてなんでもいいんでしょう? そんな適当なことをいうあなたに私は縁なんてないと思うの」

 そう、彼に構っている場合ではないし、もう余計なことに巻き込まれたくない。自分にはやることがあるのだから。捲し立てるようにリディが言うと、ジェイドは今度は静かに微笑んだ。

「だが、ここで二度会ったことは事実。運命が許せば、また会うことになるだろう」

 目を細めた彼のその奥には何かの企みが浮かんでいるように見えた。

 それは――。


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