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第二話 拳《さつい》の行方

天野作晃(あまのさくあき)やその他大勢の葬儀から三日遡り、そもそもその葬儀をやらねばならなくなった訳である“その日”の遅い時間の事である。


各所に支部を持つ現代の忍組織、迅徒ハヤト。その関東支部の上層の会議は非常に混戦の様子であった。


「ようやく真醒者が現れたという事だ!取り込まない手はないではないか!」


上層の面子の一人がそのように言った。


「馬鹿を言え!一般人からそんなのを抜いたと知れ渡れば、他の支部からの侮蔑はそれこそ強まるばかりだぞ!」


別の男がそのように言った。

判断に迷う出来事は誰しもあるものである。そのそれぞれが、“何か”が大事で、それがかわいくて仕方ないばかりの状況というのもよくあるだろう。


「一般人とは言ってもだ。いくら“元”とはいえれっきとした迅徒構成員の息子なんだ。血統に問題は無い。ゆえに」


しかし、その“かわいい何か”が、こと“自分”であったありそれにまつわるのなら、衝突もまた起こるものだ。主張を遮ってもう一人が言う。


「いや、そもそも――」


その言い争いを、八首の手拍子、パチンと大きく手を鳴らすその行為が、話を進めようと諭すようにした。


「ええ、皆さまそれぞれの立場がおありでしょうから、結論には慎重を喫したいであろうという事は、わたくしも承知しております。はい。

承知しておりますが……しかしながら、我々がこうして言い争っている間にも、敵は計画を着々

と進行させており、今回に至っては遂に現実の事として、多くの犠牲者を出した。我々は後手を踏み、今こうして、ああだこうだと話をしている。それこそ面目などとうに潰れ尽くしている。つきましては、いかが思いますか、皆さま?」


やや皮肉めいた言い方や表情をする八首。それを見る男たちは、釣られるように微妙な気分になる。何か間違った事を言った覚えは誰も無い。一方でまた、八首の説教に対する反論も持ち合わせていなかった。


その、説明の難しい気まずい空気を作る事自体が目的だったのか、八首は直後に、また柔和な、見慣れた彼の表情に戻る。


「ですから、ここは一旦、私の船に乗っていただくというか……まぁそう、いい大人たちがこぞって、将来を棒に振りかねないバクチなど、若人には顔向けできんものですが、それでもここは一度、彼自身に実力を示してもらうという方針を、一旦の結論にするのはいかがでしょう?なに、私の我儘でもある。これをやって、皆さまがどうこうという事も無い……」


八首はそう言いながら、その喉の奥には、もっと膨大な言葉がつっかえていて、それでいながら飽くまで“大人の態度”を貫いているようだった。


そういう裏話があったのも一旦忘れ、表舞台では、天野純弥が決断を迫られ、そして自分の道をようやく決めたかという時分である。


「さて……純弥くん、ようこそと言っておいて無粋な話ではあるが、迅徒は色々な意味で特殊な組織だ。そこに入るのが本当に正しい選択か、まあ、所謂適正診断というのかな、体力測定、障害物走、手裏剣術、座禅なんてものもあるが、ともかくこなしてもらう必要がある」


八首から説明を受ける純弥。純弥は何かと感性が敏感なところがある。八首だろうがそうじゃなかろうが、喋っている相手のちょっとした、態度の綻びのようなものには、結構な頻度で気付く事がある。

迅徒。純弥がこれから入ろうとしている組織の名前。迅徒。現代の、シノビ。であれば、その迅徒で、恐らく結構偉いのであろう八首が、純弥より鈍感な訳も無いだろう。


「……失礼、謝るよ。もっとはっきり言おう。要するに入団試験だ。今言った事も嘘ではないが、どの項目もきっと、想像以上に過酷、過密なものだろう。そして、これは本当に、本心から君の為の施策なのだが、私は君を買っている。だから、本来迅徒に入団する者が一年かけてクリアする試験を、君には一ヶ月でやってもらおうと思っている。なあ純弥くん、その方が、いいだろう?」


当然、願ったり叶ったりだ。

その方が、早く暴れられる。復讐心の赴くままに、敵を、討つ。


「はい」


純弥はそのように返事をした。


勉強においては元々優秀だった。筆記試験などを難なくクリアしていく純弥だが、格闘術の実技になった時、純弥は少々苦戦した。

格闘というか、喧嘩ができないわけではなかった。しかし、純弥の頭を邪魔するものがある。いわゆる邪念だ。邪念。そうだ。今挑んでいる試験を全てパスしたら、晴れてスピード入団できる。しかし、ひとつでも落としてしまうと、最低でも一年、入団はお預けになる。

一年?つまり、待てるなら別に構わないということか。それはそれで。

邪念とはそういうものだった。思考の逃げ道は余裕を作るが、そういう余裕は純粋な怒りを冷ましてしまう。心は冷え切り、冷静沈着。目の前にいる敵が敵に見えなくなる。

だって実際、目の前にいる訓練相手は、ただ髪の長い、眼鏡の男性だった。

怖くない。全く。憎くもない。全く。形式的に格闘らしき事をしているものの、そこには純度の高い感情は見当たらなかった。


「だめですね。純弥くん、集中できていないでしょう。少し休みなさい」


そう言われて、純弥は何故だかホッとしてしまう。劣等の評価をされたにも関わらず、ハードルを落とされて、実質的に恩赦を受けたような。そんな気分だ。

ああ。

覚えがある。この感覚。いうなら「サボり癖」だ。怠惰で、劣等で、そんな自分が、そんな自分のことが。


「えっ?」


ぐるん、と景色が変わるようだった。たちまち目の前は燃え盛り、煌々と輝く怒りがこみ上げてきた。

何が起こったか。目の前の相手が言ってきたのだ。曰く、純弥は復讐には向いていないと。

どういう意味ですか。一旦は冷静に尋ねてみた。しかし、返ってくる続きの言葉は、いよいよ純弥を挑発した。


「気を配り過ぎ。真面目過ぎるね。それは逆に愚かしいもの。人間には本来素直な感情があるものなのに、君はそれに蓋をしている。そういうのってさ」


その次の一言は、急転直下、一直線に純弥を刺しにくるようだった。まるで狙ったよう、いや、狙ったのだろうが。


「カッコ悪いですねぇ、純弥くん」


カッとなる言葉を意図的に並べられた。わざとらしく、馬鹿らしい。しかし、純弥よりよっぽど綺麗な刃物だった。

一撃で敵愾心を煽られた純弥は、眼鏡の男に殴りかかった。そして、その時純弥の拳が狙った場所は。

眼鏡だった。割ろうとして狙っていた。何故そこを狙ったか。それは、眼鏡を割れば、ガラスが飛び散って敵に刺さる。下手をすれば失明する。そいつはそのまま能力を失い、不利な戦いを強制され、ことによっては、死ぬ。

それを、狙っていた。


「あっ……」


純弥は手を止めた。殴り、嬲り、破壊するには至らなかった。熱量、及ばず。


「そうだろう?純弥くん」

何がだろう。


今度は沈静作用をもたらす言葉がかけられた。冷静な会話だった。


「殺す……と君は考えたはずだ。であれば実際殺さねばならない。戦い、とりわけ決闘の本質、出所は殺意です。純弥くん、分かりますか?我々がやるのは決闘なんだよ。決闘の本質は殺意。言い方を変えれば、個人の都合で行われる。でも君は優しすぎる。周りに気を配りすぎ、仲間を作り、そんな君はとんだ勘違いだ。それは決闘ではありません、そうではなく――」


純弥は言葉を被せて言った。


「戦争……ということですか。俺がやっているのは」


組織的で合理的なもの。純弥がそういうと、眼鏡の男は頷いた。


「だからね、純弥くん、君に仲間なんていないんだよ」


そう語りながら、眼鏡の男はポケットから何かを取り出した。まるでスローモーションのように純弥の目に確認されたそれは、鉛筆だった。そしてそのまま、眼鏡の男は綺麗な動きで鉛筆を純弥に向けて。


「グチャグチャにしてやろうか?」


それ以上説明はなかった。だってそれは暴力だから。

体が引き締まり、緊張、臨戦の構えを取り。

吐きそうになった。


「純弥くん」


今度は優しい声だった。相手を気遣う声だった。


「めしは何度も出てきませんよ」


純弥は総菜パンを頬張った。食べるものは限られている。だからこそ食え、と渡された。


「純弥くん。さっきの言葉を訂正させてください。きみは復讐には向いているでしょう。今の足元のおぼつかなさ、浮つき具合も、磨いてゆけば光るかも知れません」


純弥は、ふと気になることを思い出し、尋ねてみた。


「そういえば、どうして俺の名前を?」


はは、と笑われた。


「きみは有名人ですからねえ。真醒者は……、おっと」


「それは、なんですか?」


「いかんいかん。君はまだ正式入団前だったね。この話はまた今度にしましょう」


眼鏡の男は笑っていた。そして、そういう所がきみの武器かもしれないね、とも付け加えて。


「ぜひ、構成員として仲良くしましょう。私は|御影晶景(みかげしょうけい)と申します」


純弥は礼をした。


「やはり果たしたいですか。復讐を」


御影が唐突に言ってきた。


「もちろんです」


純弥は即答した。


「安穏と過ごしてなんていられません。惨劇を見せられて、みんなを殺されて」


すると御影は諭してくる。


「むしろそれがお父様の願いだったとしても?君を遠ざけようとしてくれているかも知れませんよ?

あの惨劇は、むしろそれ以上のことを起こさないために」


複数の意味が内包されそうな言い方だった。純弥は少しばかり苛立った。


「何が言いたいんですか。復讐は間違っていると?」


「いいえ?むしろありきたり。なんとも思っていませんよ。そういう言い分で試験を受ける若者の前例は多い。しかし」


続けて御影は語りかけた。


「しかしやはりね、どうしても長生きのできない運命にはなりますよ。戦っていれば自然と数が減っていく。私は今年で三十七になりますが、同時期に入った者は誰も残っていません。もう二十年ほど経つ話です」


つまり御影は、十七か十八、今の純弥くらいの歳で入団したという事か。純弥は今の言い方が不思議だった。


「なら、俺も二十年生きてみせますよ。要するにそういう話じゃないんですか?」


御影はよく分からない眼差しで純弥を見てくる。その奥にはいったい何がある。


「さあね?そういう捉え方もあるかも知れません。しかし。百人いたら九十九人は死ぬ。それは即ち、戦うという行為によって、先人、先祖、英霊たちが、自分を護り生かしてくれた、その命を無駄にし、裏切ることに他ならない。いいんですか?そんなんで。言いながら悲しくなってくるが、本当にろくなものではないんですよ?」


純弥もそういう事が分からない訳じゃない。しかし、圧倒的にそれを上回る衝動があるのだった。

叩き潰してやりたい。自分が。自分の手で倒したい。エゴだ。でも事実だ。そうじゃないと、納得いかない。

理由を聞いてみたい。あいつらが惨い事をする理由を。どうであれ。そして、聞き終わったら。


そして、最後の試験の日がやってきた。内容は、夜叉との実戦である。

実戦とはてっきり、訓練用の偽物の夜叉みたいなものがいるのかと思っていた。しかし実際そんな事はなく、本当の本当に、現在悪さをしている夜叉と戦うのだという。


「ちょっとでも駆逐できた方が効率的ですからねえ。はは、まあそれくらいの心持ちで。泣いても笑ってもこれが最終試験。いいですね?」


御影にそう言われ、純弥は背中を押された気がして、送迎の車を降りて、森の中を眺め、そして向かう。

ゆらゆらと、ぬらぬらと蠢く影が見えた。

夜叉だった。


「があっ!」


変な声が出た。恐らくに咆哮に近しいものだった。純弥は、自分の腰にベルトを。大切な大切な隠牙いんがのベルトを装着する。


「超変化ッ……!!」


殴り、斬り、嬲り、殺す。戦い方、まだ自分の姿さえ、曖昧で確立されていない純弥、こと隠牙は、反撃を許さず、何もかにも制圧せよという気概で夜叉に襲い掛かる。


〈こわい!〉


その時、そんな声が聞こえた気がした。戦闘の現場で、それは誰のものだったか。


「はっ、はあ、はあ、ぐっ……」


ぴきっ、と頭痛が走るようだった。何故だか息が上がってきた。こんな程度で倒れる体ではないはずなのに。

何を躊躇っている?こいつは敵だ。敵なんだぞ。討つべき敵。ならば何故手を緩める?攻撃を、しないと……

彼らは……


「彼らは」「そう彼らは」「元人間だ」「そう元人間だ」「罪のない」「なんの罪のない」「罪の、ない」

形容しがたい不快感が隠牙を襲う。


「なんの罪もない一般人が夜叉に変えられたんだよ」


そういう声たちが頭をガンガンと鳴らした。反響し、フラッシュバック。マイナスな気持ちが、襲ってくる。

罪悪感。


「うがあぁぁっ!!」


それらを振り払うように、隠牙はひときわ力を込めて夜叉を殴り飛ばし、壁に叩きつける。その腕力や眼光も、既に人間のものではなかったようにも見えた。

夜叉が一瞬動きを鈍くする。その隙に隠牙は腕を交差させて、マッチを擦るような動き方で左腕を引く。すると、同じくマッチの着火を想起させるように、右肘の辺りから火花が散り始める。

これが、隠牙必殺の構え……!

右肘から拳まで、導火線を昇るように火花が拡大する。それが確かに確認できた頃に、隠牙は夜叉に向かって突進、駆け出していた。

歯を食いしばり、力をこめる。他に説明のしようがないくらい、極めて物理的な打撃を夜叉に仕掛ける。その時だった。


「ごめん……な……り……」


そんな、声が、夜叉から聞こえた。

誰かの名前を呼んでいるようだった。その名前に聞き覚えがあったからか、それか、夜叉に堕ちようとも人を想う姿に感化されたからか。隠牙は緩んでしまった。たちまち力は抜け、変身が解けてしまった彼は、精一杯敵を倒そうとするも、相手の頬をペチンと殴っただけで出力を止めた。


「グルルァッ!!」


その大きな油断、隙を夜叉が許す訳もなく、圧倒的に強すぎる反撃が、人間の純弥に襲ってくる。


「そこまでっ!」


御影が割って入ってきて、夜叉を睨みつけてやると、巨人に脅される小動物のように、夜叉は森の中へと逃げていった。


「試験は終了です。では添削といきましょう。近接戦闘力については非常に秀でたものだと考えられますが、それ以外がまるで練度が浅い。純弥くんには特別に、理由を説明した上で結果発表をしてあげましょう。順番に挙げますよ。まずメンタルの安定性、及びそれに付随する『P霊子』の安定度。そしてやはり、戦意の喪失により変身が解けてしまったこと。おまけに、危機的状況に陥った際の援護要請も無し。総合して、甚だ好ましいものではありません。そんな感じです。ここまで言えば、もう分かりますね?


純弥くん、迅徒入団特殊カリキュラム、不合格です」


終了だ。


帰りの車の中。純弥は窓の外を眺めていた。特別何かあった訳ではないが、森を抜けて街に戻ってきた時、その明るさに温かさを感じた。

ずっとこれが続けばいいのに。自分のこんなエゴなんて必要ないように、平和が続いてくれればいいのに。


「純弥くん」


御影が話しかけてきた。


「きみが復讐に向いてないと言ったのにはこういう理由もあるんです。要するに、その場で何か悪さをした奴を殺す事はできたとしても、それ以外の、本来関係無いのに利用されているような雑魚や虫けらに、きみは暴力を振るう事ができない。それくらいにはきみは優しい。そうでしょう」


純弥は黙って話を聞いていた。色々な気持ちを整理している最中だった。


「純弥くん、別に道はひとつじゃないんです。簡単に例えるなら、前に出る戦闘要員ではなく、暗号を解読したり、敵の拠点を特定したり。そういう裏方の仕事も迅徒には存在する。その役目だって立派な戦いです。まあいずれにせよ、君にはこれから、一年間の通常カリキュラムが待っているのです。その間によく考えるといいでしょう。自分の居場所、適したものはなにか」


その夜純弥は眠れなかった。朝になっても眠くならず、気が付いたら夕方にまでなっていた。夕飯を買おうとコンビニに行った。が、すると今度は帰る気になれず、公園のベンチでボーっとした。なんだか、萎えているようだった。


突然。足を誰かに蹴飛ばされた。公園で他人の足をわざわざ蹴りにくるなど、不良にでも絡まれたか。面倒だ。


「こいつゼッタイわるいやつだ!あっちいけ!えい!えい!」


「え?」


見ると、四歳か五歳くらいの男の子だった。


「こら何やってるの!あっ、すみません!うちの子が、あっちょっと!」


母親らしき者が止めようとするも、男の子はずるずると引きずられながら、純弥に向かってじたばたと暴れた。


「こら!勉強はどうした!若いモンがなーにシケたツラしてんだ!おとなしくっ、帰れっ!わるいやつめ!」


誰の真似をしているのか知らないが、最近覚えたような言葉で純弥を罵倒してくるその子。

男の子のヒーローごっこだろうか。

純弥はその子に近づき、目線を合わせて対話を試みる。


「やあ、俺は純弥。きみは正義のヒーローかい?名前は?」


その男の子は、健一と名乗った。


「健一くん、野菜は好き?ピーマンは食べられる?」


「なんだと!あんなの食べなくても死ぬ訳じゃないもん!ずるいぞ!野菜攻撃!」


なんとも可愛らしい子供じゃないか。純弥は、はははと笑って健一に諭す。


「俺もちっちゃい頃そう思ってたよ。でもそうやって好き嫌いしてたら、ほらみろ、チビになっちゃった」


ほえぇと声が出そうにぽかんと口を開ける健一。コメントに困ったか、下を向いた。


「健一くん、でっかい男になろうぜ、それできみは何を守るんだい?ヒーローとしてさ」


健一は大きな声で答えた。


「ママだよ!ママを守るの!パパがしんじゃったから、おれがママを守るんだよ!」


聞くと、その親子は最近越してきたばかりで、道に迷っていたらしい。母親が困り果てている姿を見たのか、男の子は冒険を始めたという感じだそうだ。

純弥は、道案内をすることにした。


他愛の無い話をした。すると純弥の心は少し穏やかになるようだった。そして思った事がある。自分は虫が良すぎないかと。世間の皆、色々ありながらも頑張って生きているのだ。それこそ、腹が立ったり嫌だったりしても頑張って抑えて。

しかし、復讐心に任せて自分だけ特別な云々かんぬん、そうだよ、都合が良すぎないか。

父が自分に残してくれた、まぎれもない自分の命。既に一回、それを危険に晒している。馬鹿というかなんというか、ともかくも自分は向いていない。それはもはや明白なんじゃないか。

迅徒へ入る事を、諦めようかとさえ思った。その時である。


「ねえ、ママ。あれなに?でっかいカラス?」


健一の指の先の、上空に見えたのは――


「伏せろっ!」


咄嗟に純弥は親子二人を地面に引き倒した。すると、その上の低い位置を、コウモリの夜叉が通り過ぎて、旋回してまたこちらに向かってくる。

仕方ない。許可は得ていないが戦おう。そう思った。しかし。


「えっ?」


純弥たちは走る。そして純弥は御影に電話をかけ、救援を要請する。


「夜叉に襲われています!その上なんでだか、変化ができなくて!どうしますかっ!!」


すると、向こうも向こうでなんだかバタバタしているようで。


「純弥くんっ!向かいたいのは本当なんだが!すまない!」


「えっ!?」


御影は苦い顔をした。


「くそっ!」


純弥と別の場所で、御影は大量の夜獣と戦闘に入っていた。

内通者がいる。御影はそう思った。純弥と自分を、このタイミングで引き離すように。いや、しかしそれよりも今、思うのは。


「偉そうな口を叩きながらこのザマか!くそっ!」


助けは来ないと知った純弥は覚悟を決める。健一とその母に一言だけ断って、精一杯に自分を鼓舞しようと、純弥は叫んだ。


「うおおぉぉっ!!」


そして夜叉の意識を少しでも自分に向けるため、真正面から突っ込んで行った。


「な!」


しかし夜叉は自分を素通りし、背後の母子へ襲いかかって行った。

その瞬間、健一母は我が子を突き飛ばした。


自分と父の、焼き直しが起ころうとしていた。


人間は危機に瀕した時。本当の本当に危ない時。普段とは違う、腕力であったり精神力であったりが、誰しも発現する事がある。

理屈としてはそんなところだろう。


兎も角、巻物は一瞬にしてベルトに変化し、それによって高まった脚力をもって、健一母と夜叉の間に割り込むことに成功し、夜叉を突き飛ばすことが出来た。


「ごめんなさい。危ないことさせて。今度こそ大丈夫だから、そこでじっとしていて下さい」


そう言って健一と母を引き合わせると、再び蝙蝠の夜叉の前に立つ。

地面を踏みしめ、今度こそ確固たる意志を持って、叫ぶ。


「超変化ッ!」


玄い煙幕に包まれ、その向こうから金色の光が放たれたと同時、右腕を振り下ろして煙幕を吹き飛ばす。

今度は、うまくいった。


「うううううぉぉぉああああああああ!!」


夜叉に駆け寄り殴りかかるが、飛翔して回避した夜叉はそうそう簡単には仕留まらない。次にクナイを投げて攻撃するが、あっさり弾かれたそれはコンクリートに突き刺さった。

しかし隠牙はこれくらいで止まらない。斜めに刺さったクナイを足場にして跳躍し、ぶぅんと飛び回る夜叉に追い付いた。

夜叉に拳を入れようとした。しかし夜叉は、すんでのところで上に飛び、反転、旋回して、隠牙の背中を狙ってくる。


「うおぉぉッ!」


しかしそれを隠牙は読んでいた。

脚からジェット噴射のように炎を発生させ、空中で反転、夜叉の背後を捉え返し、今度こそ逃がさぬとばかり、隠牙は、夜叉の首筋と翼に掴みかかった。

そしてそのまま満身の力を込め、夜叉の背中を踏み付け、


「がァッ!」


コウモリの翼を、引き裂いた。

夜叉は蹴られた勢いのまま地面に落下し、逆に隠牙はスタっと地面に降り立った。

そして両腕を交差させ、火花を発生させる。

必殺の!構え……!!

叫び、吠え、全速力で夜叉に向かってゆく。

導火線を昇るように拳に集まった火花が夜叉を蹂躙する。苦し紛れの反撃も許さず、隠牙は夜叉の腹に穴を空けた。


「ありがとう……」


まるで人間のように、夜叉がそんな事を言った。


「私にも娘がいるんだ……よそ様の家族を餌にするような事をしたら、本当に私は私じゃなくなってしまう……合わせる顔なんて無い、だから、ありがとう……」


言い切る前に、夜叉は煙草の吸殻のように、干からびてボロボロになり、崩れていった。


「だっ、大丈夫ですか……!」


健一親子の方を振り返る。しかしなんだか二人の顔色は悪い。まるで怯えているような。

何に?俺に?

純弥はなんの気なしに横を向くと、夕暮れに佇む自分の姿を、薄汚れた鏡が映し出していた。


「あ……」


その姿は血塗れ。さらに大きな深紅の双眸が、おどろおどろしさを助長している。それに、色々な葛藤を振り切るためにしょっちゅう叫んでいた気もする。

ヒーローだと言えなくもないその容姿も、親子から見れば、さぞ歪に見えたことだろう。

それも仕方ないことだと、溜息をつこうとしたその時だった。


「あ、ちょっと健一!」


健一は、ガタガタと震えて半べそをかきながらも。それでも前に出て両手を目一杯横に広げて、母親を守ろうとしていた。


「……クスッ」


それを見て微笑を漏らした純弥は、サムズアップしつつ精一杯明るい声でエールを送ってやるのだった。


「その調子だ」


「え?」


「守ってやれよ。ママのこと」


そして踵を返し、戸惑っているであろう健一を残して歩き去っていった。



いくらか時間が経って、初めて見る壮年の男と一緒に、御影が駆けつけてきた。


「本当に申し訳ない。結局きみを戦わせてしまった」


「いいですよ。もう御影さんも分かるんじゃないですか?敵は、俺を戦わせたがっている」


「ああ、そのようで。試験の結果を一旦置いたとしても、ここで戦えばきみは自分から罠に飛び込むことになりますが」


「やらせてください」


純弥は即答した。


「……わかったよ。分かりました。いいでしょう。純弥くん、きみはーーー」


「ええ、これで大手を振って復讐に邁進できる」


「え--」


迅徒入団。それを例外的な形で言い渡されそうな時、遮るようにして純弥は言い放った。


「何を驚いてるんです? 俺は目的を変えたつもりはありませんよ。ただやり方を変えただけです。

夜叉たちを始末していくことで、まあ、たまに誰かを救うことがあるかも知れない。

けどそれは所詮オマケです。重要なのは、俺自身が奴らを倒し、力ずくで真相に近づく事。

そうそれがーーー

それが俺の復讐です……!」


〈そうだ。忘れるなよ天野純弥。お前はそんな正しい戦いなんてできないってこと。

誰かを守るなんて大それた事。そんなことができる器なんかじゃないってことを〉


ーーーくっ、ヒヒヒヒヒ。アッハハハハハハ!


ひと月前に夢の中で聞いた、赤ん坊の泣き声。

それより昔から脳裏に刻まれた哄笑がリフレインする。

頭が痛くなった。早く休もう。そう振り払うように純弥は立ち去ろうとして御影の前を通り過ぎようとした。


「あ、すまないけど、話はまだ終わってないんですが」


「だハア!」


殺伐としていた空気が、純弥の奇声と共に霧散した。

初めましての男が御影をなだめる。


「おいおい可哀そうだろう。一世一代の決め台詞だったのに、ぶち壊してやるなよ」


「いや、私そういうの気にしない質なので」


「今お前の質はどーでもいいんだよ! 大体お前は何時もーーー」


「~~~~~っ! 何ですか話ってえ!?」


色々ぶち壊しにされて顔真っ赤の純弥は叫んだ。

そうそう、おふざけはこの辺にしてと、と真面目な顔付きに戻った御影はその場で術を唱えた。


「口寄せ。登録番号22-9870」


すると、とても見覚えのあるバイクが現れた。


「ああ!父さんの!」


「そうですそうです。純弥くんの為にお預かりしていました。暫くはこれを使いなさい。私も似たようなもので帰ります」


御影は、横にいる男に目配せをした。するとなんと、その男が姿を変え、体長二メートルほどの龍になった。


「こういう素敵なものも、じきに配属されますが、少し遅れているのでご勘弁を。さ、行こう行こう」


暫くはバイクが足になる。純弥は満更でもなく、父の温かみが残るバイクを撫でた。

電子音が鳴り、連絡が来た。


「通達。ポイントCB-1Hにて夜叉の出現を確認」


急行せよ……!


「純弥くん、申し訳ないが今夜は忙しくなりそうだ。いいかね」


「はい!」


バイクのエンジン音が鳴り響く。

行けっ……!!


2台のバイクは、たちまち夜の闇に溶け込んでいくのだった。



翌朝。とある母子家庭の少年が、嫌いだったピーマンを克服したという。

                                                                                  九七


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