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第1章第25話

 二月十四日。急に処理が必要な案件が二件、直接舞い込んできた。一輝さんと手分けしてさばき、午後いちで済ませることができた。それから夕方まで、彼は来客対応、私は各部署からの問い合わせに返答しつつ、翌週の準備。

「俺が遅くなったら、明田にホテルまで送ってもらえ。一人で動くな」

 そう念押しされていたけど、一緒に退社して映画館に向かうことができた。途中、彼に電話が入った隙に、お気に入りのショップで買い物。小さく包んでもらい、サッと鞄にしまった。

「何か買ったのか?」

「ええ、ちょっと」

 店頭にはチョコしか並んでいないから、バレバレだと思うけど!


 映画は期待以上で、私は冒頭に監督の名前が出ただけで涙ぐんだ。脚本も音楽も、大好きな人。主演も脇の人たちも、主題歌も、すべてが最高だった。

 興奮冷めやらぬまま、予約しておいてくれたバレンタインディナーへ。一皿ごとに、感動の声を上げずにはいられないかわいいお料理。食べてみると、見た目に反して大人の味。洋酒がたっぷり使ってある。今夜は移動の必要はないから、飲み物もお酒。夜景を背負った一輝さんは、どのビルの明かりよりも輝いている。

 デザートが出てくるまでのわずかな間に、今しかない、と赤いリボンの包みを差し出した。

「一輝さん、これ」

「……俺に?」

 包装紙はピンク色。金色のシールに書かれた文字を見るまでもなく、中身は一目瞭然。

「さっき、私が買ってた売り場、見たでしょう?」

 彼氏がいないのは知ってるでしょ。あなた以外に誰に買ったと思ったの? っていうか、早く受け取ってほしい。信じられないっていう目をしていないで。

「ありがとう」

 やっと受け取ってくれた。うん、嬉しそう。よかった。チョコ売り場、ここ数年は素通りしてた。久しぶりに、あげたい人のことを考えて眺めた。楽しくて、自分の中の『何か』が生きていたことに安堵した。

「あ、あの、深い意味はありませんからっ……ただ……ああこういう時期なんだなーって……あとこれ、よかったら使ってくださいっ」

 新しいハンカチ。借りていたハンカチも、洗ってアイロンをかけてラッピングした。

「気にするなと言ったのに。ありがとう、嬉しいよ」

 ハンカチはすんなり受け取ってくれた。もしかして、バレンタインに女子からチョコを贈るイベントに馴染みがない? 

「いや、反応が遅れて悪かった。チョコを選んでいるのは電話をしながら見ていたんだが、矢崎にでも贈るつもりなのかと」

「何で真夜さん?」

「最近はそういうのが流行っていると聞いた」

「ああ、女性同士でっていう」

 それで、自分あてじゃないと思ったんだ。

「えーと……深い意味はないと言いましたが、何もないわけではなくて、ですね」

「うん」

 タイミングを見計らっていたデザートの係の人が、もう少し待とうかなという素振りを見せた。ごめんなさい、本命の告白じゃないんです。

「今年、私があげる相手は……あなたしかいないので」

 ん? これでよかったかな? ニュアンス、伝わるかなあ。デザート係さんも、ほかの店員さんも緊張してこのテーブルに注意を向けているのはなぜ?

 一輝さんは……花が開くように笑顔を咲かせた。近くの席のお客さんから歓声が上がった。

「灯里」

「はい」

「俺にほかに相手がいるんじゃないかと、疑っていたのは知っている。いや……今も、かな?」

 うっ。気付かれてた。

「それは……」

「今夜、俺は誰と夕食を共にしている?」

「私、です」

「それが、答えにならないか?」

 答え、ねぇ。ならないことはない。バレンタインの夜に放っておかれたら、いくら本命彼女とはいえ怒るだろう。振られる可能性大。そこまでの危険を冒して、偽装婚約者を優先するだろうか。彼は、人の心を大切にする人。友人たちの間では、不器用で通っている。光り輝いてはいるけれど、光源氏タイプではない。

「俺たちは、まだ出会って間もないが……信じてもらえると嬉しい」

「信じる……」

「俺が受け取るバレンタインのプレゼントは、灯里がくれるものだけだ」

 あ、それは知ってます。今までは特に制限していなかったから、秘書室に預ける人が多くて大変だったって、真夜さんから聞きました。

 今年は、四日前に通知がまわったとか。一輝さんの名前で、「返せないのに受け取るわけにはいかない。あとは察してくれ」という文面で。「ほんっと、こういうところがポンコツなのよね」と真夜さんが同意を求めてくるのを、否定できなかった。昨日の話だ。その時、「灯里ちゃんのは、受け取ると思うわよ。これ、下のフロアに向けてのものだから、気にしないでね」と言われた。

 周りの席の人たちが、一輝さんを応援している。私には、「信じるって言ってあげて」と声が飛んでくる。言わないと収まらないようだし、デザートも食べられない。そこで、私は口を開いた。

「わかっています。信じていますから、大丈夫ですよ」

 おおっと歓声が上がる。拍手も沸き起こった。「おめでとう!」の声が広がっていく。一輝さんは深く頷き、私も頷いた。周囲に盛大な誤解が生まれたようですけど、これも狙い通りなんですよね?



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