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第1章第19話

 夕食は、星空の下で。

「ロマンチックですね」

「好きだろ? こういうの」

「はい。映画みたい」

 彼の友人の、拘りのお店。温かいものを食べつつ、お寿司かお刺身もひと口あるといいなという私の希望にぴったりのメニュー。都心からそれほど離れていないのに、森の中の一軒家で、外国の童話の表紙絵みたいな佇まい。天井が凝っていて、用途に応じて開閉したり、好みのスタイルにしたりできる。今夜は透明の屋根。降るような星が、私たちを見つめている。

「お料理もおいしいです」

「灯里もいる。極上の時間だ」

 グラスを傾ける姿は、中身がアルコールではなくても絵になる。とろんと零れてしまいそうな瞳。

「ノンアルコールで酔ってます?」

「ノンアルコールでも酔える……この状況なら」

 夜空の邪魔をしないように、室内の明かりは抑えられている。半個室だから人目は気にならないし、ほかに数人お客さんがいるけど、席は離れている。つまり、偽装の必要はあまりなさそう。なのに、彼は全力で甘い空気を醸し出してくる。彼の席は丸テーブルの向かい側。触れてくるわけでもないのに、抱きしめられている時に近い感覚。

「一輝さん、才能豊かですよね……」

 結婚詐欺とか、ホストとか。経験したことはないけど、こんな感じなのかもしれない。

「恋に落ちる才能?」

 声までとろけてる。その手には乗らないんだから。

「落ちちゃ、駄目でしょ……スパイ映画で時々ある、窮地に陥る展開ですよ」

「違いない」

 なおも見つめてくる彼の眼差しに絡めとられて、また魔法がかかる。もったいないことに、最高のお料理や口当たりのよいソフトドリンクが、味が感じられなくなってくる。星が、空じゃなくて彼の周りで煌めいている。

 何重にも魔法をかけられたら、解くのが大変そう。そういえば危ない目に遭う人がこんな寂しい場所に来て大丈夫なの? そうか、あの屋根は防弾ガラスで、店主の吉野よしのさんは世を忍ぶ仮の姿、実は豊宮グループを守るSPだったりして……。

「……おめでとう!」

「内緒だぞ。まだな」

「わかったよ。この幸せ者!」

 ……ん?

 妄想にふけっているうちに、目の前にいる男性が二人になっていた。吉野さんが一輝さんと話してる。

「戸倉さん」

「あ、はい。失礼しました。ぼんやりしてしまって」

「いえいえ。リラックスしていただけたなら何よりです。こいつ、こと恋愛に関しては昔から不器用でしてね。そうは見えないでしょうけど」

「はい。全然見えないです」

「言ってくれる」

「ハハッ、その調子ならうまくこいつを引っ張ってくれそうだ。よろしくお願いします」

「はい」

 会話の流れが、読めるような読めないような。吉野さんはその後、少し一輝さんと話し、私を笑わせてから、「では、結婚後もどうぞご贔屓に」と言ってテーブルを離れた。私の偽の婚約者さんは、デザートのチョコレートケーキを優雅に口に運んでいる。お行儀が悪いのは百も承知で、身を乗り出して顔を近付けた。

「ん? ほら」

「え?」

「口を開けて」

 言われた通りにし、甘いチョコレートクリームとほろ苦いスポンジをひと口、彼が手にしたフォークで食べさせてもらって……ちがーう!

「ここはケーキも評判なんだ。うまいだろ」

「……違うんです。あのですね」

 とってもおいしいけど、私は質問があるのっ。

「わかったわかった。ほら、もうひと口」

「んっ」

 二度目の「あーん」も受け入れてしまった。ああもう……。にこにこして、最高に機嫌がよくて、この人が指一本動かせば世界経済が変わるっていうのに、今は私のことしか考えてないみたいな顔して。

 やっぱり、才能ある。世界を騙す才能。

 姿勢を戻して、気を取り直してから静かに尋ねた。

「私たちのことを、お話ししたんですか?」

 嘘なのに。

「その目的もあって、連れてきた。あいつには紹介しておきたくてな」

 目的って、何。昼間は取引先をまわったけど、友人関係も紹介してまわるつもり? 話を広めるには効率的だろうけど。あなたはそれでいいの? 私に振られたことにするのか、あなたが振ったことにするのかわからないけど、終わりは必ず来るんですよ? ただの秘書と言っておけば、何か聞かれるとしても「あの子、やめたんだ?」で済むのに。

 不器用な人、って言った。吉野さんも、真夜さんも。

 一輝さん。あなたが本当に不器用なら、この始末をどうつけるつもりですか? 私は知ってる。『終わり』の悲しさ。何が足りなかったのかなって。会えなくなる、私の世界からその人がいなくなる。もういい、同じ思いはしたくない、誰も求めない……自分のささやかな生活を守っていければ、それだけでいい。

 臆病なのはわかってる。一輝さんは私とは違う、強い人だということも。でも、強いだけじゃないから。優しすぎるあなたは、たとえ偽物の恋でも、壊したらきっと自分が傷ついてしまう。

 ああ、そうか。

 だから長い間、偽装婚約に踏み切れずにいたんだ。 

 ひとつの魔法で、ひとつ、あなたのことが見えてくる。わかってくる。

 あと何個の魔法にかかったら、あなたの真実が見えますか?




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