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介護士として働いていた

今まで人生を立派に生き抜いてきた人たちが、どうして辛くしんどい思いをしないといけないんだろう。


「病気だから」

「年老いると大抵みんなああなるわよ」


これは利用者さんがしんどさを訴えていたので、先輩スタッフに相談したら返ってきた返答だ。

わたしはぶっちゃけると「あ?」と思った。ヤツ(先輩スタッフ)は他人事のようにサラッと言ってのけたのだ。ハリセンがこの手の中にあったら「なんでやねん!」って勢いよくぶっ叩いてツッコむのに。


なにを言っているんだろうか。

少しでも辛さが和らぐようにサポートするのが仕事なんじゃないだろうか。

それを承知で求人に応募して採用されてお給料もらってるんじゃないの。

職務怠慢すぎんだろ。減給されちまえ!



でも反論はできなかった。病気や老化の前では多くの人間は弱ってしまう、まいってしまうのだ。体調の管理表に記入してそれで終わり。訴えが続くようなら看護師に連絡。それで、終わり。

でもその正論で片付けていいのかな。わたしからしたらその考えは違和感が拭えなくて受け入れ難い。なんか、そんな冷血になっていいのか?長く勤務してたら慣れてそうなっちゃうのかな。だったらわたしは慣れとは無縁でいたい。


みんなそうなるってわかってんだったら、もっと真剣に考えないといけないんじゃないか。自分たちの未来から目をそらしてどうするの。それ思考停止状態って言うんじゃないの。

わたしはとめどなくあふれる疑問と苛立ちと切なさに飲み込まれていた。

利用者さんは、みんな誰かにとっての宝物でしょ。預かっている自覚と責任はないの。

かといって解決策を考えても、医療の進歩だとか新薬開発とか介護ロボット導入だとか、その辺りしか思いつかなかったしわたし一人が考えきれるテーマでもないと、思っていた。

反論なんてできなかった。


ただわたしの胸の内でふつふつ煮えるむかつくって感情を上手くまとめて言語化してこの人にぶつけることができたらなあ。ここが砂場だったら砂蹴ってかけてやりたいくらいだなあくらいには心はささくれて荒れた。

ふざけんじゃないわよ。



わたしたち介護士が利用者さんにできることはせいぜい、ご本人が安全に日々を過ごせるようサポートすることくらいだ。


「わからないの。わからないことが悲しいの」


出勤すると、毎日そう繰り返し言っていた利用者のおばあちゃんがいた。認知症の症状がある方だった。悲しさで顔をしかめて、両手で顔を覆って肩をカタカタ震わせるのだ。

辛いだろうな。わたしまで震えてしまうくらい感情が伝わってきた。どんどん忘れていくって、どれほど心細くて悲しいだろう。


わたしは背中をさすりながら「大丈夫ですよ」と繰り返すくらいしかできなかった。

無力だなと思う。どうしたらいいんだろう。なにができるんだろう。

テレビでよく見るあのコメディアンみたいに、人を笑わすトークスキルや飛び抜けたユーモアがあれば、利用者さんたちも楽しんでくれるだろうな。

人の心を読める超能力があれば、利用者さんがなにをして欲しいかガッツリ把握できるしできることなら全部やるのにな。

もし認知症が目視できて、やっつけたら症状が消えてなくなるなら、ギッタンギッタンにのして遥か彼方まで飛ばすのに。

そんな現実離れしたことを考えていた。

ひたすら無力だった。



ある時その利用者さんに


「あなたがいるといつもほっとするのよ」


と言われた。

嬉しくて反射的に顔がほころんだのを覚えている。唇がこれでもかってくらいVの字に曲がってたと思う。背中をさすって「大丈夫ですよ」と声をかけてただけなのに、貰っていい言葉なのかしら。

今でもわたしを支えてくれている言葉。生涯わたしの心をぽかぽか照らし続けてくれる言葉。思いだしたら小躍りしたくなってきた。

有り難いとはまさにこのことだ。


その時なんとなく、介護士としてのわたしがどうあるべきかわかった。たぶん、現場で働く人の数だけどうするべきか決まってくるんじゃないだろうか。

頭を抱えて考えても考えても答えは出ないと思っていたテーマのわたしなりの攻略方法は、

心を通わせた、血の通った人らしい交流だ。シンプルで、世界中で行われてることだし多くの人が望んでいることだと思う。

そうして安心を提供できる、そんな介護士でありたい。


今までの人生を立派に生き抜いてきた人たちが、どうして辛くしんどい思いをしないといけないんだろう。辛くしんどい思いをした人に、安心して健やかに穏やかに過ごしてもらうことが介護士としてのわたしのテーマだ。

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