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第四夜「融合」

 紅白から成る綱が出現した。

 光へ螺旋状に巻き付けると、等間隔で付いた鈴が遠心して鳴り、その響いた音で睡蓮の悲鳴はいとも簡単に掻き消されていく。

 今すぐにでも睡蓮の元へ飛び込んでしまいそうな昂だったが、その光景は瞬く間に消失。先程の立ち位置のままで、三人は姿を現した。


「睡蓮! 無事か⁉」

「は、はい。ですが……」


 二人は目を白黒させた。

 昂は睡蓮の足先から順々に、睡蓮は腰を左右に捻って自身の格好を確認する。


 肩が大きく開いたパーカーと、ミニスカートの上下。どちらも色は白だ。

 パーカーは着物のように袖下があり、その下部には袖口や裾と共に、黒地が直線に縫われている、いわゆるバイカラーの模様が入っていた。

 スカートは絹のような光沢と滑らかさを兼ね備えた生地で、全体にひだが付けられたプリーツ加工になっている。パーカーが太ももの辺りまで丈があるため、見えているのは裾が覗く程度。

 膝上まであるソックスは足袋の仕様で、赤い下駄の鼻緒には鈴が付き、睡蓮が足を運ぶ度にしゃんしゃんと音を鳴らす。


「これが融合というものなのですね」

「って睡蓮! 頭に付いてるのって!」


 昂は、睡蓮の頭上に生える尖った二つを見て驚く。それは昂の声に反応するように動いた。


「へ?」と、きょとんとする睡蓮の両脇から、同じものを生やす狐たちが答える。

 狐たちも装いだけでなく、幾らか背も伸びて心なしか顔付きも大人っぽく変化していた。


獣耳けもみみ~。毛色は巫女さまの髪そのままの黒だけど、ボクたちとお揃いだね♡」

「ああ。それにこの絶対領域、サイコーかよッ。しかもオレ色なんて、かっわい~♡」


 白狐は右耳を、黒狐は左側からスカートとソックスの間に出来た隙間を、同じタイミングで突っつく。


「ひゃあ」

「こ、こらっ。ツンツンするな!」

「昂。気持ちはわかるが、お前も怨霊を迎え撃てるよう心を備えろ」

「フン。屋敷にも近付けない、低級霊ばかりのようだがな。挨拶代わりと言ったところだろう。だがこちらの力を知らしめるのには都合が良い。では陽の巫女、行くぞ!」


 そう言って太秦は魔法陣を展開させた。壁や装飾品など、室内を構築していたものは全て窓外にあった風景へと入れ替わる。


 床まで透け始めると、昂と睡蓮は慌てふためいた。足元に空が広がったからだ。

 ここが宙に浮かんでいたという事実よりも、地面に真っ逆さまに落ちてしまうのではないかと二人は恐怖していた。

 しかし橋が架かった。地に足が着くと、睡蓮は呼吸を整える間もなく狛に抱きかかえられ、その橋を駆けていく。

 渡り切ると、光で出来た柱のようなものに飛び込んだ。そして浮遊しながら、睡蓮たちは地上へと降り立つのだった。


 辺りを見渡すと、遠くの方で紫の瘴気を纏う、鈍色にびいろをした重々しい何かがうごめいていた。


「美月、怖いか?」

「こ、怖くないと言ったら嘘になりますが、でもそれ以上に私は……」


 睡蓮は瞼を閉じると胸に置いた手を、きゅっと握り締める。


「言葉は要らない。お前のその真っ直ぐな思いが俺たちの力になる」

「出しゃばりすぎでしょ、狛。巫女さまは今、ボクたちと融合しているんだから♡」

「そうそう、白狐の言う通り。巫女さまの曇りのないピュアピュアな心は、オレたちが一番ビンビンに感じちゃってるんだよな! すっげぇぇ内側から溢れそうになるくらいに! ね♡」


 二人は振り返ると、睡蓮とお揃いの手甲てっこうの稲柄を見せるように、白狐は右手を、黒狐は左手を拳に変えてニッと笑った。


「さあさあ巫女さま、前置きはこれくらいにしてさ」

「一掃してやろうぜ!」

「はいっ、白狐くんに黒狐くん。それから怨霊さんも、よろしくお願いしますっ」


 睡蓮は真剣な面持ちでそう言うと、小さな膝に手を重ね合わせ、丁寧に頭を下げる。


「うわ。敵に向かってお辞儀しちゃうとか、巫女さまってば変わってる!」

「だけどそういう属性もモーションも、オレは好きだぜ!」


 いささか妙ではあるが、三人の中で団結が出来ているようだ。


「「そんじゃあ、化かしにいきますか‼」」


 白狐と黒狐の二人は、テーマパークで目当てのマスコットキャラクターを見付けた時のように瞳を輝かせながら、金切り声を響かせる怨霊の群れに向かっていく。


「あっ、私も!」


 睡蓮は二人を追い掛けようとしたが、一歩前に進むことすら叶わない。昂に阻まれてしまったからだ。

 そんな睡蓮たちに気付いた二人は、立ち止まらずに振り返って言った。これまで通り白狐から。


「ああごめんね巫女さま~ッ。一旦そこに居たまま観戦しておいて~? ボクたち、ちょっと試し撃ちしてくるから~!」

「昂~ッ。巫女さまに、あの術で“お兄ちゃんバリア”を出してあげてよ~? まぁどの道、必要はないけどさ~!」

「言われなくても……! 急急如律令、境界!」


 睨みを利かせながら呪符を構えた昂が、睡蓮の前に障壁を出現させたのと同時。二人は攻撃を仕掛けた。

 二人が走りながら怨霊に目掛けて手のひらを広げると、狙撃銃そげきじゅうのスコープから見えるような十字線が付いた円形の領域が、つまり照準線レティクルのサイトが前方に一つずつ現れる。

 二人は各自、それを遠くで不気味に蠢いている怨霊へと合わせた。


「ぶっちゃけボクたちだけでいいんだよ、ねえッ!」

「本当それ。いつもは別行動してるってのに、なんだって今日は勢揃いで来てん、だあッ⁉」


 サイトが紅く光った瞬間、二人は怨霊へ拳や蹴りを放っていく。その度にパンッと破裂音が鳴った。


「ギィィーギギギギィィィ……!」


 まるでダンスでもしているかのように繰り出される狐たちの格闘術を喰らい、怨霊は悲鳴を上げた。そして引き裂かれた後、淀んだ重苦しい瘴気に姿を変えていくのだった。


「苦しそうです……。あ、あの怨霊は元々、小さな動物さんだったのではないですか?」


 近くまで戻ってきた二人を交互に見ながら訊いた。今回もまた、白狐が先に答える。


「そうだよ巫女さま。成仏すら出来ない野狐やことかの小動物だね」

「ヤコ、ですか?」

「野良の狐ってこと。まぁオレたち動物にも色んな事情があるからさ……」

「だとしてもッ、こんな風に利用される筋合いはないんじゃない!? ってボクは思うけど!」

「本当それ! 血も涙もないんだから! それに比べて巫女さまは」


 黒狐は笑顔で振り返ると、後から振り返った白狐に目配せをした。白狐も朗らかに笑って頷く。


「うん。やっぱ巫女さまは凄い。ボクたち接近戦が得意だったんだけど、こうしてッ! あんなに遠くの方にいる敵にまで、サイトが現れるようになったんだからッ!」


 睡蓮を見つめながら、まだ遠方で蠢いている怨霊へ白狐は回し蹴りを放つ。破裂音の後、怨霊の身体は簡単に引き割かれた。


「しかも全然、力まないでだぜッ?」と、白狐に続くように黒狐も二段蹴りをした。


「ねぇ巫女さま見て見て~。ボクたちエイム上手でしょ~?」


 まるで遊んでいるかのような二人。弱い弱いと、楽しげに怨霊を沈めていく。


「ど、どうか出来るだけお優しく」

「ずっとボクと?」

「オレのターン!」


 願いを乞う睡蓮の声は、狐たちの耳には届いていないようだ。睡蓮は眉を下げたまま、挙動不審気味に周りを見渡す。

 前にそびえるのは、昂が作り出した大きな障壁。

 そして左右を挟むように、昂と狛が背中を合わせる。昂は鋭い眼差しで、狛は見据えるように、それぞれ怨霊の動向を窺っていた。

 さらに背後を護るのは、太秦。涼しい顔をしているが、神経を研ぎ澄ましているようで恐ろしく隙がない。


「どうしましょう。名ばかりで何もお力になれないなんて。……私に出来ること」


 睡蓮は胸の前で両手を重ね合わせ、そっと瞳を閉じた。


「睡蓮……?」


 睡蓮の足元から優しく風が立ち始めた。

 蛍のような小さい光が幾つも足元から生まれ、風に乗って舞い上がると、一つずつ睡蓮の身体の中へと取り込まれていくのだった。


「安らかな眠りをの者たちに。苦しみは、我に委ねたまえ」


 思わず目を奪われていた昂だが、その詠唱を聞いてはっと我に返る。血相を変えて睡蓮の名を呼んだ。

 しかし睡蓮へ伸ばした昂の手を狛が払った。昂は狛を睨みつけ、一触即発になるかという状況。

 だがその時だ。風も吹いていないというのに、何処からともなく葉の擦れ合う音が、辺り一帯を異様なまでに包み込んだ。

 睡蓮は静かに瞼を開き、凛とした表情で唱える。


「——浄化いたします」


 葉の音が止んだ刹那、瘴気の中に無数の小さな光が浮かび上がる。その小さな光と入れ替わるように、パッと瘴気が消失した。

 ほんの数秒の出来事だった。


「これが浄化の力……」


 昂は息を呑んで目の前の光景を眺めた。

 白狐と黒狐の二人も攻撃の手を止めて顔を見合うと、ピョコピョコと跳ねるように睡蓮の元へと帰って来る。


「すげー! すげーや、巫女さまッ♡」

「さすがオレの嫁ッ♡」


 ボクのだ、オレのだと、狐たちが口論をし始めたが、狛の瞳には映っていないようだ。

 狛は珍しく穏やかに微笑む。


「まだ怨霊は残っているが、瘴気に淀んでいた空も見事に晴れている。神気に満ち溢れている……!」

「ああ……!」


 太秦も心を奪われるように、狛へと頷いた。

 だがその表情が一変する。


「来るぞ‼ 狐も戻れ‼」


 太秦が叫んだ直後、上空に男が現れた。

 腕を組み、満月を背に妖しげな笑みを浮かべている。


「ほぅ……この娘が」


 男はそう言葉を止め、興味の赴くままに睡蓮を眺めるのだった。


「あ、あちらにいらっしゃるかたが須佐神さんですか……?」

「ああそうだ」


 返事をする狛の傍ら、須佐神と初めて対面する睡蓮と昂は、圧倒的な凄みに堪らず息を呑んだ。


「睡蓮、俺の傍から離れたら駄目だからな」

「はい」


 睡蓮は頷くと、じっと身構える。


「なんて威厳のあるお方なのでしょうか……」


「ラスボス感が凄いよね」と、昂が張った障壁の外側まで戻って来た白狐と黒狐が、睡蓮に笑いかけながら冗談っぽく返した。

 しかし二人の笑顔には余裕がなく、頬に流れ落ちるのは冷汗だろう。


 須佐神。その姿はおおよそ訊いていた通り屈強な体躯はることながら、額から突き出る牛のような二本の鋭い角と、顔に施された歌舞伎の隈取くまどりを彷彿とさせる青色の模様が目を引く。


 そんな須佐神に兢々きょうきょうとして内側に折れていた睡蓮の耳先が、ぴんと立った。


「どうした睡蓮?」


 頭の上でぴくぴくと動く三角の耳を昂が不思議そうに眺めていると、同じように耳を動かした狐たちが睡蓮へウインクを投げた。


「やったッ、ご褒美ゲット♡」

「巫女さま絶対だぞッ、約束だからな♡」

「おいお前ら! 睡蓮に何をさせる気だ!? あっ待て!」


 顔を蒼白させる昂に構うことなく、狐たちは地面を蹴って須佐神へと一直線に突っ込む。

 一方で睡蓮は、もう一度祈りを捧げるように手を握り合わせた。


 昂は光に包まれた睡蓮を気遣うも、狛に肘で小突かれて釘を刺されてしまう。

 昂だっていい加減に理解はしている。それに小競り合いなんてしている場合ではないことも承知だ。だから昂は、狛に向ける感情の矛先を、再び上空に浮いている須佐神をキッと睨むことでこらえた。


「「巫女さまヨロ!」」

「はい!」


 睡蓮のまとう光が白狐と黒狐の身体の周りにも現れると、浄化で晴れ渡った夜空に再び暗雲が垂れ込める。ゴロゴロと唸り始めた雲間を光が泳ぎ、雷鳴はさらに大きくなった。


 ここでやっと睡蓮から視線を外した須佐神は、気怠そうに目を眇めて天を仰ぐ。手で虫でも払うかのような仕草をした。

 だが――。


「彼の者に眠る神気を解放いたします」

「「霹靂神はたたがみ‼」」


 稲妻が閃光を放ったと同時に繰り出される狐たちの一撃は、電光石火の如く。激しいいかづちと共鳴する。


「当たった!」

「手応え有り!」


 狐たちは空中で一回転をして体勢を立て直すと、嬉しそうな表情を浮かべながら地上へ着地。白狐は拳を、黒狐は足先を嬉しそうに見つめた。その手足にはまだ、線香花火の火花のように小さな稲光が散っていた。

 自分の力を噛みしめる白狐と黒狐の二人と反して、睡蓮は見るからに辛そうだ。はぁはぁと呼吸を乱している。


「睡蓮……っ!」

「ありがとうございます、昂くん。私は大丈夫ですよ。ですが……」


 昂に肩を抱かれたまま、睡蓮は視線を上空へと向ける。昂も睡蓮の視線を追うように見上げた。

 黒煙が取れると、須佐神が姿を現す。焦げた臭い。そして須佐神の身体の周りには白狐と黒狐の二人と同じように、いやそれ以上に強い稲光が散っていた。二人の攻撃は、回避されていないようだったが。


「嘘だろ。あんな凄い攻撃を受けても無傷だなんて……」

「まだ力を使いこなせていないということだろう。なら美月、今度は俺と――!」

「焦るな狛。お前の気持ちもわかるが、今はもう」


 太秦は言葉を濁したが、その意味はすぐに須佐神によって伝えられる。


「狛。太秦の言う通りだ。我はもう、お前らなどと戦う気は微塵みじんもない。白けてしまった」

「そ、それではお話をしてくれますか?」

「睡蓮⁉」

「ほぅ。陽の巫女、我と話をしたいか」

「はい。色々と教えて頂きたいことがあります。なので、どうか……」

「なかなか可愛いことを言うではないか。いいだろう。だが少しが高いようだな」

「……すみません」


 睡蓮は戸惑う昂の腕をそっと下すと、その場で両膝を付いた。

 須佐神は従順な睡蓮の態度を満足そうに眺め、高らかに笑った。


「ふはははは! おい、陽の巫女殿がこのようにしていらっしゃるだろっ。お前らも態度を見習え!」


 使わしめたちは僅かに顔を歪めたが、戸惑う昂を尻目に膝を折る。最後に狛が、歯を軋ませながら肩膝を付いた。昂は眉根を寄せる。


「お、おい……睡蓮を護ってくれるって言ったじゃないか! そ、それとも何だよ⁉ まさか睡蓮を売って――」


 気色ばむ昂の手に、睡蓮の小さな手が重なる。

 そのきゅっと握られた感覚に制されて昂は、視線を睡蓮へ移した。自分を見る真剣な眼差しに何も言えなくなってしまう昂だが、睡蓮は口元を緩ませて何かを示すように耳を動かした。


「昂くん、きっと大丈夫です。ね?」

「小賢しい。まぁ、お前ら使わしめの忌々しい伝承の陽の巫女に逢えたのだから、目を瞑るとしよう。しかし陽の巫女。少女のお前のような見目みめで、その身体は不釣り合いではないか?」


 須佐神は、いやらしく笑みを零す。

 値踏みするように顎を撫でて睡蓮を眺めていた須佐神が、パッと上空から姿を消した。直後、砂利を踏む音が鳴り、俯いた睡蓮の視界に須佐神の足元が入り込む。使わしめたちの気を一心に集めた睡蓮の肩が揺れた。


「陽の巫女、もっとよく顔を見せよ……」


 須佐神は睡蓮に触れようと手を伸ばす。

 だがその動作が止まった。須佐神の頬に、深い横一線の傷が入ったのだ。


 引き裂かれた布地が血飛沫と舞い上がる。

 散った布は跡形もなく木端微塵に、血潮は勢いを失って重力に引っ張られて、砂利が混じる地面の上に赤黒いまだら模様が描かれた。


 頬にのみと思われた須佐神の傷は、腕や腹部など全身に亘って広がっていた。


「一体どうなってんだ……⁉」


 太秦の隣で睡蓮を腕の中へ抱き寄せつつも、昂は状況を飲み込めずに唖然とした。

 二人を包むのは、須佐神の周辺にも浮遊しているものと同じ漆黒の羽根。月明りに照らされた夜桜のように妖しく艶めきながら落ちていくが、程なくして消えた。

 そうして太秦の術により離れた場所まで回避していた二人は、須佐神の返り血を浴びずに済んでいた。昂が気を働かせて目隠しをしたお陰で、睡蓮は生々しい醜怪な光景を目の当たりにしていない。


「いやいや~」と、白狐は照れた様子で頭を掻いた。


「ボクらの攻撃、ちょーっとばかりラグがあるみたいなんだよね~?」

「そうそう。ま、ギミックみたいなもんよ?」


 白狐に続いて黒狐が便乗して相槌を打つと、影絵の狐を作る要領で両手の人差し指と小指を立てた。いわゆるコルナのポーズを取り、口に見立てた指をぱくぱくさせながら「こーんこん」と鳴き真似をする。

 そんな風に二人は、須佐神の背後で嬉しそうにお道化た。須佐神が自分たちの術を見抜けなかったのが嬉しかったのだろう。


 しかし須佐神は前方に居る睡蓮を眺め、一向に振り返らない。

 全く相手にされていないことを悟ったのか、狐たちは腹を立てた。呼吸を合わせたかのように同時に腕を組むと、「あったまくる~」と声を揃え、真夏の大気を揺らす蜃気楼のように、微かに捉えられる程度の神気を身体の内側から放出する。神気はまだまだ未熟であるが、感情に共鳴して揺らめいていた。


「それに」

「ねぇ?」


 白狐と黒狐の二人は、普段よりも低音で調子を合わせ、互いに視線を交わす。

 声色が不満や怒りを含んでいるのは明らか。けれど須佐神の方はというと、全身に傷を与えられているにも関わらずほくそ笑んでいた。その構図だけを見たならば、反抗する子どもと成長の喜びを噛みしめている父親のようである。

 だが、それもここまで。


「やはり陽の巫女に触れられませんか。残念ですが、この八尋殿のもとでは私の張った結界の力が堅固に働くようです。特に、神気に溢れた須佐神あなた様には、効果も絶大でしたね」


 皮肉めく太秦に須佐神は顔をしかめる。対して太秦は「大変ご無礼を」と、実に愉快げであった。


「須佐神。昨今あなたがなされる業は悪行にあられます。陽の巫女が現れた今、我らの伝承は再び証明されたのも同然です。――再び。その意味は、あなたがよくご存じでしょう」


 須佐神が太秦をぎろりと睨む。

 血を流しながら放たれる神気の迫力は、白狐と黒狐のものとは一味も二味も何百倍にも違い、須佐神との距離は十分に取れていた昂であっても、身動き出来なくなってしまうほどだった。

 一方で、眉一つ動かさずに直視している太秦を須佐神は鼻で笑う。


「まあいい」


 短く済ますと、須佐神は全身へ神気を巡らす。すると見る見るうちに傷口が塞がっていき、とうとう完全に治癒してしまった。

 思わず睡蓮の目を覆っている手を解いて驚愕する昂に、白狐と黒狐の二人は肩を竦めて苦笑した。睡蓮の方は、視界が晴れたものの状況を読めずにいる。


「須佐神は再生能力をお持ちで有らせられる。つまり低級霊や浮遊霊たちが怨霊化するのは、そのお力の一端だ」

「再生、ですか……?」


 睡蓮の大きな瞳が微かに潤む。


「陽の巫女。西に月が沈み、倭に灯りが燈った時。己の眼で一度確かめてみるといい。お前が導き出した答えによっては、最高のもてなしをしてやろう」


 須佐神の眼球に、睡蓮が映る。

 黙ったまま言葉の意味を考える様子を、昂が立ちはだかって遮る寸前まで須佐神はその眼に納めた。

 須佐神は睡蓮たちに背を向けると昂の障壁をすり抜け、白狐と黒狐の二人に譲らせた道を通る。何か言いたげに熱視線を送ってくる二人には相変わらず目もくれないで須佐神は歩を進めたが、少し離れたところで立ち止まった。


 未だ遠くで蠢く怨霊たちを、須佐神は何をすることもなく一掃し、瘴気の一部にする。

 怨霊たちのおぞましくも悲痛な声が響くなか、呆気に取られる昂の隣で泣き出しそうな睡蓮を須佐神は呼んだ。


「次はお前から逢いに来い。存分に可愛がってやろうぞ」


 須佐神はそう言い残すと、睡蓮たちの前から姿を消した。

 睡蓮たちの前には、美しいまんまるの月が浮かんでいた。


「……お、お帰りになったのですね。では私は」


 早々に浄化の詠唱を始めた睡蓮。


「私は先に屋敷へ戻る。陽の巫女を癒すを用意せねばならんからな。狐、お前たちが戻ったら融合のことを詳しく話してもらうぞ。拒否権はない、いいな?」


「は~い」と、光の柱に吸い込まれていく太秦の後ろ姿に、白狐と黒狐の二人は機嫌よく返事をした。


「じゃあ巫女さま? さっきの約束覚えてるよね?」


 白狐の言葉に昂は顔を青ざめさせるが。


「「巫女さま特製の稲荷寿司~♪」」


 白狐と黒狐の二人は、巫女さまに稲荷寿司を作ってもらうんだと踊り始めた。杞憂だったようだ。

 しかし一難去ってまた一難。


「美月。待て美月、それ以上は浄化を続けるな」


 狛は胸の前で握り合わせた睡蓮の手を解き、桜のしべのような唇を指でなぞった。

 もちろん昂は掴みかかる。


「お前何してっ……!」

「直に融合が解ける。あれだけの量を生身で浄化するのは危険だ。それから昂。お前が美月を泣沢ノ泉なきさわのいずみ入れてやれ」

「は? 入れる? それよりも今の説明してもら——」

「「巫女さま!」」


 狐たちの切羽詰まった声色に、昂ははっとした。

 元の狩衣姿になった睡蓮は、目を開けると浄化していく様を真剣な表情で見つめていた。


「良かったです。どうか安らかに……あ、皆さん見てくださいっ。怨霊さんたちがほら、穏やかな表情で……あの、どうかされましたか?」

「……美月。危険だと言っただろう? 話は聞いていたか?」

「も、もちろんですが、まだ魔法は解けていなかったので」

「睡蓮っ、身体は大丈夫か!?」


 にこっと微笑んで返事をする睡蓮を見て、昂と狛はほっと胸を撫で下ろした。

 融合が解けた白狐と黒狐の二人も「焦った~」と声を揃えるが。


 ぽんっ☆ ぽんっ☆


「うわ!」

「ふぇ?」


 煙がもくもく。まるで忍者の隠れ身の術か変化へんげの術でもしたような光景だった。

 そして白煙が落ち着くと、昂と睡蓮の二人は目を丸くする。

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