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第二夜「顕現」

 寮に隣接する石上稲荷大社。

 その境内にある祓殿はらえでんには、烏帽子えぼしを被り、浅黄色のはかまに白の狩衣かりぎぬを着た後ろ姿があった。

 昂だ。瞼を閉じ、精神を集中させて大幣おおぬさを振っている。


「禍事罪穢有らむをばはらたまひ清め給へと……」


 昂は祓詞はらえことばの途中で止め振り返った。視線を外へと移し、捉えたのは夜空に浮かぶ満月。すると昂は、何か思い立ったようにおもてへと駆け出した。

 そして大鳥居の前まで来たところで昂の血相が変わる。睡蓮が居たからだ。


「なんでこんな時間にっ。危ないじゃないか!」


 睡蓮の元へ一目散に駆ける昂だが、近くまで来ると顔全体を赤面させた。


「う。胸騒ぎがすると思って来てみたら……全く……」


 思わず後ずさってしまった昂だが、赤くなった顔を手のひらで覆い隠し、きょとんとする睡蓮に歩み寄る。


「昂くん。まだ起きていらしたのですね。どうしたのですか? そんな格好をして」

「それはこっちの台詞だって……」


 昂は消えてしまいそうな声で言った。

 それもそのはず、身体のラインを拾う生地の薄いショートパンツと素肌にキャミソール。睡蓮は着の身着のままだった。

 睡蓮もここまで走ってきたらしい。なまめかしさに拍車を掛けるように、呼吸を整える肩と一緒に胸元が上下して動く。昂は慌てて視線を外した。


「俺はこんな神聖な格好で何を考えている……」

「昂くんどうかしましたか?」

「べ、別に、なんでもないっ。た、たださ、廊下でのことがあったろ? なんか睡蓮の様子が気になったから俺、お前のことを想いながら加持祈祷していたんだ」

「そうだったのですね。ありがとうございます」

「ああいいから屈むなっ。ちょっと待ってろ」


 昂はそう言うと着ていた狩衣を脱ぎ、睡蓮に羽織らせた。自分は着物に袴を合わせた作務衣姿になる。


「不格好なのは許せ。さあもう遅いから寮に戻るぞ」

「い、いえ帰りません」

「なっ」

「今はもう消えちゃいましたが、ハープのような音色が聞こえたんですっ。それにその音色を追うように、コロンが部屋から飛び出してしまって……。あとそれから、きらきら~っとした光を放つ、ものすごーく綺麗な方が目の前に現れて、それであの私に『早くおいで』と言って消えてしまったのですっ」

「お、おい睡蓮、落ち着けって」


 脈略みゃくりゃくの無い話をされて昂は困惑したが、睡蓮の小さな両肩をそっと掴むと微笑んだ。


「そうだな、わかった。寮へ戻る前に祓ってやるからさ、うちに来いよ。コロンは見ていないけど心配ないって。今朝だっていつもみたく拝殿に来ていたけど、ちゃんと寮には戻ってきたんだろ? ほらあいつ、もしかしたらうちの狐にでも恋したのかもしれないぞ?」


 冗談交じりに言ってみるも、睡蓮の眼差しは変わらない。睡蓮に瞳を真っ直ぐ向けられ、昂は再び眉をハの字に戻すとため息を漏らした。


「しょうがないな、睡蓮は。意外と頑固なところ昔から変わっていないんだから。話し方だってそうだ。俺を気遣って――」

『なるほど、やはりお前が巫女みこだったか。……悪くない』


 低音の声。昂のものではない。むしろ睡蓮から聞こえてきたように思える。

 二人は見つめ合ったまま固まった。しかし昂の何か言いたげな視線に、睡蓮は堪らず首を振った。


「い、いいえ私は何も……ひゃっ!?」

「うわっ!」


 同時に声を上げた。睡蓮の胸の内側から何かが飛び出てきたからだ。

 しかし昂はすぐに自分の胸元に手を忍ばせると、生成り色をした古めかしいふだを一枚取り出す。碁石を掴むように中指の腹と人差し指で挟み、頬の横で構えた。もう片方の腕は睡蓮を守るように広げる。


「やっぱり行くんだよなぁ睡蓮。なら絶対に俺から離れるなよ……!」

「はい……!」


 周りを警戒しつつ、大鳥居を潜って境内に続く石段へ足を掛けた。


『この程度でを上げるのではないぞ小僧』


 声が聞こえた直後、二人の眼前に広がっていた景色だけがぐわんっと歪む。まるで両端から圧縮されたかのように、階段のふみづらの幅が一人分ほどにせばまり、そして石段の数が永遠と伸びていく。


「昂くん……」

「大丈夫だ睡蓮。お前は俺が必ず護ってやる」


 背中の着物を掴んで不安げにぴたりとくっ付く睡蓮に、昂はそう力強く言った。


「こ、コロンは」

「ああわかってる。ちゃんと連れて帰ってやろうな」


 普段と変わらない態度で優しく接する昂のお陰で、睡蓮は強張りながらも緩やかに口角を上げて頷くことが出来た。

 そして声に導かれ、なんとか精神を保ちつつ石段を上りきった二人だったが、そこでさらに喫驚した。

 巨大な三柱みはしら鳥居が建っていたからだ。


「な、なんだよこれ!? こんなのうちにないぞ!?」

「あっ昂くんっ、あそこに居ますのは先ほど廊下で見たカラスさんです!」


 満月を背にしたその鳥居の真ん中。声と入れ替わって現れたのは、一匹のカラスだった。足が三本あり、体長は通常のものよりも一回ひとまわりほど大きかった。

 突如現れたそのカラスが、けたたましく鳴きながら翼を広げると、なんとも異様な存在感は強大に際立つのだった。


 二人が圧倒されている中、翼から散った無数の羽根が素早く螺旋を描いく。カラスを包んだ。瞬時にして人の姿をかたどり、蝋燭ろうそくの火を吹き消したかのように、漆黒の羽根が煙となって消えていった。


 煙が晴れると姿を見せたのは、なんと人間だった。カラスから姿を変えた美しい青年が、そこに佇むのだった。


 青年は睡蓮に向けて不敵な笑みを浮かべると、自身の胸に手を当て頭を下げながら片膝を着いた。


「我が名は太秦うずまさ。お隠れになった大御神おおみかみの神託を授かるという巫女みこを探しに参った。陽の巫女には、直ちに私とやまとへ来てもらう」


「ヒノ、ミコ。ヤマト……? あっ、またです」

「いい、気にしなくていい」


 耳を澄ませる睡蓮に、昂は太秦へ睨みを利かせたまま首を振る。

 太秦は立ち上がりながら答えた。


「ああ、それは陽の巫女だけに響く、日孁ひるめの竪琴の音色だろう」

「ヒルメ……?」


 背中の辺りで結んだ髪は烏のように真っ黒で、反物から仕立てたであろう燕尾服は優美な気品が漂う。太秦の引き締まった体躯と相まうと、威圧感さえも与えるのだった。

 だがそれでも昂は臆さない。


「うるさい! 睡蓮を怖がらせたのはお前だなっ!」


 昂はカッと目を開くと、上空へ二枚の札を投げた。


「睡蓮は渡さない! 急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう境界きょうかい、我が姫を護れ!」


 呪符じゅふだ。生成り色をした札に、筆で描いたような文字が五芒星と共に浮かび上がる。

 そして発光したのち、温かな緑色に輝く亀甲が幾何学模様のように連続して配列していくのだった。

 そうしてたちまち障壁が現れると、睡蓮から離れて昂は再び唱えた。


排斥はいせき!」


 もう一枚の呪符も同じように反応した。今度は太秦に向けて術が発動する。

 バチンッと強力な静電気が起こったかのような音。見えない何かが太秦にぶつかったらしい。いや違う、当たっていない。それこそ障壁に護られているかのように、昂の術を跳ね返していたのだった。


「こ、昂くん!」

「駄目だ睡蓮っ、そこから動くな! くそ……! 急急如律令——」


 昂は必死に排斥の術を繰り返したが、太秦は眉一つ動かさない。


「陽の巫女、私と共に」


 太秦は睡蓮に向けて手をかざした。

 するとどこからともなく睡蓮の足元に光が集まり出す。睡蓮を中心に広がったのは金色に輝く六芒星の魔法陣。そこから無数の羽根が現れた。巻き起こった風と共に、勢いよくそれは睡蓮の身体をっていく。


「ああ……っ」

「睡蓮!」


 抵抗することも出来ずに只々ただただ漆黒の羽根に覆われる睡蓮を、昂は迷うことなく抱きしめた。だが瞬く間に二人は太秦の生んだ術へと取り込まれてしまう。


はじかれなかったか」


 太秦はそう一人呟き、二人にした同様の術で姿を消した。



(すごい……千本鳥居みたいです……)


 漆黒の羽根から出来た、果てしなく続く道。その上を跨ぐように、たくさんの鳥居が連なっていた。

 暗い中でも朱色が目に美しいのは、丸く浮かぶ大小だいしょう様々な光のお陰。

 二人はそんな無重力空間を抱き合いながら進んでいく。


 どうやら昂は気を失っているようだ。だがそれでも昂の腕は睡蓮を支えている。睡蓮の頭と腰を自分の身体へと引き寄せ、眠るように目を閉じていた。

 睡蓮の方も瞼が重そうだ。

 その睡蓮の瞳に、石段を駆け上がったコロンの姿が映る。塞がりつつある時空の裂け目から見えたものだった。

 遠吠えを始めたコロンの方も睡蓮たちが見えているのか、その鳴き声はとても伸びやかで、旅立つ二人に声援を送っているかのようであった。


(コロン無事でしたか。良かったです……。階段も、鳥居も元通りになっていますし、きっとこれで安全にお家に帰れま……)


「お! 本当にスポーンしたぞ黒狐こくこ!」

「――ふぇ?」


 睡蓮は声に驚き目を覚ました。横たわっていた上半身を起こすと、六芒星の魔法陣は夜空に咲き散る花火のように儚く消失した。


「へぇ。少し犬臭いけど、結構可愛いじゃん。白狐びゃっこ、オレこの子のこと気に入ったから!」

「え?」


 板の間の上、金髪の少年が二人。戸惑う睡蓮を挟んで、吊り気味の目を細めて笑い合う。

 顔立ちから見て、睡蓮たちより歳下か。

 二人は双子のような容姿をしていてとてもそっくりではあるが、斜めに流した前髪の分け目が左右逆であったりと、外見の違いが多少あるので見分けは簡単に付きそうだ。

 太秦と同様この者たちも、和洋が混ざり合う風変りな格好をしていた。

 しかしあでやかな躑躅つつじ色のふすまを、障壁画や雪洞ぼんぼりの灯りで幻想的に彩るこの部屋の中では、それが奇をてらわずによく馴染むのであった。


「あ、あの昂くんはどちらに……」

「お目覚めの気分は、ど? ボク、白狐って言うんだ。君の名前を知りたいんだけど、教えてくれる?」

「おい。この巫女さまは、オレが先に話をするって決めてたんだぞ? あ、オレの名は黒狐。白狐と違って、大御神の恩恵を受けたこのスキンが健康的で男らしいだろ? ほらほら白狐なんて放っておいてさ、もっとこっちにおいでって」

「あ、あの昂くんはっ!」

「はァ? 何言っちゃってんだよ黒狐。ねぇ君のにも、ボクの方が使つかわしめっぽくて神秘的に見えてるでしょ? わ~君の手って小さくて可愛いね」


 全く話を聞く気がないのか、懸命に訴えかける睡蓮を差し置いて、腰に腕を回したり手を握ったりと、初対面と思えぬほど馴れ馴れしくする二人。何とまあ軽薄な印象だが、危害を与えたりはして来なさそうだ。しかし手癖が悪いようで、次第にそれもエスカレートをしていく。それぞれの手が狩衣の胸元と裾に伸び始めた。


「「ぎゃう!」」


 涙を浮かべて「イテテ」と頭を押さえる二人の背後に現れたのは、げんこつを作った太秦だった。


顕現けんげん早々すまない、うちの者が失礼をした。いいか狐、お前たちの遊び相手ではないのだぞ? この方は陽の――」

「あ! ヤタノカラスさんっ」


 睡蓮を見た途端、そう人名のように呼ばれ太秦は言葉を失う。白狐と黒狐はここぞとばかりにといった様子で、愉快げに目配せをすると笑い転げた。

 太秦は咳払いをして律したが、小首を傾げる睡蓮にはため息を吐くしかなかった。


「案ずるな陽の巫女。そもそも倭に連れて来るのは、そなただけの予定だったのだ。この世の者でないあいつは結界が張られた屋敷を跨げなかったに過ぎない。だが迎えを……ああ、ちょうど来たようだな」


 太秦が一歩脇にけると、その後方には肩に昂を担ぐ白銀の髪色をした男が立っていた。

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