寮に隣接する石上稲荷大社。
その境内にある
昂だ。瞼を閉じ、精神を集中させて
「禍事罪穢有らむをば
昂は
そして大鳥居の前まで来たところで昂の血相が変わる。睡蓮が居たからだ。
「なんでこんな時間にっ。危ないじゃないか!」
睡蓮の元へ一目散に駆ける昂だが、近くまで来ると顔全体を赤面させた。
「う。胸騒ぎがすると思って来てみたら……全く……」
思わず後ずさってしまった昂だが、赤くなった顔を手のひらで覆い隠し、きょとんとする睡蓮に歩み寄る。
「昂くん。まだ起きていらしたのですね。どうしたのですか? そんな格好をして」
「それはこっちの台詞だって……」
昂は消えてしまいそうな声で言った。
それもそのはず、身体のラインを拾う生地の薄いショートパンツと素肌にキャミソール。睡蓮は着の身着のままだった。
睡蓮もここまで走ってきたらしい。
「俺はこんな神聖な格好で何を考えている……」
「昂くんどうかしましたか?」
「べ、別に、なんでもないっ。た、たださ、廊下でのことがあったろ? なんか睡蓮の様子が気になったから俺、お前のことを想いながら加持祈祷していたんだ」
「そうだったのですね。ありがとうございます」
「ああいいから屈むなっ。ちょっと待ってろ」
昂はそう言うと着ていた狩衣を脱ぎ、睡蓮に羽織らせた。自分は着物に袴を合わせた作務衣姿になる。
「不格好なのは許せ。さあもう遅いから寮に戻るぞ」
「い、いえ帰りません」
「なっ」
「今はもう消えちゃいましたが、ハープのような音色が聞こえたんですっ。それにその音色を追うように、コロンが部屋から飛び出してしまって……。あとそれから、きらきら~っとした光を放つ、ものすごーく綺麗な方が目の前に現れて、それであの私に『早くおいで』と言って消えてしまったのですっ」
「お、おい睡蓮、落ち着けって」
「そうだな、わかった。寮へ戻る前に祓ってやるからさ、うちに来いよ。コロンは見ていないけど心配ないって。今朝だっていつもみたく拝殿に来ていたけど、ちゃんと寮には戻ってきたんだろ? ほらあいつ、もしかしたらうちの狐にでも恋したのかもしれないぞ?」
冗談交じりに言ってみるも、睡蓮の眼差しは変わらない。睡蓮に瞳を真っ直ぐ向けられ、昂は再び眉をハの字に戻すとため息を漏らした。
「しょうがないな、睡蓮は。意外と頑固なところ昔から変わっていないんだから。話し方だってそうだ。俺を気遣って――」
『なるほど、やはりお前が
低音の声。昂のものではない。むしろ睡蓮から聞こえてきたように思える。
二人は見つめ合ったまま固まった。しかし昂の何か言いたげな視線に、睡蓮は堪らず首を振った。
「い、いいえ私は何も……ひゃっ!?」
「うわっ!」
同時に声を上げた。睡蓮の胸の内側から何かが飛び出てきたからだ。
しかし昂はすぐに自分の胸元に手を忍ばせると、生成り色をした古めかしい
「やっぱり行くんだよなぁ睡蓮。なら絶対に俺から離れるなよ……!」
「はい……!」
周りを警戒しつつ、大鳥居を潜って境内に続く石段へ足を掛けた。
『この程度で
声が聞こえた直後、二人の眼前に広がっていた景色だけがぐわんっと歪む。まるで両端から圧縮されたかのように、階段の
「昂くん……」
「大丈夫だ睡蓮。お前は俺が必ず護ってやる」
背中の着物を掴んで不安げにぴたりとくっ付く睡蓮に、昂はそう力強く言った。
「こ、コロンは」
「ああわかってる。ちゃんと連れて帰ってやろうな」
普段と変わらない態度で優しく接する昂のお陰で、睡蓮は強張りながらも緩やかに口角を上げて頷くことが出来た。
そして声に導かれ、なんとか精神を保ちつつ石段を上りきった二人だったが、そこでさらに喫驚した。
巨大な
「な、なんだよこれ!? こんなのうちにないぞ!?」
「あっ昂くんっ、あそこに居ますのは先ほど廊下で見たカラスさんです!」
満月を背にしたその鳥居の真ん中。声と入れ替わって現れたのは、一匹のカラスだった。足が三本あり、体長は通常のものよりも
突如現れたそのカラスが、けたたましく鳴きながら翼を広げると、なんとも異様な存在感は強大に際立つのだった。
二人が圧倒されている中、翼から散った無数の羽根が素早く螺旋を描いく。カラスを包んだ。瞬時にして人の姿を
煙が晴れると姿を見せたのは、なんと人間だった。カラスから姿を変えた美しい青年が、そこに佇むのだった。
青年は睡蓮に向けて不敵な笑みを浮かべると、自身の胸に手を当て頭を下げながら片膝を着いた。
「我が名は
「ヒノ、ミコ。ヤマト……? あっ、またです」
「いい、気にしなくていい」
耳を澄ませる睡蓮に、昂は太秦へ睨みを利かせたまま首を振る。
太秦は立ち上がりながら答えた。
「ああ、それは陽の巫女だけに響く、
「ヒルメ……?」
背中の辺りで結んだ髪は烏のように真っ黒で、反物から仕立てたであろう燕尾服は優美な気品が漂う。太秦の引き締まった体躯と相まうと、威圧感さえも与えるのだった。
だがそれでも昂は臆さない。
「うるさい! 睡蓮を怖がらせたのはお前だなっ!」
昂はカッと目を開くと、上空へ二枚の札を投げた。
「睡蓮は渡さない!
そして発光した
そうしてたちまち障壁が現れると、睡蓮から離れて昂は再び唱えた。
「
もう一枚の呪符も同じように反応した。今度は太秦に向けて術が発動する。
バチンッと強力な静電気が起こったかのような音。見えない何かが太秦にぶつかったらしい。いや違う、当たっていない。それこそ障壁に護られているかのように、昂の術を跳ね返していたのだった。
「こ、昂くん!」
「駄目だ睡蓮っ、そこから動くな! くそ……! 急急如律令——」
昂は必死に排斥の術を繰り返したが、太秦は眉一つ動かさない。
「陽の巫女、私と共に」
太秦は睡蓮に向けて手をかざした。
するとどこからともなく睡蓮の足元に光が集まり出す。睡蓮を中心に広がったのは金色に輝く六芒星の魔法陣。そこから無数の羽根が現れた。巻き起こった風と共に、勢いよくそれは睡蓮の身体を
「ああ……っ」
「睡蓮!」
抵抗することも出来ずに
「
太秦はそう一人呟き、二人にした同様の術で姿を消した。
☽
(すごい……千本鳥居みたいです……)
漆黒の羽根から出来た、果てしなく続く道。その上を跨ぐように、たくさんの鳥居が連なっていた。
暗い中でも朱色が目に美しいのは、丸く浮かぶ
二人はそんな無重力空間を抱き合いながら進んでいく。
どうやら昂は気を失っているようだ。だがそれでも昂の腕は睡蓮を支えている。睡蓮の頭と腰を自分の身体へと引き寄せ、眠るように目を閉じていた。
睡蓮の方も瞼が重そうだ。
その睡蓮の瞳に、石段を駆け上がったコロンの姿が映る。塞がりつつある時空の裂け目から見えたものだった。
遠吠えを始めたコロンの方も睡蓮たちが見えているのか、その鳴き声はとても伸びやかで、旅立つ二人に声援を送っているかのようであった。
(コロン無事でしたか。良かったです……。階段も、鳥居も元通りになっていますし、きっとこれで安全にお家に帰れま……)
「お! 本当にスポーンしたぞ
「――ふぇ?」
睡蓮は声に驚き目を覚ました。横たわっていた上半身を起こすと、六芒星の魔法陣は夜空に咲き散る花火のように儚く消失した。
「へぇ。少し犬臭いけど、結構可愛いじゃん。
「え?」
板の間の上、金髪の少年が二人。戸惑う睡蓮を挟んで、吊り気味の目を細めて笑い合う。
顔立ちから見て、睡蓮たちより歳下か。
二人は双子のような容姿をしていてとてもそっくりではあるが、斜めに流した前髪の分け目が左右逆であったりと、外見の違いが多少あるので見分けは簡単に付きそうだ。
太秦と同様この者たちも、和洋が混ざり合う風変りな格好をしていた。
しかし
「あ、あの昂くんはどちらに……」
「お目覚めの気分は、ど? ボク、白狐って言うんだ。君の名前を知りたいんだけど、教えてくれる?」
「おい。この巫女さまは、オレが先に話をするって決めてたんだぞ? あ、オレの名は黒狐。白狐と違って、大御神の恩恵を受けたこの
「あ、あの昂くんはっ!」
「はァ? 何言っちゃってんだよ黒狐。ねぇ君の
全く話を聞く気がないのか、懸命に訴えかける睡蓮を差し置いて、腰に腕を回したり手を握ったりと、初対面と思えぬほど馴れ馴れしくする二人。何とまあ軽薄な印象だが、危害を与えたりはして来なさそうだ。しかし手癖が悪いようで、次第にそれもエスカレートをしていく。それぞれの手が狩衣の胸元と裾に伸び始めた。
「「ぎゃう!」」
涙を浮かべて「イテテ」と頭を押さえる二人の背後に現れたのは、げんこつを作った太秦だった。
「
「あ! ヤタノカラスさんっ」
睡蓮を見た途端、そう人名のように呼ばれ太秦は言葉を失う。白狐と黒狐はここぞとばかりにといった様子で、愉快げに目配せをすると笑い転げた。
太秦は咳払いをして律したが、小首を傾げる睡蓮にはため息を吐くしかなかった。
「案ずるな陽の巫女。そもそも倭に連れて来るのは、そなただけの予定だったのだ。この世の者でない
太秦が一歩脇に