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第68話 容疑者は防空識別圏?(5)

 子ども食堂マジックパッシュの中のPCルームのなかではいつもの四十八願と並んで晴山がマルチモニタPCを並べて分析に忙しくしている。晴山は弱視なのだがPCの画面を調整して見やすくして作業している。ここまでのとおり、晴山の分析技術は一級のものだ。

「普通に暗号化されてました。この校旗に隠されてたSDカード。でもその復号、成功しています」

「さすが晴山さん!」

「でもよくわからないんですよね……内容のデータ。カンマ区切りのテキスト形式。住所録かなと思ったんですが」

 晴山がデータを見せる。

「なんの住所だろう?」

「そのいくつかを実際に地図サービスのストリートビューでみると、普通のショッピングビルやマンションか、あるいはよくわからない空き地なんですよね」

「空き地?」

「地図サービスに登録されてない住所なのか、ざっくりした位置しか確認できないんですよ。マンションの場合もどうもよくわからない」

「なんだろう」

「しかもその住所の件数が110万件ほどあるんです」

「随分多いなあ。何について絞り込んであるんだろう?」

「ただ、この住所、ドバっとそのままプロットしたら、そもそもの連続不審火事件の発火位置にかなり近い」

「ということは相関はあるのか」

「でしょうね」

 晴山も思案にクビを投げている。

「実際見にいくしかないかなあ。一番近いところは?」

「海老名市中心部だと海老名市中央3丁目1−3ですね。ほかにもいくつもありますが」

「中央か……ほぼ海老名駅前だね。ちょっと行ってみるか」

「行くんですか」

 晴山が少し嫌そうにいう。

「ちょっとこのところ晴山さん、作業続きで外歩いてないでしょ。たまに陽の光浴びたほうが健康にいいよ。それに、外歩くのって案外面白いし。ちょっと行ってみたい」

「そうですか……」



 晴山は白杖を持っているが、鷺沢が手を繋いで道を誘導する。

「夏がほんと近くなりましたね。風の匂いがすごく素敵。こういう匂い好きなんです」

 晴山がそういう。

「そうだね。結婚してた頃を思い出すよ」

 鷺沢はそういう。

「ぼくにもっと才能と力があればあの結婚、続けられてたと思う」

「すてきな奥さんだったんですよね」

「うん。鉄道趣味もいっしょにやってた。レアキャラだった」

「きっとまたなにかありますよ」

「そうだといいなと今でも密かに思ってる」

 晴山はうなずく。

「海老名市中央だけでもいくつもある。3丁目1-3はあそこだ」

 鷺沢が見つける。

「けっこう駅前から近いですね」

「うん。見たところあるのは普通のビジネスホテルだね。ほかも見よう。2丁目は11ー16と5-34だ」

「歩くのにはそこそこ近いですね」

「普段歩かないぼくにはちょっとしんどくなりそうかも。晴山さん意外と足強いですね」

「そうでしょうか」

 晴山はそう照れて見せた。

「この住所、2丁目5-34-211ってマンションの部屋の番号みたいなのもついてるんだよなあ。それがよくわからない」

「なんなんでしょうね」

「とにかく行ってみよう」

 さらに歩いて行く。

「このマイカルの先ですね。マンション」

「相変わらず天気は良いけど暑くなくて一番過ごしやすい。ほんと散歩日和だ」

「そうですね。私、音と匂いが街を歩くときの頼りなんです。この目で見える世界はいつも輪郭がとりにくい。いまだったら輪郭と言われても理解できるけど、小さいときはその輪郭って概念がよくわからなかった。網膜レーザー投影カメラを体験したとき、世界ってこうなってるんだな、輪郭ってこういうことなんだなと初めて理解しました。でもその時までは世界はずっとぼやけた虹色、人も建物もぼんやりとした姿。それが近づいた途端細かく見えるようになる。怖さは感じなかったけど、他の人達がどうやって生活しているのかの理解も難しかった。でも匂いと音は別です。普通の人はどうかわからないけど、音で様々なことがわかります。母が読み聞かせてくれた多くの本の知識、人の呼吸、車や自転車の音、さらにはものに近づいたときの独特の繊細な感覚。匂いも。人や動物、花や植物だけでなく、金属や木に塗られたニスの匂い。食べ物の美味しそうな匂い。汚物や異物の匂いはあきらかにそれらとは違った危険性を感じさせてくれる。そういうなかで、感じる、ってことが何なのかと興味を持って大学に進学しました」

「それであんな細かい分析を」

「ええ。分析すると物事の論理的な輪郭が感じられるんです。ぼんやりしていたものがはっきりするのは私にはこれしか方法がなかったので。PCとかケータイはそれを補助してくれます。読み上げてくれたりコントラスト上げて見やすくしたり。……でもこれは私の場合なんですけどね。弱視も人それぞれで、一概にどうだと言えないんです」

「そうだよね」

「二人で歩く足音も好きなんです。快いリズムを感じる。音楽のように思えるんです」

「なるほど」

「でもなんか妙な匂いと雰囲気がしてきました。その当該のマンション、もうすぐですよね」

「そうだけど……ええと、2丁目5-34-211。このマンションが5-34だけど」

「どう見えます?」

「いや。普通のマンションに見える」

 意匠から築年数がたったマンションだろう。でも修繕がしっかりされているせいか、それほど古びて傷んだ感じはしない。

「でも211ってなんでしょう」

「2階の11号室かな。でもオートロックで部屋のとこに行けない」

「呼び出してみます?」

「やってみるか」

 マンションのエントランスのインターホンに211と入れて呼び出す。

「応答なし、みたい」

「なんでしょうね」

「あとは……外から観察できるかなあ」

「やってみましょう」

 そこでマンションの外に出る。

「見えそうなのはあっちのショッピングモール・マイカルの立体駐車場の上の階からかな」

「登りましょうか」

 二人でエレベーターに乗って登る。

「そういや今日は休日だったのか」

 映画のグッズを持った子ども連れの家族とすれ違う。

「ここから例のマンションのベランダが見えるはずだけど……何だありゃ!」

 鷺沢は思わず声を上げた。その部屋らしき窓はスチールの板で塞がれ、それにケーブルの取り出し口があけられ、ケーブルが出ている。そのとなりには大きな空調ダクトと排気口が並んでいる。強力そうな空調機も繋がっている。

「まさか……ヤバい組織の実験室!?」

「あの部屋の匂いは電気製品の匂いでしたけど」

「あるいはヤバいものの密造施設? まさかね」

 そう言いながら鷺沢は写真を撮り、晴山に拡大して見せた。晴山はそれを弱視用の補正メガネで見る。

「あれ、これ、もしかすると通信関係の機械室じゃないでしょうか」

「なぜ?」

「ケーブルを束ねているところに通信キャリア、携帯電話会社のものらしきロゴが」

「あ、ほんとだ……。ってことは!」

 鷺沢はリストを見た。

「やっぱり! 中央2丁目11-16はNTTの海老名電話交換局だ」

「じゃあ、もしかすると」

 鷺沢はさっき見たホテルを見て、屋上に目を移した。

「あった! 携帯電話の基地局アンテナ!」

 見てそれとわかる特徴的なアンテナが見える。

「ほかもそうかも知れませんね」

「中央1丁目4-1は駅前のショッピングビル。扇町13-1は海老名ららぽーと。大谷北1丁目2-1は家電量販店。そのすべての屋上に携帯電話基地局アンテナがある。そうか、携帯電話の基地局、住所はセキュリティのこともあって公式には非公開だった!」

「そのリストだったんですね。でもなんのため、『太郎』がそんなものを隠したのでしょう」

「それがわからん……」


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