「『就職先の入荷をずっと待っています』『当生協は新鮮なものをとり揃えておりますが、ご希望の品については鮮度が確保できず入荷の見込みはありません。そして「明日から本気出す」は多くの場合滅びの言葉です』……なんだこりゃ」
鷺沢は呆れた声を上げた。読んでいるのは掲示板に張り出された学生から大学生協への『ひとことカード』である。
「ほんとにこういうのあるんだね」
「え、大学生協ってどこでもこの手のがけっこうありますよ」
佐々木が言う。
「ぼく、大学入ってないから」
「そうでした」
鷺沢は大学受験前に商業小説家デビューしてしまっていたという。佐々木には鷺沢が才能があるのかないのか、未だに正直よくわからない。
その掲示板のある横浜国際大学の学生食堂は昔の学生食堂と違って、ボックスシートやソファベンチ席、カウンター席などの様々な席がある。吹き抜けの天井が高く天窓から明るい光が降り注ぐこのホールの傍らには『駅ピアノ』のようにピアノが置かれ、学生や教員が時々弾いていて、その音が演奏としての質はともかく、いかにも楽しげだ。そのピアノの脇には古びたこの大学の校旗が誇らしげに飾られている。
昼下がり、昼食にくる学生の波は引いたようだが、片隅で遅い昼食を取る教員たちがなにか学術的な議論の冗談で戯れながら食事している。その反対側では学生がノートPCで課題をしているのだろうか。ドリンクをかたわらに集中してキーを叩いている。ほかにも学生グループがいくつか、居心地良さそうに座って楽しそうに会話している。
その全体がいかにも美味しそうな香りに満ちている。いい学生食堂だなと鷺沢は思う。
「でもモグリで大学にいろいろ行って学食も食べたりしてたんだよね。東大医学部食堂のステーキは素晴らしかった。今は変わってしまったみたいだけど」
「なにやってたんですか……」
佐々木も呆れる。
「でも、あの3人、またここに戻りたいって……。やり直したかったのかな」
「そうだろうね。多分。もっとくだらなくて役に立たないモラトリアムの平和な学生生活をしたかったんだと思う。あのころはそれがとてもできない世相だったから」
「なんか……切ないですね」
「うん」
その時だった。
「あら、あなたたち」
あの桜井教授が現れた。
「どうしたの? 大学にまた用事?」
「まあそんな感じです。教授はこっちにもいるんですね」
「ええ。こっちでも講座を持ってるから」
「おつかれさまです」
そういいながら鷺沢は食堂の中を見る。
「何か探し物?」
「え、あ、そういうようなものでしょうか」
鷺沢も佐々木も教授にどう説明しようか思いつかず、言葉を濁す。
「まさか、この食堂になにか隠してあるの? まさか謎があるとか! 『ハリーポッター』みたい!」
教授は子どものように目の色を変えて興味を持っている。ちょっとめんどくさくなりそうだなと佐々木と鷺沢は一瞬アイコンタクトする。
「私には言えないこと?」
すぐ後に教授は寂しそうな顔になった。
「いや……なんというか、説明すると長い話になるんですが」
「長い話好き!」
教授はまた眼の色を変える。
「どういう話?」
「……話の始まりは50年前になります」
「私が学生だった頃ね!」
教授はこういうところ、全く歳を感じさせない。まさに好奇心の塊のようだ。
「ということで、今その約束の地、この食堂に来てるんです。でも当時とはすっかり変わってるから、ちょっとどうにもなりそうにないなあ、と」
「なるほど。なかなかロマンティックね!」
教授はすっかり面白がっている。
「あのころの先輩がそうなってるとか、ほんと聞いててわくわくした! あなたたちを手伝わせて!」
教授、暇なんですか……佐々木と鷺沢はまた眼を見合わせる。
「この食堂にその何かが隠してあるかもしれないのね!」
うわ、嫌な予感がする。
「事務局にちょっと話するわ!」
うわあ、そんな大がかりな話になるとややこしいでしょうに! そう思っている2人の前教授はケータイをかけ始めた。参ったなあ……。
「今職員が鍵と図面もって来てくれるって!」
いやそういうことなのかな。それ、主旨違わない?
そう思う二人の前で教授はさらに何かを始めた。
「人数使った方が早く見つかるわね。今学生たちにグループLINEでメッセージしたわ! 社会科学棟食堂に集合、って!」
うわあ!
「桜井教授、この方たちですね」
大学事務局の職員らしき男女がやってきた。
「なにかここに秘密の通路とか隠し部屋とかない? この人たちが探してるの!」
いや、そういうわけでは。
「うーん、そんなのあったかなあ。ありましたっけ?」
「さあ?」
事務局2名も見当つかないようだ。
「いくらなんでも隠し部屋とか隠し通路はないでしょ。ホグワーツじゃあるまいし」
鷺沢がそうあきれながら足元を見る。市松模様にタイルカーペットが敷かれている。
「これ、決まったパターンに踏めば地下室が出てくるんじゃない?」
「今度は『インディージョーンズ』ですか。んなわけ」
その時、食堂の調理のおばさんがやってきて、普通に壁のちょっとしたくぼみに手をやった。
すると、ブザー音とともに床の一部が持ち上がり始めた。
「えええっ!」
「なんですかこれ!」
一同びっくりする。
「え? これ、ただの防災備蓄倉庫ですけど」
おばさんはなんとも思ってないようだ。
「横浜国際大学ってほんとにホグワーツだったのか……」
みんなヘナヘナと崩れそうになった。
「でもここに隠したのかなあ」
「それは学生を動員したので、手分けして探しましょう!」
教授はすっかりコーフンしている。うわあ! そのみんなにこの長い経緯を説明することになるの?!
だがそのとき。
「こっちにありましたよ」
鷺沢がいつの間にか、マイクロSDカードをマスキングテープで貼り付けてあるトランプのジョーカーのカードを見つけて手にしていた。
「え、どこに?」
「ピアノのとこに飾ってある校旗に小さなポケットが作ってあって、そこに」
「そんなとこに?」
「そりゃそうでしょう。何らかの理由で行方を隠してる『太郎』さんがそんな大掛かりなとこに隠したら全部バレちゃうもん」
「……そうでした」
でも教授は気づかず、メガホンまで持ってきて学生になにか指示を飛ばしている。
「ええと、これ、……どうしましょう?」
佐々木がそういうと、鷺沢は肩をすくめた。
「今はそれどころじゃないよね」