「良い3人だったんだな」
鷺沢は当時の資料を読んで口にした。ここは海老名署の普段使わない小会議室。
「いろんなエピソードがあったみたいですね」
山積みになった事件の資料。それを鷺沢と佐々木で読んだのである。
「ビックリ男ってのは学生の中でもすごく目立ってたからなんだそうだ。花子さんはその下で演説の原稿書いたりビラやポスターを作ってた。太郎は奨学金の返済もあってそういう運動には余り参加できなかった。ビックリ男はそのなかで党派に縛られずになんとか学生運動をまとめられないかと模索していた。花子はそれを強く支持したけど、当時の学生運動はすでに党派による分裂が進んでいた。当時の大学でビックリ男は学生運動の旗手の一人と言われていたけれど、その内心はすっかり追い詰まりつつあったらしい。
そんな中、学校の受験運営について一部の学校職員が不正があると教授会に反発、数日だけど学校をビックリ男たちが占拠する事態になった。
占拠のバリケードの中で、花子たち女子学生はお米を炊き、お味噌汁を作って仲間を支援した。そのときビックリ男は「本当は男もそれやらないとな。女だけにそういうのを押しつけるのは良くない」と言った」
*
「たしかにそうだけど、私たちは力も弱い。重たい石を機動隊に投げるなんて到底出来ない。ゲバ棒を振り回そうとしても、逆に振り回されてしまう。これは男女差別というより男女分業だと思う」
花子はそう言った。
「そうなのかな。花子、君ぐらいリーダーシップあれば、君が自治会長やっても良かったと思う」
ビックリ男はうつむいた。
「そんなことないわよ」
花子は微笑む。
「慎ましい女性の遠慮にこの社会はつけ込みすぎている。そういうずるい社会は変えるべきだ」
なおもビックリ男は続ける。
「でも、花子はそういう弱い人間じゃない」
太郎がいいだした。
「ノンポリなのにつきあわせてすまないな」
「いや、バイト先のラーメン屋さんの大将が『行ってこい』って。やっぱりこの件は大学として、いくらなんでもヒドスギルから」
「そうか」
「でも花子はただ慎ましさにつけ込まれて副会長やってるんじゃない。ぼくも最初そう思ってたけど、こう見ていて思う。君みたいな会長がいるんだから、ナンバーツーになったほうが上手く行く、って判断したんだと思う。花子はそういう聡明さを持ってるよ。そういう判断の自由も認めてこそだと思う。それより会長、そんな落ち込んでて大丈夫? 自信喪失か?」
「太郎にはわかられてしまうな。この前、よそとの対話会議で」
「……やりこめられたのか」
「ああ。おまえは日帝に妥協した、反革命だ、日和見主義だ、総括しろ、って延々とつるし上げられた」
「でもあいつらの武装闘争路線、あのままだといずれ一般から支持されず、見捨てられるぞ。ラーメン屋でも最近の学生運動おかしい、っていう客が増えてる」
「彼らはそう思ってないさ。どうしてこうなのか。自分たちの中に閉じこもり、イエスマンだけを集め、一般からの視点を見失い、それでますます過激行動に走る。その過激行動で支持を失い、それでますます閉じこもる。まさに悪循環だ。これでは民衆とともに真の革命を目指すなんてことはどうやっても無理だ」
「そうなのか」
「俺にもっと能力があれば彼らにあんな言われかたしなくても済んだのかもしれない」
「私でも無理よ。私、そういうのすごく苦手だもの」
花子はそういう。
「ぼくは花子をそういうのに出さなくて済んだってのは価値があると思うよ。花子には花子の、会長には会長のなすべき事がある。会長は花子を守ったんだよ。ぼくにはそれはできない。すごいと思う」
「でも……俺にはもう何も出来ない。もう何も」
「だけどこうやって行動してるじゃないか。うちの大学も最近、どんどん僕らの弱みにつけ込むようになってる。ずるいなと思う。でもぼくにはこういう骨堂しようと思ってもできないよ」
「だが、こうしていることが日本の学生運動のイメージをゆがめ、いずれ行動すること、立ち上がること自身の意味も悪化させるように思う。未来の我々の後輩から理不尽に立ち向かう気力すらも奪ってしまうのかもしれない」
「このまま武装闘争が続けばそうなるだろうね、でも会長、諦めちゃダメだ。諦めて腐ったらあいつらと同じ暗黒面に墜ちる。そうなったら闘争の理想もなにも台無しだ」
「そうだな」
そのとき、ビックリ男は上に気づいた。
「今日、満月だっけ」
「あ、そうかもしれない!」
何人かで立てこもった文学部棟の屋上に出る。
「『バリケードスキマに見えし満月は』」
ビックリ男が上の句を詠んだ。
「『にぎりめしのたくあんにも似て』」
太郎がそう答える。
「なんだよそれ。ひでえ下の句だ」
みんな笑った。
「色がそっくりで」
だが、そのとき。
「『遙か未来に望みつなぐ』」
花子が小さな声で詠んだ。
「そうだな。未来に望みをつなぐしかないな」
「きっと、僕らの次の世代が、そういう理不尽やずるさにちゃんと声を上げてくれるよ。僕らよりきっとスマートに、賢く。ぼくらには思いつかないような方法で」
「そうだといいんだが」
月は沈黙のまま、大学のバリケードの上で輝いていた。
*
そしてその50年後。
「月だけは変わらないんだろうな」
海老名署で鷺沢が言った。窓の外に月が輝いている。
「人間の運命って、なんなんでしょうね。あんな追い込まれた会長が6人も爆弾で殺して死刑囚に。花子さんは革命家として射殺され、太郎さんだけが今どこかでこの同じ月を見ている」
佐々木が言う。
「人間はわからん。昔読んだ仏教の本にあった。人を殺すなんて普通の人にはとても出来ない。でも運命がそうなれば人を殺すことになってしまう」
「罪は罪、人は人、かな」
「ビックリ男、拘置所でも面会の弁護人にほとんど発言してないらしい。なかには『若さ故』なんて言い訳をする人もいる中で、彼は本当に沈黙している。ずいぶん長い間だけども」
「つらいでしょうね。でも殺してしまった6人の無念を考えると、発言なんてとても出来ないだろうけども」
「本当にしっかり罪と向き合ってるんだと思う。なんでまたそんな人が爆弾事件なんか起こしちゃったんだろう。ほんと不条理だ」