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嵐の孤島に百合は咲く
嵐の孤島に百合は咲く
晴坂しずか
ミステリーサスペンス
2025年01月07日
公開日
3,133字
完結済
洪水で取り残されたビルの中、客と揉め合いになってブチギレた店員が……。

登場人物全員女性で書いてみたかっただけの習作です。

嵐の孤島に百合は咲く

 週に一度のワークショップ。紅茶アドバイザーの資格を持つ私は、生徒さんに紅茶の知識と美味しい淹れ方を教える。時間は60分間だけど、半分はただのお茶会みたいになる。それを気に入って受講してくれる人たちのおかげで、私はこの仕事を続けられていた。

 でも、この日はさすがに中止にするべきだった。


 窓の外はひどい豪雨で、街を南北に走る川は増水。堤防が決壊して洪水となり、木々や物が流されていた。

「この建物、大丈夫なんですか?」

 今にも泣き出しそうな顔をしてたずねてきたのは翠田すいたさんだった。まだ二十代で若く、頭がやわらかいみたいで何でもすぐに覚えてくれる。

 私も泣きたい気持ちだったが、どうにか平静を装った。

「今のところ流されてる感じではないですし、たぶん大丈夫です」

「でも、建物自体は古いですよね?」

 と、口を出してきたのは空井そらいさん。私と同年代で気が合うのだが、まだお友だちというほどではない。

「大丈夫よ。だってここ、コンクリートでしょ? それより身動きが取れない方が問題だわ」

 と、この場では最年長の藤原ふじわらさんが言い、私もうなずいた。

「ええ、そうですね。とにかく救助を待つしか……」

 直後、扉が勢いよく開いて若い女性が入ってきた。

「みなさん、三階に上がった方がいいかもしれません」

「え?」

 レンタルスペース店の受付スタッフである彼女は、顔面蒼白になって言う。

「一階はもう使えません。水がどんどん入ってきてて、二階まで入ってきそうな勢いなんです」

 私たちは驚きの声を上げたが、考えてみればここは街の中でも比較的低地にある。緩やかな坂に挟まれた、いわば谷なのだ。

「急いで上へ行きましょう」

 と、私は声をかけて、貴重品の入った鞄を肩へかけた。

 翠田さんたちも慌てて荷物を手にし、スタッフの彼女の後について三階へと上がる。

 すると騒ぎを聞きつけたのか、三階の一室から派手なメイクをした女性が顔を出した。

「ここ、屋上はないの?」

「あると思いますが、入れるかどうか」

 と、スタッフの彼女が困惑をあらわに言い、女性客はむすっとした顔で部屋へと戻る。

 すぐに先ほどの女性は別の女性二人を連れて外へ出てきた。

「屋上にいた方が見つけてもらいやすいでしょ」

 と、階段を上がっていく。

 察したスタッフが慌てて駆け上がり、屋上へ続くはずの扉へ手をかけた。

 ガチャガチャと音がするが扉は開かなかった。どうやら施錠されているらしい。

「ちょっと! どういうことよ!?」

「す、すみません! どうにかして、今扉をっ」

「邪魔よ、あたしがやる!」

 女性客がスタッフを突き飛ばすようにして扉へ手を伸ばした。ガチャガチャとまた音がするが開かず、次に彼女はガンガンと扉を蹴り始めた。

 それでも開かない扉に、女性客は何故かスタッフをにらみつける。

「これじゃあ、救助が来ても見つけてもらえないじゃないの!」

「どうにかして開けなさいよ!」

「鍵はないの!? スタッフならそれくらい持ってなさいよ!」

 この非常事態に、しかも雇われ店員でしかない彼女を責めるとはひどい。見ていられなくなった私が階段を上がろうとした時だった。

 壁際で震えていた彼女が、急にキレた。

「知らねぇよ! こっちだって必死なんだよ!」

 女性客たちがびくっとしたのも一瞬で、すぐに険悪な雰囲気になる。

「客に向かって何よ、その態度!」

「生意気!」

「スタッフでしょ!? なんとかしなさいよ!」

「ざけんなっつってんだろ!? テナント借りてるだけなんだから、ビルのことなんて知るわけねぇんだよ!!」

「ふざけんなはこっちの台詞よ!」

 狭い空間で喧嘩が始まってしまった。派手なメイクの女性がスタッフにつかみかかるのが見えて、私は嫌な予感を覚えた。

 急いで止めに入ろうと階段に足をかけた直後、女性客がスタッフを突き飛ばした。その拍子にバランスを崩したスタッフの体が宙へ浮き、私の目の前で落下し、ものすごい音とともに三階へと落ちる。

 いったい何が起こったのか、事態を理解したのは誰かが叫んだからだった。

「きゃああああー!!!!」

 スタッフの彼女の頭から、じわりと血が出ては血溜まりを作っていく。

 気づいた途端、私は思わず飛び退いてしまった。

「う、嘘……」

 階段の上から声がし、誰かが言う。

「もしかして、死んでる……?」

 どうしてこんなことに!?

 頭の中が混乱して体が動かない。ただでさえ非常事態なのに、人まで死んでしまった。

 空井さんが冷静に鞄からスマートフォンを取り出す。耳へ当てたが、すぐに舌打ちをした。

「ダメです、電波がつながらない」

 この洪水で近くの基地局がやられてしまったようだ。

「どうするんですか?」

 と、怯えた様子で翠田さんがたずねると、上から茶髪の女性が下りてきた。

「証拠隠滅しないと!」

「はあ!?」

 思いがけず私の口から大きな声が出て、茶髪の彼女が返す。

「だって殺しちゃったんだよ? 外は洪水、窓から投げ捨てれば死因なんて分からなくなるに決まってる」

「ふざけないでくださいよ! 人の命を何だと思ってるんですか!?」

「だって、真里奈まりなは殺すつもりなんてなかった!」

 大きな声で言い返されて、私は一歩引いてしまった。

「だったら証拠隠滅するしかないじゃん! そうでしょ、真里奈!?」

 と、上へ呼びかける。

 真里奈と呼ばれた女性は床へ座り込んで放心状態になっており、もう一人の女性が心配そうに肩や背中をさすってあげていた。

 すると、藤原さんが言う。

「そうね、何も見なかったことにしましょう」

「えっ、藤原さん!?」

「だって殺人事件でしょう? わたし、面倒なことに巻き込まれたくないわ」

「で、でも」

 私が戸惑っている間に、藤原さんは茶髪の彼女と顔を見合わせてうなずき合った。

「手伝うわ」

「ありがとう、おばさん」

 そして二人は遺体を協力して持ち上げた。

「翠田さん、窓を開けてくれる?」

「は、はいっ」

 藤原さんに指示されて、翠田さんは近くの窓を開けた。

「やるわよ、せーの」

 大人一人が通れる程度の大きさの四角い窓から、遺体が濁流の中へと投げ込まれる。

「……そんな」

 私は何も出来ず、ただ見ているしかなかった。目の前で行われていることがいかに倫理から外れたものか、頭では分かっていたのに。

「この血、どうしよう」

「布で拭いて、その布も捨てればいいわ」

「そっか」

 二人が近くの部屋へ入っていき、ありったけのタオルを持って戻って来る。

 床に広がった血溜まりを拭き取り、開放されたままの窓からどんどん捨てていく。

「よし、これくらいでいいんじゃない?」

「最後に濡れたタオルで拭けば、終わりね」

 藤原さんが部屋の水道で濡らしてきたタオルを使い、血溜まりがあった箇所を丁寧に拭く。

 そこだけすっかり綺麗になってしまい、むしろ不自然なくらいだ。でも、ほんの数十分前までそこに遺体があったとは思えないのも事実で、私は何だか気が抜けてしまった。

 空井さんの隣へ移動し、私はその場にしゃがみこむ。

 すると、空井さんもしゃがみこんで私へ耳打ちしてきた。

「大丈夫、証拠写真とったから」

 はっと顔を上げた私だったが、すぐに視線を感じて緊張する。目の前に立っていたのは藤原さんだ。

「あなた、ずっとスマートフォンを持ってたわね」

「ええ、警察に連絡がつかないかと思って」

 冷静に返す空井さんだったが、スマートフォンを握る手が小刻みに震えている。

 藤原さんは有無を言わせず、空井さんの手からスマートフォンを取り上げた。

「あっ」

 と言う間もなく、スマートフォンまで濁流の中へ投げ込まれる。

「あとはあの子ね」

 と、藤原さんが階段を上がっていき、私は頭を抱えるようにしてため息をついた。

 もうダメだ。私たちも見なかったことにするしかない。

「ごめんなさい、先生」

「私に謝られても……」

 空井さんはがっくりと肩を落とし、あとは事の成り行きを黙って見ているだけだった。

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