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六、澁谷幕僚長の進言

 日本じゅうがゴリンピア大祭に向けて盛り上がりを見せていたさなか、足沢防衛大臣とともに、首相官邸へ一人の男が訪ねて来た。

 縦よりも横に広い身体……というのが最初の印象だった。

 濃緑色の軍服に身を包んだ男の背は低く、百六〇センチのあたしと並んでも大差なかったけど、その厚い胸板と広い肩幅は男の潜り抜けてきた戦歴を物語っていた。

「陸上自影隊幕僚長、澁谷しぶたに吾郎であります」

 軍隊式の挙手の敬礼とともに、男は名乗りを上げた。

 矢部総理は執務席から立ち上がると、部屋に備え付けたソファへ二人を促した。

「ナノロイドの件で緊急の話があると聞いたが?」

 足沢大臣は豚のように肥え太った体をソファにめり込ませ、だらだらと流れる額の汗をハンカチで拭った。

「わたしゃ気にし過ぎじゃないかと言っとるんですが、澁谷くんがナノロイドの問題点についてどうしても総理のお耳に入れておきたいと、こう申すもので」

 澁谷幕僚長は押し黙ったまま、猛禽類を思わせる眼で総理を見据えた。

「失礼いたします」

 あたしは三人ぶんのお茶をテーブルに置いた。

「ナノロイドの製造認可も事前に取ってあったし、何が問題なのかね?」

「はっ。法規上の問題等は全くないのでありますが、千体に及ぶ、それも人間と見分けが付かぬ、超人的な体力と知力を合わせ持ったヒューマノイドの製造を、防衛庁の誰も把握していなかった事が問題なのであります」

 確かに従来のアンドロイドは、どれだけ精巧に作られた物でもただの不気味なからくり人形に過ぎなかった。それに比べて荷稲博士の開発したナノロイドは、見た目だけでなく、あらゆる面で人間を超えた存在といえた。

「うむ、あそこまで完成度の高いアンドロイドを生み出す技術があるとは、誰も予想していなかったからな……。だがロボット三原則を組み込んであるのは確認しておるし、安全面に問題はなかろうよ」

 ナノロイドの危険性は総理も薄々気付いてはいたが、ゴリンピック中止の代替案として、もはや引き返すわけにもいかないのだ。

「アハハ、いまやピストルを始め小型の原子爆弾でさえ、アパートの一室で生産可能なご時世ですからなぁ」

 場を和ませようと足沢大臣がおどけた調子で合いの手を入れたが、矢部総理と澁谷幕僚長は互いに相手の目を見据えたまま、一歩も後へは退かない構えを見せていた。

 やがて幕僚長は意を決し、昂然と言い放った。

「荷稲博士に国家転覆の思想がある……とは考えておりません。が、あのナノロイドという技術、甚だ危険です。民間企業の小さな研究所の地下工場で、それもわずか数カ月という期間に千体ものヒューマノイドが製造された。もし、その技術が他国に漏洩するような事態が起これば、何万体もの超人兵士が瞬時に生まれる危険性もあるのですぞ!」

 幕僚長の口調に気圧され、室内に重苦しい空気が流れた。

 矢部総理は目を瞑り、天井を仰いでしばらく黙考したあと、手の平で自分の両膝をぱんっ﹅﹅﹅と叩いた。

「よし、分かった。ゴリンピックが終わり次第、荷稲博士のナノテクノロジー研究所は政府の管理下に置くとしよう」

「えっ、私設の研究所が応じますかね?」

「足沢よ、お前さん何年政治家やっとるんだ?」

「はぁ……」

「一介の科学者に拒否権なぞあるものか。うんと言わねば、検察に手を回して国家反逆罪で刑務所に投獄すればよい」

「な、なるほど……」

 澁谷幕僚長は二人の会話が途切れるのを見計らい、さらに不敵な意見を進言した。

「それから、ゴリンピア大祭の開催期間中、新国立競技場の周囲に練馬の第一戦鎧せんがい師団を配備する許可を頂きたい」

櫻花おうかかね?」

 総理の口にした櫻花とは、蜜菱重工と陸上自影隊が共同開発し、先の中華戦線で首都制圧に実戦投入された人型兵器の事だ。

 体高四・二メートル、空重量三トンにも及ぶ大きさがありながら、手動による操作以外にパイロットが装着するブレイン・マシン・インターフェースの脳波を筋肉を模したアクチュエータに直接送るため、人間の動作に極めて近い運動性能を有していた。

「はっ、櫻花であれば、有事の際も問題なく制圧できます」

「さ、さすがに塔京の市街地に人型兵器を配備するのは世論が……」

「輸送車に格納してあるので、さほど人目につきません」

「許可しよう」

 日和見主義の足沢大臣の言葉を退け、ゴリンピア大祭は自影隊の警備体制が敷かれる事となった。


「本日は閣下のお考えを確認でき安心いたしました」

 澁谷幕僚長はここで初めて口元をほころばせた。

「うむ、こちらこそ、軍部からの貴重な意見を言ってくださり助かりましたぞ。実はゴリンピア祭終了後、ナノロイドの軍事利用も考えておったところだ。その際の陣頭指揮は、ぜひ貴殿にお願いしたい」

 ああ……、久々に見る黒矢部さんだわ。

 あたしに取っては子どもの頃からお世話になっている大好きな叔父だけど、時折現れる政治家としての闇の顔は何度見ても慣れるものではない。

「感謝の極み!」

 と一礼すると、澁谷幕僚長は首相官邸を去って行った。

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