翌る日の夕方、首相官邸で緊急記者会見が開かれた。
矢部総理と荷稲博士の他に、奇妙な身なりのゼウス、アテナ、ヘラクレスの三人も控え席に座っていたもんだから、場内は始まる前から騒然としていた。
「まず冒頭、SNSで流れておるゴリンピック中止の件について申し上げる」
矢部総理が壇上に上がり、昨夜のツルッター祭りの事に触れた瞬間、カメラマンたちのシャッターが一斉に切られた。
「現状コロリウイルスは、全国的にみてさほどの蔓延に至っておりません。がしかし、人類が今まで遭遇した事のない未知のウイルスである点を考慮し、海外からの選手及び渡航客を日本に迎えるのは、極めて危険であると判断した。国際ゴリンピック委員会のストーム会長とも、何度も協議を重ねた結果、誠に遺憾ながら、塔京ゴリンピックの中止が正式決定した事をご報告申し上げる」
ここで総理は間を置き、控え席の方をちらりと見た。
「ですが、塔京ゴリンピック中止も視野に入れ、その代替案として水面下で準備を進めておった極秘計画がある。本日この記者会見の場には、提案者でもある日本ナノテクノロジー研究所の荷稲冬樹博士に同席していただいておるので、計画の詳細は博士から説明して頂く」
矢部総理がこちらに手で合図を送ったので、あたしは荷稲博士を壇上へ促した。
ここでまた、カメラマンたちのシャッターが一斉に切られた。
「えー、ナノ研の荷稲です。くだくだ言葉で説明するより資料を見ていただいた方が理解が早いでしょう。まずはこちらをご覧ください」
荷稲博士の合図で場内の照明が落ち、壇上の後ろにあるスクリーンに映像が映ると、初めに〔Made in Caina〕と刻印されたナノ細胞の絵が登場した。
一つだったナノ細胞は次々と自分のコピーを生み出し、犬や猫や鳥、または大型の馬や象などさまざまな動物に変化し、やがて人間の形へと収斂していく過程が簡易なアニメーションで説明された。
「CAU、UUC、UCA、CGA、CCG、AUC……。ぼくの開発したナノ細胞は、動物の細胞と同じ働きをします。擬似遺伝子コードをプログラミングする事で自己増殖を繰り返し、理論上どんな形を作る事も可能なのです」
映像は実写に変わり〔ナノ研ファクトリー〕と記された場所が登場した。
そこでは、ちょうど棺桶ほどの大きさの培養槽がずらりと並べられ、ナノ細胞が人型に増殖していく様子が早送りで映し出された。
「これはぼくの研究ラボの地下にある生産ラインでして、人間の代わりを務めるナノロイドを千体ばかり作っていました。あー、ナノロイドってのは、ナノ細胞を人の形に似せて培養したものですが、外骨格を除いて人類とは全く異なる構造をしています」
場面が切り替わり、この場にも同席しているヘラクレスが登場した。
他のナノロイドよりもふた回りは大きな、ボディビルダーのような肉体を披露すると、黒々とした円盤プレートを付けたバーベルの前に立った。
左右の総重量、五〇〇キログラム。これは現在の世界記録と並ぶ重量だが、ヘラクレスはシャフトの真ん中を無造作に掴むと、片手で軽々と頭の上まで持ち上げてしまった。
また場面が切り替わり、同じく同席しているアテナが登場した。
競技場の端に設置された台の上に、赤く熟れた林檎の果実が置かれている。
アテナは一〇〇メートル離れた場所で、競技用の槍を持って立っている。林檎のある方角を確認すると、彼女はほとんど助走もせずに投擲した。槍先は林檎の中心を見事に射抜き、競技場の壁に突き刺さって止まった。
「ご覧のように、彼らの身体能力は人間を遥かに凌駕します。もはや説明の必要はないかも知れませんが、ぼくの提案はこの神話の神々に似せたナノロイドたちを活用し、塔京ゴリンピックの代わりに、古のゴリンピア大祭を復活させてはどうかという事です」
最後にまた場面が切り替わり、先ほどの地下工場が映し出された。
そこには、アポロンやマーズやキューピッドなどの上級神、牧神やニュンペーやセイレーンなどの下級神も含め、目覚めを待つ千体の神々が培養ベッドに横たわっていた。
「ぼくからは以上です」
ENDマークが流れて荷稲博士が一礼すると、場内は元の明るさに戻った。
「ここからは皆様の質問にお答えいたします」
というアナウンスを流したが、場内は隣同士でひそひそと話す記者たちばかりで、一向に質問の手は挙がらなかった。
そりゃそうよね……。
てっきり矢部総理の謝罪会見になると思っていたマスコミからすれば、突然ナノロイドの大会をやるぞって言われても、斜め上過ぎて何から質問して良いか分からないわよね。
だけど、記者席の一番前に座っていた痩せぎすの男性記者が、手を挙げて立ち上がった。
「旭日新聞の宮間です。まず一点、総理にお聞きしたいのは、このナノロイドによるゴリンピア大祭とやら、これはIGCの公認を得られた正式な大会なのですかね?」
ああ、嫌だ……。
この男、
矢部総理が再び壇上に上がり、その質問に答えた。
「国際ゴリンピック委員会とは話し合いを設けておらず、完全に非公式の祭典です」
という総理の回答に、宮間記者は露骨に顔をしかめた。
「それは余りにも強引な……。申し訳ないが、少しばかり精巧にできたからくり人形の玩具なぞが、生きた人間の代わりになると私には思えませんが、総理はどうお考えなのか?」
宮間記者の手厳しい追及で本来の使命を思い出した記者たちの一人が、「そうだ、そうだっ!」と合いの手を入れた。
「た、確かに人間の代わりにはならんかも知れんが、超人的な競技は必ずや……」
総理が申し開きの答弁を始めると、それを遮るように「ふざけるなっ!、人間が競技しないと意味ないだろっ!」と野次が飛んだ。
宮間記者は我が意を得たりと、さらに総理への追求を強めた。
「総理、このような茶番劇で、ゴリンピック中止の失態を誤魔化そうとするのは如何なものか。もはや貴方には総理職を続けて行く資格が無い……、と私は思いますが、総理はどうお考えかっ!?」
場内に「辞任しろっ!、辞任しろっ!」という野次が飛び交う中、控え席にいた白髭の男が悠然と立ち上がり壇上に向かった。
「我が名はゼウス」
地の底から湧き上がるような第一声に気圧され、記者たちを初め、カメラマンたちまでシャッターを切るのも忘れ呆然とした。やがて一人がシャッターを切り出すと、他の者たちも釣られたようにパシャパシャとやり始めた。
場内が鎮まるのを待ち、再び語り出す。
「諸君、一体全体、塔京ゴリンピックの中止は誰の所為か? 未知の
ゼウスはその澄み渡る碧い眼で記者たちを見つめた。
「それはあまりにも
滔々と語るゼウスの言葉に、場内は水を打ったように静まり返った。
ゼウスの圧倒的な演説の前に記者たちの目の色が明らかに変わった。この現代に甦った神々の祭典なら、あたしと同じくちょっと見てみたいという気持ちになったのだろう。
ゼウスは高々と右手を挙げた。
開かれた掌は虚空の何かを掴むようにぐっと閉じていき、やがて握りしめた掌の間から、
ぱちぱちと爆ぜる音のあと、トーチに火が灯った。
記者団の拍手が巻き起こる中、あたしの隣に居た荷稲博士はにやにやと笑いながら謎の言葉を呟いた。
「現世の聖火は、ゼウスの手によって分け与えられたか」
どういう意味なのかしら?