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三、神々の復活

 ようやく自分を取り戻した矢部総理の下に、今度は内線の電話が入った。もはや日も沈んでいるというのに、首相官邸に誰か訪ねてきたらしい。

「ふむ、ゴリンピックの件で重要な話があるというのだな。よし、すぐに行くから応接室の方に通してくれたまえ。ん、ほかに妙な服装の外国人が三人? まぁ良い、荷稲かいな博士が連れてきた客人ならとくに問題はなかろう。全員お通ししたまえ」

 総理は電話を下ろすと、目頭を押さえて天井を仰いだ。

「ナノ研の荷稲さんですか?」

 訪問者の確認をすると、総理は上を向いたまま手をひらひらとさせた。

「うむ……、何やらゴリンピックの提案をしたいそうだ。まぁ、中止の決まったものに時間を割いても仕方ないが、彼には科学庁の参与としてお世話になっておるからな」

 そう言うと、矢部総理は席を立ち背広に袖を通した。

「十八時の足沢たるさわ大臣との面会まで、あまり時間がありませんが……」

「玄関まで来ておるのに門前払いにはできまいよ」

 総理とあたしは一階の応接室へ向かった。


 荷稲冬樹氏は日本ナノテクノロジー研究所の所長だ。

 といっても公的な機関ではなく、ナノ研は彼が独自に資金を集めて作った私設の研究所なのだが、独創的な技術に基づく『ナノ細胞』の研究成果は、日本だけでなく欧米諸国でも高く評価されていた。

 まだ三十代という若さから受賞こそしてはいないが、将来においてまず間違いなくノーヘル科学賞を獲るだろうと目されている人物の一人だった。

「荷稲博士、お久しぶりです」

「総理、夜分遅くに失礼いたします」

 応接室のソファに座る博士の側には、三人の異人が佇んでいた。

 一人は獅子の毛皮を頭から被った男だった。開かれた胸元から覗く身体は、ボディビルダーのように肥大した筋肉を搭載していた。もう一人は白銀しろがねの鎧を身に着けた美しい女だった。その手には、蛇の髪を持つ怪物の顔を嵌め込んだ盾を持っていた。

 最後の一人は白いローブを身に纏った白髭の男だった。その吸い込まれそうなあおい眼差しは、あたしに哲学者のそれを想起させた。

 三者三様の個性はあるが、褐色の肌と均整の取れた秀麗な肉体を誇るという点で一致していた。

 この人たち、ひょっとして……。


「で、そちらの方々は?」

 矢部総理が、従者のように背後に控える三人に目をやりつつ訊ねると、

「ご覧の通りゼウスにアテナにヘラクレスです」

 と、荷稲博士は事も無げにいにしえの神々の名を口にした。

「どうも話が見えませんな。御三方とも、大変魅力的な人物である事は疑いようがありませんが、よもやゴリンピックの開会式に、ギリシャ神話のコスプレイヤーを登場させようといった趣旨ですかな?」

 博士はその質問には答えず、人間の手首ほどもある鋼鉄の六角ボルトを机の上に置くと、ヘラクレスとおぼしき男に目で合図を送った。

 ヘラクレスは手を伸ばしてボルトを掴み上げ、そのままぎゅうっ﹅﹅﹅﹅と握り込んだ。鋼鉄のボルトはあたしたちの眼の前で、ギギギギギギッと音を立てて変形した。

 今度は横にいる女、アテナがひしゃげた鋼鉄の塊を受け取ると、まるで雑巾でも絞るように両手を廻し、ぶつんっ﹅﹅﹅﹅と半分に捩じ切ってしまった。

 博士は二つになったボルトの残骸を、矢部総理に手渡した。

「こ、これは本当に鋼鉄のネジだったのかね?」

 あまりにも唐突な展開に、総理もあたしも唖然としていると、頃合いを見計らった辺りで荷稲博士が口を開いた。

「まずあなた方は奇術を疑った。テレビショーで似たような芸当を観た記憶があるから……。とはいえ、捩じ切られた鋼鉄のボルトは自分の手の内にあり、目の前には世界屈指の科学者が座している。そんな余興をする理由は無いはず……、そう思っていますね?」

「でも、人間にこんな芸当ができる筈ないわ……」

 というあたしの呟きに、荷稲博士はさらに信じがたい事項を付け加えた。

「ご明察、三体ともぼくのナノ細胞で造り出した人造人間です」

「ロボットですか、彼らが?」

 矢部総理の問い掛けに、今度は後ろにいるゼウスと思しき男が口を開いた。

「我々三人は、荷稲博士のナノテクノロジーによって創られた人工生命体、その名をナノロイドと申します」

 その声音は、哲人のような風貌に相応しい威厳に満ちたものだった。

「わたしの言葉を正しく理解するこの人物が、造られた物﹅﹅﹅﹅﹅と仰るのですか!?」

 荷稲博士は背後に目配せをすると、三人の神々を我々の前にひざまずかせ首の後ろを指し示した。

「ぼくのコピーライトをご覧ください」

 そこには小さな金属プレートのような物が埋め込まれ〔Made in Caina〕という文字が深々と刻み込まれていた。


「ふむ……、彼らが人間そっくりの人造人間という事は承知した。しかし、どうもまだ話が見えませんな」

 荷稲博士は目を瞑り深呼吸をしたあと、にんまり﹅﹅﹅﹅と笑みを浮かべておもむろに切り出した。

「ゴリンピックは中止になったんでしょう、総理?」

「な、何故それをっ!?」

「先ほどストーム会長が、ツルッターで呟いてましたから」

「えっ!?」

 あたしは慌ててスマートフォンを取り出しツルッターを表示したが、すでに〔♯ゴリンピック中止〕のハッシュタグでお祭り騒ぎとなっていた。

「あの、ゲシュタポの豚野郎がっ!!」

 ツルッターの画面を見せるなり、矢部総理は絶叫した。

「何故これを先に仰ってくれないんですか!?」

 あたしは錯乱状態の総理に成り代わって抗議をしたが、荷稲博士は全く悪びれる様子もなく、こう切り返した。

「いや、先にお伝えしたら、ぼくの話聞いてくれないでしょ?」

 確かにそれはそうかもね……。

「ヤベーよ、ヤベーよ、もうお終いだよぉー!」

 冷静に答える博士とは裏腹に、総理の精神錯乱はさらに悪化した。


「総理、落ち着いてください。ぼくはその中止になった塔京ゴリンピックを救うべく、妙案を携えて飛んで来たのですよ!」

 荷稲博士の妙案というひと言に、総理の自我は立ち所に持ち直した。

「そ、その妙案とは何かね!?」

「つまり、ゴリンピックに参加できなくなった選手たちの代わりに、このギリシャ神話の神々に競技をやってもらおうという算段ですよ。神々こうごうしい姿のナノロイドたちが古のゴリンピア大祭を復活させれば、きっと世界じゅうの人々も興味を持ちますよ。先ほどお見せしたように、彼らの身体能力は人間のそれを遥かに凌駕するものですからね」

「……な、なるほど、確かに悪くないアイデアかも知れん。が、たった三体のナノロイドだけでは競技にならんのでは?」

 という総理の問い掛けに、荷稲博士は子供のような笑みを浮かべて答えた。

「いえ、すでに千体を越える神々をご用意しています」

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