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第6話 鈴木の気持ち①

件名:【業務外】

本文:おつかれ。来月から海外出張が決まって、楠木に部屋の鍵を預かってほしいんだけど空いている日ある?



カチカチカチ…。



文面はこれでいいだろうか…と何度も書いては消しを繰り返し、やっとの思いで出来たメール。送ろうと思うが思いとどまり翌日になる。

そんなことを何日繰り返しただろうか…。下書きフォルダに残ったままのメールを勢いでようやく送信した。



第6話 鈴木の視点① のコピー

俺の名前は、鈴木浩太。送り主は同期の楠木早苗だ。

楠木は、唯一連絡を取り合っている同期だ。





毎年50人ほど入社してくるが、一人、二人…と辞めていき10年経つと1桁という厳しい世界だった。本人だけの問題ではなく、配属先や上司など人間関係で優秀でも辞めていく場合もある。



大学時代に海外留学の経験があったことから、入社してからずっと本社勤務の海外部門を担当している。

海外では実力主義で自分の意見を言うことを求められるため指摘はストレートにいってくるが、その分陰湿なハラスメントとは無縁で恵まれた環境にいた。また語学必須の部門だったため異動もないことが良かった。



営業職だと支店間の異動が激しく場所になれずノルマを達成しないといけないが、海外部門は長期案件が多く担当者がいないと業務に支障が出るため、よっぽどの問題がない限りは異動もなく上のポストを目指しやすい部門でもあった。



社会で勝ち抜くには、敵を作らないことが重要だ。

同世代の中でも早くポストをもらったこともあり、初めて昇進試験を受けたときは自分ひとり20代で白い目で見られたことを覚えている。



父親譲りの背の高さと、母親譲りの彫りの深い鼻のおかげで学生時代から恋愛に困ることはなかった。新しいことを学ぶことは楽しかったので、テストの順位も常に学年10位以内をキープし、希望の大学にも推薦で入ることが出来た。



社会人になってからも、業界ではトップクラスで収入が高いという理由から合コンや紹介は途絶えなかった。飲み会の席では、『すごいですね』『かっこいい』など褒めちぎる女子たちに悪い気分はしなかったが、どこか他人事のように聞いていた。





好意を持ってくれる人たちは、見た目や肩書で自分を選んでいる気がする。高身長・高学歴・高年収、バブル期の理想の結婚相手の条件と言われていたらしいが、その条件はクリアしている。そして令和になった今でも高年収を求めてくる女性はいる。あからさまに玉の輿を狙っていると宣言する子もいて興ざめした。





また若くして昇進すると同性からも、「あいつだけ…」と変にやっかみをつけられることも少なくない。トラブルや誤解を招くことはそんな人たちへのネタの提供になるだけなので社内での言動には細心の注意を払った。





「運が良かっただけ」、「ありがたいことに…」「あなたのおかげ」「みんなのサポートがあってこそ」というのを口癖にし、謙虚な姿勢を崩さないよう努めていた。





しかし、楠木だけは違った。

楠木は総務部にいて、業務柄社内の情報に詳しい。

しかし、決して口が軽いわけではなく情報の重要度を精査して自分から喋るようなことをしなかった。

また、普段から周りを見て行動するタイプだったため困った人に痒いところに手が届く存在として重宝されていた。



昇進が分かった時も、本当はもっと前から知っていたはずだが、社内の辞令が出てから周りと同じように「鈴木、昇進したんだね。おめでとう」と言ってきた。





「運がよかっただけ」と答えると「え、そんなことないよ。だって鈴木、休日でもセミナーや交流会に参加していたじゃない。期日守るために休日出勤していて、部長も、困ったことがあったら鈴木だって言ってるよ。鈴木の仕事熱心なところすごいと思うし、成すべくしてこのポジションにいるんだよ」とあっけらかんと言ってくる。





お世辞や思惑がある様子は全くなく、不思議そうに「何言っているの?素直に思ったことを伝えただけ」という口調と表情に、俺のことをちゃんと見てくれている人もいるのかと救われた気がした。



入社した時は同期の中の一人だった。

楠木は大学の時から付き合っている彼氏がいたが、夏前に別れた。環境の変化で別れることは珍しいことではないので、別れたことも楠木自身のことも、さほど気にしていなかった。







気になったのは、夏休みに同期で行ったBBQの時だ。

行きのスーパーで買い出しをし、現地で火をおこしたり野菜を切るなどそれぞれに役割分担をする。



アウトドアや料理が得意なやつは、アピールポイントでもあるので率先してやっていた。お金の計算が得意な者は、会計をして集金をする。

そんな中、楠木は「何か手伝えることあるかな?」と控えめな姿勢だった。





このBBQで得意分野はないのだろう、と思っていたが違った。

野菜を切り終え肉を焼き、皆が食べ始め盛り上がっている時にビールが残り少なくなっていることに気がついた。

ハイボール用に買った氷も溶け始め半分以上水になっている。



「ビールなくなりそうだから、買ってくるね。あと氷。ほかに必要なものあるかな?」



まだ飲み足りないので追加で買ってきてくれるのはありがたいが近くのコンビニまで距離もある。



「楠木ちゃん、あんまり飲んでないんじゃない?大変だしいいよ、行くならたくさん飲んだ奴にしよう」





誰かが言ったが、楠木は笑って





「大丈夫。準備の時にみんなに甘えちゃったから、私行くよ。力あるから任せて!それに実はトイレも行きたかったんだよね」



さすがに女一人で行かせるには申し訳ないので俺も含め3人で買い出しに行った。コンビニにつくと、手際よくビールと氷、乾き物のつまみを買っていく楠木だが、かごに入れるとさっさと会計を済ませ店を出てしまった。





トイレに行きたかったというのは、気を遣わせないための口実だったんだと帰り道に気が付いた。その後も、焼き焦げた鉄板を根気強く洗ったり、油でギトギトになった皿洗いなど率先して片付けていた。



「なんか慣れた手つきだな」

「大学の時、サークルでBBQやること多くて。その時は人数多くてひたすらキャベツ切る係だったけど(笑)」





得意分野がないのではなかった、本当は出来るけれど必要なところに入ろうと、その場では動かず周りを見てから行動をしていたんだと知り見直した。





その後も、同期で集まることがあったが楠木はいつも脇役に徹していた。買い物の際のレジ袋や、虫刺されなどあるとありがたい物は常備していた。そんな困ったことがあると、さりげなくすっと手を差し出す姿にいつしか惹かれていた。



同期だけでは進展しそうにないので、先輩に頼んで宅飲みを計画した。

自分の先輩が楠木と仲のいい先輩のことを気になっているから取り持つために開催したいという口実をつけて。







先輩は、苦笑したが一番美人な先輩を誘うことを条件に了承してくれた。

その日も、楠木は脇役に徹し最初は見ているだけでじっとしていた。



違ったのは、俺の先輩を褒めて「素敵」ということだった。

華を持たせようとしているのは分かったが、内心おもしろくなかった。

気になる人がほかの男のことを素敵と言っているのを聞いて気にならない男はいない。この時、嫉妬のような感情が芽生えていた。





先輩が気を利かせて買い出しの時に2人にしてくれたが、俺の先輩の普段の様子ばかり効いてくる。



「ねー鈴木の先輩ってどんな人?物静かで優しそうな雰囲気が素敵だよね。」

「ん?まぁ、そうだな」

「話しかけられているかな?普段、料理もするって言っていたし私の先輩もお菓子とか作ったりするからそこで繋がるといいな、料理できる人って素敵だね」

「ん、そうだな」

「ね?なんか今日、口数少なくない?どうかした?」

「…別に」




今、一緒にいるのは俺なのに互いの先輩のことしか話題に出さない楠木を見て、やる気を消失して素っ気ない態度を取ってしまったのだ。





その後も何度か飲みに行ったりしたが、特に進展はなく楠木にとって俺はただの同期でしかないと悟り諦めることにした。





先輩に報告すると、大学時代の友人の妹から誰か紹介してほしいというので連絡先を教えてもいいかと聞かれたので承諾した。



年は4個下で小柄でひらひらしたスカートが似合う少女のようだった。

バスケ部で背も高く体格もいい楠木とはまるで正反対だった。



初めて会った時から気に入ってくれたようで、積極的に遊びの誘いをうけた。特に相手もいなかったため、自然とそのまま付き合うようになった。



しかし、出掛けた時や彼女の友人たちの前でもベタベタとくっついてくるのが気になった。時折わざと腕に胸を当ててきたり見せつけるような態度を取っていた。



彼女の友人たちと遊びに行った際に自分の飲み物がなくなり「次、だれか買い出し行くって言ったら頼めばいいや」という言葉を聞いて冷めてしまった。そして、楠木だったら…という思いが強くなり別れを告げた。






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