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第3話 扉

鍵を預かる理由を聞いたが釈然としない。

『…何故、彼女でもない私なの?』この思いを胸に抱えながら、鈴木の話を聞いていた。




あと一か月で同期の鈴木は、異国の地に旅立つ。

数年の海外出張。それは、社内での評価が上がりやすく、帰国後の待遇に恵まれることが多い、いわば出世コースの一つだ。しかし、良いことばかりではない。異文化の環境に適応できず、ホームシックになり、社会人生活自体が困難になり、退職を余儀なくされるケースもある。それは、大きなチャンスであると同時に、大きなリスクも伴っていた。



鈴木なら適応してやり遂げるだろうと思いつつも、不安や環境の変化への戸惑いもあると思い聞き役に回ることにした。



「鈴木、海外赴任の希望していたの?」

「まー行きたいとはアピールしていたよ。でもアメリカとか、もっと先進国だけどね。まさか新興国とは…インフラ整っているか心配だよ」

「トイレ水洗とかシャワーの水圧とか?笑」

「楠木、ちょっと楽しんでいるだろw」



表情はいつもと変わらないが、笑顔の奥がどことなく寂しげに見えた。

用意周到に緻密な計画を立てて確実に結果を残すタイプのため、急な辞令に準備が整っていないことが原因かと思い流していた。



そんな鈴木を励まそうと

「鈴木は、今も講習受けたり交流会や語学の勉強して影で誰よりも頑張っているから大丈夫だよ。評価も成すべくしてなっていると思っているし鈴木の仕事に真摯な姿かっこいいと思うもん。こうして同期で仲良くてよかったー。私の方が下だったら、ガクガク緊張して話せないもん笑」



冗談を交えて話すと、「ふっ」と小さく微笑んだ。





そのあとも、入社してからの思い出話にしていた。

退職した同期の現在や、鈴木が社内の子に告白されてフッた際に早苗が睨まれて困ったこと、早苗が彼氏と別れた後に、同期でBBQや花火大会に行った時のこと。

途中の買い出しに積極的に行ったり、みんなが疲れてくる後片付けの時にしっかり動けるようにお酒の量を控えていたことを鈴木が気づいており、そんなところまで見ていたのかと驚いた。





同期が少なくなってからは二人で飲みに行くことも多くなり、鈴木の出世のためにゴルフの練習をしようと二人で打ちっぱなしに出掛けたこともあった。どちらも初心者なので、空振りや打ち損じばかりで練習にならなかったことも今では笑い話だ。





鈴木は珍しく饒舌で、思い出話もいつもより長い。

お酒が進みトイレが近くなっているのか何度か鈴木が席を立つ。



『鈴木、大丈夫かな。いつもより飲んでいるしトイレの回数も心なしか多いような…調子悪くなってないかな?明日もあるし、これ飲んだら切り上げよう』

そう思い、残っているビールを一気に飲み干し帰宅の準備を始めた。





財布を取りだそうと鞄に目線をやっている時に扉に手をかけ開けようとしている音がした。



ズッズッ…スススッスー



鈴木は、早苗側の引き戸を開けて隣に座ってきた。

酔っぱらっているせいか、いつもより距離がちかい。

掘りごたつの席で太ももはぶつかりあい、夜になって少し伸びたひげも見えるくらいの距離に鈴木の顔がある。



「ん?もー鈴木?酔っぱらった?鈴木の席、反対側だよ??」

少しからかいがちに言ってみた。

「…知ってる!知ってて開けたの!楠木があまりにも分かってないから隣に来た。お前は全く分かっていない!!!」



鈴木は少しムスッとしたようにしゃべり始めた。

早苗はお前と呼ばれたことに内心腹が立ったが、そのまま続けさせた。



鈴木は早苗の両腕をがっしりと掴み呟いた。

「あのな、合鍵を渡すって意味が分かってない。全然、分かっていない。どんだけ鈍感なんだよ。家を知っているやつなんて他にもいるけど、俺は楠木に渡したいの!待っていて欲しいの。な、その意味分かる?」



思っていた甘い言葉とは違ったが好意を持っていると感じるには十分だった。





『…やっぱり思い違いではなかった。合鍵って異性の友人に渡すようなものではない。ましてや社内の同期に預けるものじゃないよね。今、待っていて欲しいって言ったよね?』



釈然とせずに心に引っかかったものは取れた。

しかし、突然の展開に早苗は「えっ、あ、はい…。」と短い返事をするだけで精いっぱいだった。



驚きと嬉しさで動揺し、上ずって変な声を出してしまった。その恥ずかしさで早苗は顔を逸らし俯く。それを見て鈴木は自分の胸に勢いよく早苗を引き込んだ。




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