件名:【業務外】
本文:おつかれ。来月から海外出張が決まって、楠木に部屋の鍵を預かってほしいんだけど空いている日ある?
「ん…んっ…??」
社内メールで鈴木浩太から届いたメールに、楠木早苗は驚いて手に取っていたマグカップのお茶を口から少しこぼしてしまった。
誰かに見られなかったかと静かに周囲を見渡したがみなパソコンの画面を見ている。良かった…誰も見ていなかったようだ。
社内メールは本来、業務時に使用するものだが社内の飲み会や業務時の質問やお礼を兼ねてプライベートの内容をいれて意中の相手に送るコミュニケーションツールとしても暗黙の了解で使われていた。
実際に、社内メールでやり取りしていくうちに親密になり社内恋愛や結婚へと発展するケースも多い。
早苗自身も、業務が目的ではないメールを受け取ったことはある。
しかし、それは就職で地方になり知り合いがいないため、彼女を作りプライベートを充実させたい新入社員や下請先の息子が継続的な取引を目的とした嫁候補探しなど女性社員になりふりかまわず送られているものばかりだった。
宛先は個別に設定するが、誰かがメールの内容を話し『私も受け取った!』という人が複数出てきて発覚し迷惑メール扱いされるのがオチだった。
早苗自身も同期の飲み会の連絡や同僚たちとの連絡に使うこともあったが、鍵を預かるという踏み込んだ内容まで書いてあるメールは初めてであった。
送り主の鈴木浩太は、早苗とは同期で未だに連絡を取り合っている唯一の人物であった。
毎年50人ほど入社するが、数年後には半分、5年後にはまた半分減り、1桁以上残って入れば優秀というホワイトカラーとは言い難い会社に勤務をしていた。
業界ではトップクラスの規模で年収も高い。年収の高さを見て応募し、ライフワークバランスを保つことが難しいと毎年多くの社員が辞めていく。
それが慣例だった。
鈴木は、東京の名門大学卒でエリート街道を突き進んでいた。
この業界では学歴はあっても柔軟性と社交性がないと評価がつきにくいのだが、鈴木は違った。
長身でサングラスがよく似合う高い鼻に清潔感のある爽やかな見た目と、無理な要求はきっぱりと断るが打開策を提案することで役員クラスからの信頼を得て同世代の中では群を抜いて出世スピードが早く、次期役員候補とも言われている。
「運が良かっただけ」と謙遜しつつも、その裏には自信も隠されているのを感じていた。しかし、自信過剰なのではなく、休日や業務後に外部のセミナーや交流会に参加し、社会人になった今でも教養を吸収し、人脈を広げようと努力している結果であった。
鈴木は成るべくしてポストに就いた人でこの先の将来も上に立つと思っており、早苗は心から応援していた。
『同期で今でも唯一、連絡を取る仲だけど…彼女でもない私に何故?』
という疑問もぬぐえなかった。何故か分からないから、鈴木に話を聞こう。
カタカタカタカタ……テンッ
早苗は鮮やかな速さでキーボードを打ち、Enterでメールを送信した。
「Re:了解。日程はお任せ」