陽は落ちた。派手な服装の女性があちらこちらで見受けられるようになり、貧しそうな男どもが目だけを真剣にしてふらふら歩いている。注意が他に逸れている人間から何かを奪い取ることほど簡単なことはなく、チュウカは銀次もびっくりする手際で財布を手に入れ、抜き取って財布を捨てた。今日もすでに四桁は稼いでいた。
「こんなものか」
一定の収入を得たチュウカがその場から立ち去ろうとしたところ、そこに三人の金髪が現れた。髪型を液体で固定させ、耳に金属を突き刺しながらズボンから鎖を垂れ下げている。見るに彼らはキャバクラで遊んだ後の様であったが、どこか不満げで文句を言っている。こちらへ歩いてくるので、チュウカはすれ違うことにした。
「くそっ、どうしてやろうかあの店……」
たわいもない。彼らの意識は別のなにか囚われている。それにしてもズボンの後ろポケットに入れるやつは警戒心が無さすぎである。
何事もなくスリに成功し、小遣いを増やしたその直後だった。大きな黒い影がチュウカに迫り、それを危険だと察知したチュウカは反射的に飛んで巨大偽中華包丁に手を掛けた。
「おいおい、待ってくれ。俺だよ、チュウカ」
「……アキラか」
この男は先ほどのチャラい男どもが遊び、出てきたキャバクラの店の人間だ。店の女の子にはオーナーとか呼ばれることが多いが、オーナーと言う言葉を正しく理解していないチュウカはオーナーとは上の立場にいる人間と認識していた。
「そうだ、飯食っていくか?」
「理由がない」
チュウカは即答する。
「まったく相変わらずだな。今日はもう閉店なんだよ、余ったから食ってくれ。どうせ捨てるんだし」
チュウカは考える。その際手に掛けている獲物から手を緩めることは一切しなかった。罠の可能性。危険度。起こり得る出来事の想定をしたが、この男には度々助けられている。世話にもなっている。今さら敵視しても仕方ない。これまでの信頼を秤にして、答えを出した。
「ご馳走になります」
チュウカは頭をすっと深く九十度に下げた。
「まったく、堅気で律儀な奴だぜ。ほら、入んな」
案内されるままに店の扉を開けて入る。広いロビーと左右に大きなテーブルを囲んだ巨大なソファ。奥の方にもいくつか部屋があるようであった。店内には数人のボーイと七、八人……いや、十人弱の女性がいた。まだ彼女たちはドレス姿である。カクテルドレス、というのだったけ。あれは。
「あっチュウカじゃん。久々~」
「お久しぶりです」
扉を閉めてからチュウカは女性たちに敬意を示す。そして、店が閉められた理由を目にして口を強く結んだ。
「アヤカ、あまりものを分けてやってくれ。俺はそこでちょっと何か作るから」
「はーい」
そう軽く返事をした茶髪をポニーテールにして上にあげてウエーブを掛けたようなふわふわな女性が手招きした。チュウカは頷いてその隣に座り、撫でられるのを無視して他の女性が置いた皿の上の果物に勢いよくかぶりついた。
「ねえ、今日もやんちゃしてたみたいじゃん?」
「まあ、そうですね」
「相手は誰? ヤクザ……って年齢じゃなかったし、表の子?」
「まあ、そうですね」
「もう、つれない!」
「こいつはそう言うやつだって、よく知ってるだろ。ほれ、米があったからさっと作ったんだが、食うか?」
差し出されたのはチャーハンだった。小さな肉しか入っていない即興物だったが、ひとつ頷いて受け取り、貪るようにかき込んだ。久々のまともな飯かもしれない。
「どうだ?」
「うまい」
「そうか」
「ああ」
チャーハンを食べ終わる頃、砕けた机と椅子がやって来た業者が運んで行った。食後のデザートを堪能しながら横目でそれを追い、いなくなると言葉を出した。
「暴れたのか」
「まあ、そうだな」
チュウカはそのはなしが気になるような目線を周囲におくる。
「オーナー、私が話すよ」
チュウカは事の顛末を無理やり彩られたフルーツと共に胃袋へ詰めこんでいった。
キャバ嬢のあゆみの話によると先ほどの三人のお客さんのところに新人の子が付いたのだが、執拗に新人の豊満な胸へ執着したのだという。あゆみはそれを表現するため両手で
それを客に注意したところ逆上して暴れて椅子や机を破壊。この有様だという。まあ、そのおかげで俺は合計五万六千円のおこづかいを得られたわけだが。
「この子がゆいちゃんだよ」
セクハラを受けた新人の子。ゆいと紹介された愛嬌のある可愛らしい笑顔を俺に向けている。少女を体内に残したままの女性だった。
……それと俺は特に誰も指名してない。
「はい、ゆいです」
挨拶するなよ、客みたいじゃないか。当然俺は客ではない。一円も払わんぞ。残飯漁りのカラスと呼ばれていた男だ。最近は持ち歩いている物のせいでチュウカなどと呼ばれているが。それとゆいさん。いつもの手つきで酒を注ごうとするのはやめろ。未成年だぞ。水をくれ、水を。
「はい、お水です」
そう、それでいい。あと接客したところで俺はお金払わないからな? ほんとに。
「えっと、それで――」
「なんでふか?」
俺は全てを無視するかのように果物を食っていた。口はビタミンでいっぱいだ。新人ゆいちゃんのはなしより栄養が大事である。
「君が本当に、あの有名なチュウカ君?」
「さあ?」
「えっ……? でも、さっき――」
「有名かどうかは知らないですよ。俺、他人のはなし聞かないんで」
チュウカはそれだけ言うと飲み込むものを飲み込み、栄養とし、最後のリンゴを頬張る。立ち上がって偽巨大中華包丁を手に取って背負い、雨どいとして使用されていた鉄を腰のベルトに横向きで差し込み、双眼鏡を揺らして。
「ごちそうさまです」
チュウカは店を出た。女性陣のほとんどは諦めた笑顔で見送り、アキラだけが「おう、またな」と声をドアに掛けた。それから女性陣は片づけを再開させた。アキラが皿を運んで蛇口をひねり、着替えを終えた女性がちらかった場所の掃除を始める。他は後ろへ着替えに戻ったようだった。まだ座っているのは煙草に火を点け始めたあやかと心配気味なゆいの二人。あやかは定型通りの煙を吐きだして声を掛ける。
「もしかしてチュウカのこと気にかけて心配してる?」
「そりゃ、だって」
言葉を探して続ける。
「あの子、可愛そうです。物心が付いたときにはすでにこの街に一人で、親どころか知り合いもいないって聞きました。年齢も分からなくて、でもたぶん中学生ぐらいですよね。一人でどうやって生活しているのかと考えると――私、あの子面倒見れないかな」
「どうしたの、急に。さっきも客が裏街の噂話の一つとして取り上げていたのに怒っていたけど」
「私もあの子の、チュウカ君の話はこの街に来てすぐに聞いていました。一度見かけた気もしたんだけど、それも一瞬のことで。お客さんは怖いとか治安が……とか言っていましたが、私はやっぱり可愛そうだと思うんです。だってまだ子供ですよ。あの子は何も与えられていない。家も、食事も、何もかも。だから、だからお金とか盗んでるって――」
「ゆい。あんた勘違いしているよ」
「えっ」
仕事の終わった女性たちがフロアにいる二人に挨拶をし、オーナーとあやかがそれに応えた。
「あの子は何をしても救うことはできないし、救いは求めていない。それはエゴってやつだよ。それに〝チュウカ〟はすでに大きなものを手にしている」
黙り込み、言葉を待つゆい。濃度の薄くなった空間に再び煙が吐かれる。
「この街だよ。あの子はもうこの街を手にしている。この街はチュウカの街だ」
そのことをこの街の人はみんな知っているんだよ、と火を灰皿で消してゆいの頭に一つ手を置いた。