サクラはクロビスの背中を優しく撫でる。
「悲しいときには泣いていいし、疲れたときは休んでいいんだよ」
サクラが手にしているクロビスの黒い仮面。
これはゲーム内でアイテムとして入手できるものだ。
黒い仮面のフレーバーテキストには、こう書いてあった。
『なぜ神は争いを強いるのだ。
私はいつまで戦で傷ついた人々を癒していればいいのだろう。
目の前で命が消えていく。
救った命が再び戦場に向かい散っていく。
神よ。
私はもう救うことに疲れました。
ああ、私がその痛みや苦しみを代わってあげることができたなら……』
クロビスは信仰系魔法の使い手だ。
信仰対象の神を崇め、その神の示す教えに従い誠実に生きてきたはずだ。
そんなクロビスが完全に神を見放したとき。
世界の在り方に絶望してしまったとき。
彼は闇堕ちしてプレイヤーと敵対関係になる。
きっともう、クロビスの信仰には揺らぎがある。
だからこそ、クロビスは稀人が王になることを望んでいるのかもしれない。
王さえいればそれでいい。
玉座に誰かが座れば、ひとまずは醜い争いが終わるとでも思っているのだろうか。
たとえそれが、クロビスの信じる神の教えに反することだとしても。
「あなたの胸の痛みや苦しみは変わってあげられないけど、わたしは消えたりしないから。今日は一緒にいるから、ね?」
サクラがクロビスの胸の中でそう言うと、ぎゅっと抱きしめ返された。
しばらくの間、サクラとクロビスは廊下で抱き合っていた。
「…………………………………………はあ」
どれくらいの時間が経ったのだろうか。
それまで無言だったクロビスが、静かにため息をついた。
その直後、サクラのからだがふわりと宙に浮いた。
「うわわ! ちょっといきなりなに? 怖いんだけど」
気がつけば、サクラはクロビスに抱きあげられていた。
いわゆるお姫さま抱っこの状態で、サクラは慌ててクロビスの首に手をまわす。
「今日は一緒にいてくださるのでしょう?」
「え、ええ。辛いときにひとりでいるのは寂しいじゃない」
「では、一緒にいてください」
抱きあげられたまま、サクラはクロビスの寝室に連れていかれた。
彼は部屋の中に入ると、まっすぐにベッドへ向かう。
「……だってあなた、人形を抱く趣味はないって言ってたのに」
「気が変わりました」
クロビスはサクラをベッドに投げ下ろして、すぐに覆い被さってきた。
「今日は人肌が恋しい気分なのです。あなたが一緒にいてくださると言うのなら、今夜は付き合ってくださいね」
クロビスはサクラの耳元で囁いたあと、おもいきり首に噛みついてきた。
「──っ痛あ!」
「崖から落下しても無事なのに、この程度で血がでるのですね」
クロビスは感心した声を出しながら、自分が噛んで傷つけたサクラの首を撫でている。
満足そうに微笑みながら、サクラをみつめてくる。
「こういうときの雰囲気とかさ。そういうのはないのかしらね」
「愛してると言えば、素直に抱かれてくれますか?」
「……そういうところがさ。まあ、いいけど。わたしはあなたの婚約者だしね」
サクラは憎たらしく笑っているクロビスの頬をつねった。
「この世界にきたときは死にたくなくて必死であなたに助けを求めたの。打算があったの。だけどね、わたしはもうあなたが優しい人だって知っちゃったから……」
サクラが話している途中で、噛みつくようにキスをされた。
「言葉はいらないので、私がひとりではないことを実感させてください」