「────っきゃあああああ!」
サクラは悲鳴を上げた。
突然からだが宙に浮いているような感覚に襲われたのだ。
バシャンと大きな水音が、部屋の中に響く。
「……っうう、痛い……」
からだのバランスを大きく崩し、床に激しく腰を打ちつけてしまった。
サクラは両手を床について、痛みにうめく。
なにが起きたのかわからず、サクラは慌てふためく。
痛みに耐えながら視線だけを動かして、周囲を確認した。
すると、目の前にいるベルヴェイクのため息が聞こえた。
『……はあ、残念だ。口を挟むなと言ったのに、うるさく騒ぎ立てるとはな』
見上げると、つい今しがたまでどっしりと椅子に座っていたベルヴェイクが、腕を組んで立っている。
どうやら椅子が出現したときと同じように、ベルヴェイクが指を鳴らしたことで椅子が消えてしまったようだ。
そのことに気がついたサクラは、頭に血がのぼってしまった。
怒りに任せて激しく腕を横に振ると、力いっぱい叫んだ。
「──っアンタがいきなり椅子を消すからいけないんでしょうが!」
サクラが腕を振ったとき、床に張っている水が弧を描いてベルヴェイクに向かって飛んでいった。
そこでサクラは、ベルヴェイクの様子に違和感を覚える。
てっきりベルヴェイクは、水をかぶってびしょ濡れになるだろうと思っていた。
しかし、水はベルヴェイクのからだをすり抜けていく。
飛んだ水が床に落ちて、バシャバシャと音を立てている。
「……まさか、幻影?」
『言ったはずだ。信用するに足る者かわからないとな』
ベルヴェイクがケラケラと笑っている。
その彼のからだが、ゆっくりと砂のように崩れはじめた。
崩れ落ちた小さな砂つぶは、淡く光る小さな木の中に吸い込まれていく。
「そうなの、最初からあなたの本体はここにはいなかったってわけね。人のことをからかって、そんなに楽しいですか?」
『楽しいな。大樹による魂の円環から外れた者。高き者の気まぐれで故郷から引き離された哀れな魂を持つ者が、生きようと必死に抗っている姿はな』
「あなたの言うことには惑わされない」
サクラがそう言い返すと、ベルヴェイクは声を出して笑った。
『はははははははははははははははははははははははは!』
ベルヴェイクは狂ったように笑う。
不気味な笑い声が部屋の中に響きわたり、サクラは全身に鳥肌がたった。
ベルヴェイクはひとしきり大声で笑うと、ふうと息をはいた。
呼吸を整えると、彼は淡々と話しだす。
『旅する者よ。貴様の世界はここだ。この世界の王となるがよい。ここを貴様の安住の地とせよ』
それだけ言い残し、ベルヴェイクの幻影は消えてしまった。
「私は王になんてならない。私はただこの世界で平和に暮らしていたいだけだから」
ひとり部屋の中に取り残されたサクラは、光る木に向かって告げた。
サクラの言葉が世界のどこかにいるベルヴェイクに届いたかどうかはわからない。
だが、届くといいなと願いを込めて、派手に舌打ちをした。
「……はあ、結局ろくな情報を得られなかったな」
なにか重要なことがわかったようで、なにもわからなかった。
「プレイヤーとか負けイベントとかさ。私が食いつきそうな単語を並べて、俺はなんでも知ってるぜって、マウント取ってきただけじゃない」
ベルヴェイクは秩序を乱すことを良しとしている節がある。
彼に言われたこと、見せられた映像が全て正しいと思わない方がいいだろう。
サクラはそう結論づけた。
「わかったのは、ベルヴェイクは私がこのままお嫁さんごっこをしているのが気に食わないってことね」
これだけは確かな事実だと思えた。
やはり、ベルヴェイクは世界の現状をかき乱したいのだ。
災いをもたらす者として、相応わしい立ち振る舞いともいえる。
ベルヴェイクの目的ははっきりとしないが、そうすることで得たいものがあるのだろう。
「とにかく、やっぱり地下にいこう。さっきの負けイベントが本当に起こっていたことなら、戦闘の痕跡があるはずだしね」
サクラは光る木に背を向けて、部屋の扉に向かって歩きだそうとした。
だが、ふとある考えが頭に浮かんで、光る木に視線を向ける。
「……これは大樹の一部。これのある場所にファストトラベルできるのは、私の魂がいろんな世界を旅しているから……?」
サクラは口に出した考えをかき消すために、頭を横に振った。
「ベルヴェイクの言葉に惑わされちゃダメ。考察の参考くらいにしておかないと、ろくなことにならないわ」
サクラは勢いよく自分の頬を叩くと、今度こそ地下に向かうために歩き出した。