「あれれー。お二人そろってこんなところでどうしたんですかー?」
サクラがヴァルカと応接室で話し込んでいると、廊下から誰かの声が聞こえてきた。
サクラはビクリとからだを震わせる。
思考に集中していたが、はっと我に返った。
サクラは再びからだに力を入れて身構える。
ぎろりとするどい視線を廊下に向けた。
「──っノルウェット、くん! もう帰ってきたの?」
「いいえー、荷物を取りに来たんですう」
あらわれたのはノルウェットだった。
まだ彼が仕事に向かってから、それほど時間が経っていない。
普段ならば帰ってこない時間帯なので、サクラは驚いて大声で問いかけてしまった。
「あらあら、それは大変ですわ。お忘れ物を取りに戻られたなんて」
サクラの頬を包み込んでいたヴァルカの手が離れる。彼女はソファから立ち上がると、ノルウェットのもとへ小言をつぶやきながら近づいていった。
「まあまあ。ですから夜更かしなどせずに、きちんと睡眠をとってくださいましとあれほど。いつもおつたえしているではないですか」
「忘れ物じゃないですよー。師匠が急に自宅にある資料が必要だとおっしゃられたんです。私は手が離せないから、お前が家まで荷物を取りにいってくれって言うんですよー」
「あらあらまあまあ。旦那さまがそんなことをおっしゃられるなんて、お珍しいこともあるものですわね」
「僕も驚きましたよー。用意周到な師匠らしくないですよねえ」
ノルウェットはヴァルカに向かってそう答えたあと、くるりとサクラに視線を向けてきた。
その顔がなんとも気まずそうな表情で、サクラは首をかしげる。
「どうかしたの? ノルくんってば、すごく変な顔になっているよ」
「……じ、実はそのう。サクラさんに手伝ってもらえって、師匠がおっしゃっておられましてぇ……」
「はあ、そうなのね。でも、手伝ってもらえってなにを?」
そう質問したサクラに、ノルウェットは気まずそうな顔のまま、なにも答えない。
彼は無理やりサクラの手を取って、どこかへとつれていく。
「ちょ、ちょっとちょっと。いきなりなんなの?」
「説明するより早いので、とりあえずついて来てくださいー」
ノルウェットはそう言って、サクラの腕を力強く引っ張りながら、クロビスの書斎の前までやってきた。
彼は覚悟を決めたようにひと呼吸すると、勢いよく主人の書斎の扉を開く。
「嘘でしょ、あの人はこれを持ってこいって言っているの? こんなのノルくんひとりじゃ持ちきれないじゃない」
「はいぃぃ、ですから師匠はサクラさんに手伝ってもらえってええぇぇ」
クロビスの書斎の机には、大きな木箱が二つ置かれていた。
その両方の木箱を、ノルウェットは城にいるクロビスのもとまで運んでほしいと頼まれたのだそうだ。
「あの人ってば、わざとね。ノルくんからお願いされれば、私が断りにくいだろうって魂胆が見え見えだってのよ」
机に乗った木箱の中には、本がぎっしりと詰まっている。
これをひと箱だけでも、持ち運ぶには骨が折れる。それを二つとなると、ノルウェットひとりでは絶対に無理だ。
「私が家を出たがらないからってやってくれるわ。こんな方法で城に足を運ばせようとするなんて、信じられない」
「まあまあ、よいではございませんか。せっかくですから、旦那さまのお手伝いをしてさしあげてくださいまし」
後ろからついて来ていたヴァルカも、すぐにクロビスの意図に気がついたようだ。
「あのーサクラさん。師匠はこれがすぐに必要だから急いでほしいっておっしゃっておられましてぇ。どうにかお願いできませんか?」
木箱の前に立つサクラの横で、ノルウェットが潤んだ瞳を向けてくる。
縋り付いてくるような視線に、サクラは目が泳いでしまう。
「わかった、わかったから。そんな子犬みたいな目をむけてこないで!」
サクラがそう言うと、ノルウェットの目が輝いた。
その後ろで、ヴァルカも満面の笑みを浮かべている。
さきほどまで泣き喚いて顔をぐちゃぐちゃにさせていた人物と同じだとは思えない。
ヴァルカからは、信じられないほどのうれしさが滲み出ている。
「ありがとうございますぅ! 師匠がお喜びになります」
「まあまあサクラさま。せっかくお城に向かわれるのですから、皆さまへの差し入れをお持ちになってくださいませね。婆やがすぐにご準備いたしますわ」
ヴァルカはどたばたと足音を立てながら、書斎の外へと飛び出していった。
まるでステップを踏んでいるような足運びだった。
そんなヴァルカの背中をみつめながら、サクラは盛大にため息をついた。