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第6話


 誰かにおもいきり背中をたたかれた。

 ゾクリとした感覚がからだ中を駆け巡る。



 穏やかな朝だった。

 同じ屋根の下で暮らす者と笑い合う、そんないち日のはじまり。


 油断していたのだ。

 ここは人外の存在が王位を巡って争い合っている殺伐とした世界であることを。


 失念していたのだ。

 ここが死と隣り合わせの世界であることを。



 とつぜんの背後からの一撃に、サクラが膝をつくことはなかった。

 しかし、この後にどんな展開が待ち受けているのかわからない。


 サクラは慌てて身構えると、背後の襲撃者から距離をとりつつ振り返った。


「──っヴァルカさん! ど、どうしたんですか?」


 振り返ったサクラの視線の先にいたのは、ヴァルカだった。


 ここはNPCであるクロビスの邸宅である。

 そこに彼の使用人であるヴァルカがいるのは自然なことだ。

 ましてや、今のサクラはヴァルカの指示で掃き掃除をしていた。

 手を止めてぼんやりとしていれば、注意をされて当たり前だ。


 サクラは気持ちを改めて箒を強く握った。

 ヴァルカに向かって頭を下げると、謝罪の言葉を口にする。


「ご、ごめんなさい! すぐに掃除を再開しま……」


「まあまあ、なんて情けないことをおっしゃっておられるのでしょう。婆やは悲しいですわ!」


 いきなり暴力を振るわれたのはサクラの方だ。

 こちらが抗議のために声を荒げるのはわかる。

 だというのに、なぜかヴァルカの方が殴られたのではないかというくらい、涙を流しながら叫びだす。


「どうしてどうして! ああ、なんて嘆かわしいのでしょうか」


 ヴァルカが頭を振り乱して泣いている。

 いったいなにが起きているのか。

 サクラには、状況がまったく理解できない。


「………………ふう」


 サクラはひとまず大きく息をはいた。

 こういうときは焦ってなにかをするよりも、落ち着いたほうがよい。

 この世界にきたとき、そう反省したはずだ。


「……おっしゃっておられるって言ったわね。まさかヴァルカさん、いまの私のひとり言を聞いていたの?」


 サクラは深呼吸をしたあと、淡々とした声色でヴァルカに尋ねた。

 エグエグと泣いているヴァルカは、サクラの問いかけに大きく頷いた。


「ええ、ええ! 料理はまずい、掃除もまともにできないのあたりから、しっかりと聞かせていただきましたとも!」


「ああ、なるほどね。そういうことか」


 その前のゲームについてぼやいている部分を聞かれなくてよかった、サクラは安堵する。

 ほっと息をついて微笑んだ。

 ヴァルカを落ち着かせるために、笑顔を見せてあげようと思ったのだ。


 しかし、サクラはすぐに自分がつぶやいていた言葉のすべてを思い出した。

 彼のことを好きになっていると、たしかに口にしてしまった。


 サクラは赤面した。

 恥ずかしすぎて、身の置きどころもない。


「あ、あはははは。そこから聞かれちゃっていたのか。それは恥ずかしいなあ」


 サクラはなんとか笑ってごまかそうとする。

 しかし、どんどんからだが熱くなってくる。

 きっと顔だけでなく、耳まで真っ赤だろう。


 そんな笑いを浮かべるサクラとは対照的に、ヴァルカの方は悲しそうに顔をゆがめていくのだった。


「どうかどうか、お嫁さんごっこだなんて言わないでくださいまし」



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