「一度きちんとからだを調べてみたほうがよいと思うのですが。やはり城までくるのはお嫌ですか?」
軍属の医師であるクロビスの職場があるのは、この街の領主が住む城の中である。
そこにはあらゆる医療器具がそろっているのだそうだ。
サクラは現在、ゲーム内で使用していたアバターの姿になっている。
そんなサクラのからだの状態について、詳しく調べることができるはずだ。クロビスはそう言って自分と一緒に職場へくるようにと、何度も促してくる。
「……ここの街のお城かあ。行ってみたい気持ちがないわけじゃないけどな。ちょっと怖いっていうか、なんというか?」
「初めて訪れた日には楽しそうに街並みを見ていたではないですか。なにを恐れることがあるのですか」
「……だってさ、なにかを触って壊しちゃっても嫌だし。家の外には出たくないなと思ってさ」
サクラはこの家にやってきてから、屋敷の外に一歩も出ていない。
屋敷の中に引きこもり、ヴァルカによる花嫁修業だけを淡々とこなしていた。
「それはもう大丈夫でしょう。ここひと月ほどはなにも破壊していないと、ヴァルカも言っていましたよ」
「……うーん、そうなんだけどさ。前向きに考えておくね」
「お願いしますね。あなたのからだの作りに興味があるのは事実ですが、単純に心配をしているのですよ。いまのままではおつらいでしょう?」
サクラが家の外に出たくないのは、負けイベントが発生するのを恐れているから。
サクラが城に行きたくないのは、そこがゲーム内で巨大なダンジョンだったから。
そんなことは口が裂けても、クロビスには言えない。
仕事に行く前の現在のクロビスは、顔に黒い仮面をつけている。
微細な表情がわからないので、なにをどこまで心配してくれているのか。
そもそも、本気でからだのことを心配して言葉をかけてくれているのか。
それがサクラには判断ができない。
本当は王になる素質がサクラにあるのか知りたいだけなんじゃないのか。
それで王の素質がないと見限られてしまったらどうなるのだろう。
サクラはこの世界を一人で生きることができるのか。
そんな不安に駆られてしまうのだ。
「心配してくれてありがとう。このままじゃ私、王さまになんてなれないもんね。お世話をしてもらっている恩はきちんと返すつもりはあるから」
「……それは、そうなのですが」
サクラとクロビスが玄関で話し込んでいると、急に背後が騒がしくなった。
「師匠、お待たせしましたー!」
大荷物を抱えたノルウェットが、あわただしく玄関に向かって走ってくる。
その後ろを、おおきな櫛を持ったヴァルカが追いかけてきている。
「まあまあ、お待ちくださいませノルウェットさま。もう少しだけ御髪を整えさせてくださいませええ」
みなで朝食を終えたあと、ヴァルカは寝ぐせのままのノルウェットの首根っこを掴んで、洗面所まで連れていった。
これもこの屋敷では、朝の当たり前の光景だ。
早く出かけたくて騒ぐノルウェットの寝ぐせを、ヴァルカがせっせと整える。
まるで孫を世話する祖母のようだ。
「まだ騒いでいるのですか。もうそれくらいにしてやってくださいヴァルカ」
「はいはい旦那さま、わかっておりますわ。これでよろしゅうございますわね」
ノルウェットが師匠であるクロビスの隣まで来て足を止めた。
これ幸いと、ヴァルカはノルウェットの髪を手にしている櫛でささっと梳いた。
「ありがとうございますヴァルカさん。では、いってまいりますサクラさん!」
「もうノルくんってば、ちゃんと前を見ないと転んじゃうよ。気をつけていってらっしゃい」
ノルウェットが元気よく挨拶をして玄関を飛び出していった。
そのあとを、クロビスが続く。
「旦那さまもお気をつけて。おかえりをお待ちしておりますわ」
「……ええ、いってきます」
サクラは仕事場に向かう二人の背が見えなくなるまで、玄関で手を振って見送った。