「おかえりなさいませ旦那さま」
クロビスが玄関の中に入ると、家の奥から明るい女性の声が聞こえてきた。
ぱたぱたとあわただしい足音が近づいてくる。
クロビスに続いて玄関の中に入ったサクラは、近づいてくる人の気配に緊張してしまう。
──前からくると見せかけて背後からとつぜん現れたり、上から降ってきたり……。いくらアクションRPGの世界だからって、街の中にある住宅でダンジョン攻略にありがちなことが起こったりしないよね? いや、死にゲー世界ならそんな襲撃はどこでも起こることだったりするのかな。
サクラがからだをこわばらせて立ち尽くしていると、玄関横の部屋の扉が勢いよく開いた。
次の瞬間には、扉の向こうからぬうっと老婆が姿を現した。
サクラは驚いて、おもわず隣に立っていたクロビスに抱き着いた。
「あらあら、今日はお早いおかえりでございますね」
そう言って微笑んだ老婆の表情が、サクラを見て固まった。
老婆は目を大きく見開いてから、どんどん表情を暗くしていく。
「……まあまあ、旦那さま。そ、そちらにいらっしゃる女性は、いったいどなたでございますか?」
「私の恋人です。結婚を考えている方なので、今日からここで一緒に暮らそうと思ってお連れしました。お世話を頼みますね」
老婆がようやく絞り出した言葉に、クロビスがさらりと答える。
その返答に、今度は老婆の表情がぱあっと華やいでいく。
「まあまあ、まあまあまあまあ!」
老婆は大股でサクラの目の前まで歩み寄ってきた。
サクラは慌ててクロビスから離れると、ピンと背筋を伸ばした。
「……こ、こんにちは」
「はいはい、こんにちは。旦那さまが女性を連れてくるなんて初めてのことでしたから、少々おどろいてしまいましたわ」
老婆はサクラの右手を両手で包み込むと、上下にぶんぶんと大きく振り出した。
「長生きはするものですわ。旦那さまがこんなにお美しい方をお連れになるだなんて!」
「はじめてお目にかかります。桜も……サクラと申します」
老婆の勢いに押されてしまい、ゲームのプレイヤー名である桜餅と名乗りそうになる。
なんとかこらえてサクラと名乗ると、老婆がぐいっとサクラの顔をのぞき込んできた。
「わたくしの名はヴァルカと申します。こちらのお宅には住み込みで働かせていただいておりますのよ」
「ヴァルカさんですね。これからよろしくお願いいたします」
「ええ、ええ。末永くよろしくお願いいたしますよ。お困りのことがございましたら、すぐに婆やへご相談くださいましね」
サクラはヴァルカと軽くあいさつを交わす。
すると、その横でクロビスが打ち合わせ通りに、作り上げたサクラの境遇をヴァルカに話して聞かせる。
「……まあまあ、そうでしたのね。それはそれは、大変におつらかったでしょう」
そう言って、ヴァルカがさめざめと涙を流した。
「着の身着のままでこちらまでいらしたのですね。どおりでお召し物がみすぼらしいと……。ああ、こんなこと。もうしわけございませんわ」
「み、みすぼらしい、のかな?」
サクラはそうぼやきながら、自身が身に着けている服の裾を掴む。視線を自分のからだに落として、服装を確認する。
身だしなみなんて気にしている暇がなかったので、いまになって気がついた。
サクラが着ている服は、ゲームの初期装備そのものだった。
──初期装備にありがちな普通の布の服だけどな。防具としてはなんの役にも立たないけど、下着姿よりマシじゃない? 熊の血の染みができちゃってはいるけれども。
サクラがボケっと突っ立ったままそんなことを考えていると、隣に立っているクロビスのため息が聞こえた。
「そうですね。服もからだも汚れていてとてもみすぼらしいので、湯あみをさせてあげてください。申し訳ないですが、新しい服もお願いできますか?」
「はいはい、それはもう喜んで。婆やにすべてお任せくださいませ」
クロビスの言葉に食い気味に返事をしたヴァルカは、サクラの腕を引いて屋敷の奥に連れていこうとする。
「……ただからだをきれいにするだけですよ。取って食ったりしませんから、安心してください」
「ご、ごめんなさい」
サクラはクロビスと離れることに不安を覚えた。
心細くて、いつの間にかクロビスの服の裾を掴んでいた。
穏やかに声をかけられて、サクラは慌てて手を離した。
「……うん、そうだよね。いつまでも汚いままじゃ失礼だもんね」
いつまでも一緒にいるわけにはいかないのだと覚悟を決める。
サクラはもういちどヴァルカとあいさつを交わしてから、彼女に案内されて屋敷の奥へと向かった。