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第5話

「──っえ、ここがあなたのおうちなの?」


 サクラの目の前には、立派な門構えの邸宅があった。


「そうですよ。先ほど打ち合わせた通りに、私としっかり話を合わせてくださいね」


「も、もちろん。それはきちんと頑張るけれど……」


 サクラはゲームをプレイしていた頃から、クロビスというキャラクターはなんとなく独身だと感じていた。

 婚約者のふりをしてほしいと言い出すくらいなので、想像通り配偶者がいないというのは当たっていた。


 しかし、クロビスには生活感というものがないイメージだった。

 独り身ならば、てっきり長屋のような、その気になればいつでも出ていける借家住まいだと思っていたのだ。

 ゲーム内で出会うクロビスは、最初に出会った暗礁の森のような、街中の喧騒から離れた不思議な場所にばかりいた。

 そう思ってしまっても、しかたがないと思う。


「なんかこう、想像していたよりもあなたのお宅がご立派で、驚いてしまったの」


 ゲーム内のキャラクターであったクロビスに自宅があった。サクラはそれだけでも、かなりの衝撃を受けている。

 だというのに、それがプレイヤーの向かう最初の街にあり、なおかつ豪邸である事実は形容しがたい驚きにあふれている。頭の中が混乱していて、動揺が隠せない。


「先ほども言いましたが、私は軍属の医師をしております。それなりにお給金はいただいていますので、家の管理は人に任せているのです」


「軍医さんなのは、うん。そうなのだけど」


 クロビスは基本的にはプレイヤーに友好的だが、敵対することもできるNPCだ。

 クロビスと敵対して倒すと、とあるアイテムがドロップする。

 そのドロップアイテムのフレーバーテキストに、プレイヤーの操作する主人公が降り立った地の領主に仕える軍医であることが記載されている。


「この領地の人だもんね。この街に家があるのは自然なことなのだけど……」


 クロビスはストーリー上、必ず敵対しなければならないわけではない。

 しかし、実績をコンプリートするためには敵対しなければならないNPCだ。

 なぜなら、クロビスを倒さなければ入手できないアイテムというものが存在するからだ。


 実績をコンプリートするためだけに、サクラはクロビスと敵対した。

 そして、入手したアイテムのフレーバーテキストを読んで、彼が軍医であることを知ることになった。

 それだけではなく、サクラはクロビスに関連するイベントの分岐パターンもすべて体験済なのである。

 クロビスに関する文章から得られる情報は、完璧に網羅しているつもりだ。


 それほどの時間を使って、サクラはこのゲームを遊んでいた。

 サクラはこの世界に関しての知識が、それなりにあるつもりだった。


 しかし、実際のところは最初に出会うNPCであるクロビスのことさえ、ほとんどわからない。

 住んでいた家さえ知らなかったのだ。


 これで最初の提案に乗ってしまい、王になるために冒険へ出てしまっていたらと思うとゾッとする。

 ゲームをプレイしていて得た知識など、この世界を実際に生き抜くうえでは「おばあちゃんの知恵袋」程度のものなのかもしれない。


 ──そもそも、ここがゲームと同じシナリオで進むとしたら、この街についてしばらくしたら負けイベントが発生するはずじゃん!


 ゲーム内では、プレイヤーが最初の街の中を散策していると、突然ムービーがはじまりプレイヤーの敗北が確定しているイベントがはじまる。


 王を目指すプレイヤーは、この街の領主を倒さなければならない。

 なぜならば、この街の領主はプレイヤーと同じく王になることを目論んでいるからだ。

 同じ玉座を目指すもの同士、激しい潰しあいがはじまる。


 サクラはからだ中から血の気が引いていくのがわかった。



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