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「……おやおや、ずいぶんと大きな音がしたと思ったら。これは一体なにごとでしょうかね?」
どこからか声が聞こえてきて、私は意識を取り戻した。
「
目を開けると、誰かが私の顔を覗き込んでいた。
声色と雰囲気から、相手が男性だということがわかる。
しかし、目の前にいる人物は顔全体を覆う黒い仮面をつけているので、表情まではわからなかった。
「崖の上から落ちてきたというのに、傷ひとつないのですね。獣の方はすっかり原型がなくなっているというのに……」
目の前の人物は、寝転がっている私の腕を手に取って感心したような声を出す。
いきなり見ず知らずの人物に、からだを触られた。
驚いた私は、黒い仮面の男の手を振り払いながら慌てて飛び起きる。
「……………………………………」
「…………………………あ、あの」
上半身を起こした私と、そのそばでしゃがみこんでこちらをのぞき込んでくる黒い仮面の男。
相手は仮面をつけているとはいえ、視界を確保するための隙間から目が見える。男は目を大きく見開いて、繰り返しまばたきをしていた。
「………………………………………………」
「……………………………………えっとー?」
至近距離でしっかりと視線が合っている。
沈黙が気まずい。
「……あ、あの。……ど、どちらさまでしょうか……?」
私はごまかすように、視線を周囲に動かした。
すると、自分のいる場所からわずか数歩の距離に、なにか大きな塊があることに気がついた。
その塊が自分を追いかけ回していた熊だということは、すぐに理解できた。
「っう、うう……うえ、うううう」
地面にたたきつけられた衝撃か、それとも共に落ちてきた岩壁に押しつぶされたのか。
熊はすっかり無残な姿に変貌していた。赤い血を大量に流し、からだはバラバラに飛び散っている。
あまりの酷い姿に、私は吐き気がして口元を押さえる。
よくよく観察してみれば、自分の手の届く場所にも細かい肉片が散乱していた。
あたりには血なまぐさい匂いが充満している。
「……う、嘘でしょ。どうして私は無事なの?」
「それはこちらが聞きたいことです」
吐き気を我慢しながら漏れ出た言葉に、目の前にいる黒い仮面の男がすぐに答えた。
「どうして流れ人のからだはそのように丈夫にできているのでしょうか。痛みを感じることはないのですか?」
この台詞を聞いて、私は首をかしげた。
さきほどからこの男性が発する言葉の羅列に、聞き覚えがある気がするのだ。
それどころか、熊に追いかけられて森の中を逃げ回るというシチュエーションですら、どこかで見た覚えがある。
「……な、流れ人ってなに?」
「そうですね。あなたのように、どこかに存在する遠い場所からこちらの世界へ流れてきた者をそう呼ぶのですよ」
もしかしたら、私はそう思った。
けれどすぐに、そんなことはあり得ないと、自分の考えを否定する。
でもやっぱり、そう思ってしまう。
悩んでいてもしかたがない。
私は仮面の男の言っていた言葉の中から、気になる単語について質問をしてみた。
案の定、想定通りの台詞が返ってきて、全身に鳥肌が立った。
「あとは
やはり黒い仮面の男は知っている通りの台詞を口にする。
こうなると、次に彼が口にする言葉がはっきりとわかってしまう。
きっと、名前を聞かれるのだ。
「しかし、いつまでも流れ人と言うのも失礼ですね。……あなたのお名前はなんというのですか?」
淡々とした声色で尋ねられた。
想定通りすぎて、私は震える声で答える。
「……さ、
「サクラモチ? 不思議なお名前ですね」
「……うう、だってだってー。桜餅が好きなんだもん! 発売日が春だったのがいけないのー」
あまりに聞きなれた会話の流れだった。
当たり前のように、ゲームで使用していたプレイヤー名を答えてしまい赤面する。
ここで本名を名乗っていればよかったと後悔するが、もう遅い。
一度決めた名前の設定変更は不可能なのだ。
「で、できたらサクラモチじゃなくて、サクラって呼んでくれると嬉しいかも?」
「そうですか。ではサクラさん。彼方からこの世界に流れ着いたあなたにとって、とても有益なお話をさせていただきますね」
そう言って黒い仮面の男は、流暢に語りだした。
その内容が、これまでに何度も聞いたことのあるものなので、サクラは確信した。
男の語る言葉の数々は、サクラがハマっていたゲームのシナリオそのままなのだ。
サクラが出会ったこの黒い仮面の男。
ゲームでプレイヤーが最初に遭遇するノンプレイヤーキャラクターである。
つまりは、
サクラはたった今、自分がプレイしていたゲームの世界にいることに気がついた。