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第26話







「いってらっしゃいませ旦那さま」


 背後から声をかけられた。

 慌てて振り向くと、そこには小雪が立っていた。


「見送りはよいと言ったはずだぞ」


 小雪に向かって、数馬は眉間に皺を寄せながら声をかけた。


「大事な身体なのだから、ゆっくり休んでいなさい。私のことなど気にかけなくてよいのだ」

「そういうわけにはいきません!」


 数馬が咎めるように言うと、小雪は少し拗ねたような表情を見せた。

 その顔を見ながら、以前にもこのようなやりとりをしたことを思い出した。

 古い記憶ではない、つい最近の出来事だ。だというのに、数馬はその時のことが懐かしくなり、つい頬が緩んでしまう。

 すると、小雪の腕の中にいた赤子が笑みを浮かべる。


「あら、父上のお気持ちがわかるのかしら。とっても機嫌が良さそう」

「そのままずっと機嫌が良いといいのだが。昨晩も夜泣きがひどかっただろう?」

「ええ。ですが、皆が手伝ってくれますから。あなたもこうして気にかけてくださいますし」


 小雪も微笑むと、腕の中の赤子がきゃっきゃと声を上げる。

 そのまましばらく三人で笑い合っていた。すると、遠くからドタバタと誰かがこちらに近づいてくる足音が聞こえた。


「まあまあ、どうなさったのですか。朝から騒がしいですよ」


 廊下の奥から義母のおそのがやってきた。おそのは数馬の姿を見るなり顔を顰めると、大きくため息をついた。


「──まったく。婿殿はまだいらしたのですか?」

「ええ、どうにも二人から離れがたくて……」

「小雪や赤子のことは私がしっかりと見ております。どうか婿殿は安心してお勤めに向かってくださいませ!」

「かしこまりました。それではいってまいります」

「それで結構です! 二人のためにもしっかりとお役目を果たしてきてくださいませ」


 おそのにぴしゃりと言われ、数馬は逃げるようにその場から離れた。

 おそのは悪い人ではないが、どうにもあの物言いには慣れることができない。数馬は逃げるよう足早に自宅の敷地を飛びだした。


 しかし、一歩二歩と門の外を歩いたところで立ち止まると、背後を振り返った。視界に入ってきたのは、満面の笑みを浮かべる小雪と赤子の姿だった。


 片倉はまだ土砂留め奉行として立派に勤めている。数馬が役職を引き継ぐのはもう少しだけ先になるだろう。

 それまでにしっかりと学ばなければならない。決意を新たに、数馬は奉行所へと向かって歩きだした。












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