「こ、これはいったい。なにが起きたのでしょうか?」
呆気にとられている村役人の元へ数馬が戻ると、彼は声を震わせながら問いかけてきた。
「……うむ。どうやらあの女、私に未練を伝えたことで成仏してくれたようだな」
「──っええ、豊島さまはあの怨霊と話をされたのですか⁉︎」
村役人は面食らった顔をして数馬を見上げてきた。
怨霊退治の証人にしようとしていたというのに、もしや何ひとつ意図が伝わっていなかったのかと心配になる。数馬は内心では慌てながらも、落ち着いた態度で口を開いた。
「あの山桜の木、よく見れば枝が病気になっていてな。このまま放置すれば、いずれ病気が木の全体に広がる。そうなれば根腐れを起こしていたかもしれない状態だったのだ」
「……は、はあ。そうだったのですか?」
村役人はいまいち状況を把握できていないといった間抜けな顔で、首を傾げている。
数馬は察しの悪い村役人に深くため息をつきながら、説明を付け加えた。
「このままではあの山桜は花を咲かすこともなく、いずれは倒れてしまっていただろう。村人の誰かが近くにいるときにそうなっては、命に関わる一大事だ。あの女はその危険を知らせるために姿を見せていたのだ」
「おお、そうだったのですか!」
数馬がゆっくりと丁寧に話をすると、村役人はようやく事態を理解できたようだ。大きな声を出しながら、うんうんと頷いている。
これで次の話ができると安堵しつつ、数馬は神妙な顔をつくった。
「……どうやらあの女、以前にお山が土砂崩れを起こしたときに巻き込まれて亡くなった村人の一人のようだ」
数馬の言葉を聞いて、村役人はすぐに険しい顔をした。
土砂崩れで亡くなった村人と聞いて、思い浮かぶ人物がいるらしい。
「自分のように苦しんで亡くなる者が出ないようにしてほしい。どうか山桜の木の治療をして欲しい、そう彼女は言っていたぞ」
以前の土砂崩れで、お七と歳の変わらない女が亡くなっていることはすぐに調べがついた。
器量のいい女性で、村の皆から好かれていた。
このような話をすれば、村役人が怨霊とその女性を結びつけるであろうことは簡単に予想ができた。
「……あの女は山の木を伐採していることも心配していたぞ。また自分のように土砂に押しつぶされて亡くなる村人が出るのではないかとな」
亡くなった者を利用するのは気が引ける。
だが、これも生きている者を守る為だと、彼女の墓前には手を合わせてきた。
「私は彼女と約束をした。山桜の木を治療し、どうにかお山の木々も残す方向で交渉するとな」
数馬はそう言ってから、わざとらしく悲しみを湛えた表情をつくった。
それから、心底困ったという態度で腕を組むと、伐採の進められている山の方角を見つめる。
「……さて、顔役にはどう話を持っていったものかな」
「そういうことでしたら、私から村の皆に声をかけてみます!」
村役人が大きな声を上げて立ち上がった。
「お山の木をどうにか残せないか、顔役を交えて村の皆で相談いたします。どうかここは私にお任せください!」
胸に手を当てて熱く宣言した村役人は、翌朝になってさっそく村中の者に数馬の怨霊退治について触れ回った。
橋のたもとに姿を見せていた怨霊は成仏した。
怨霊は土砂崩れで亡くなった村娘だった。
彼女は山の木を伐採することを憂いて姿を見せていた。
その話を聞いた村人たちは、さっそく村役人と共に顔役のもとへ話をしに行った。
村人たちは山の木々の伐採中止を顔役に願い出たのだ。
顔役は村人たちの話を聞くと、その願いをあっさりと受け入れた。彼は幽霊になってまで村人を案じていたという村娘に、心を打たれた振りをしたのだ。
こうして堤の修復費用は、顔役が私財をなげうって捻出するという形でどうにかおさまったのだった。