今のこの状況が全てでっちあげであるということに、村役人はまったく気がついていない。
数馬は村役人がしばらくその場から動けないだろうということを確認をしてから、ゆっくりとお七に歩み寄っていった。
さあここからがまた大変だぞ、そう気合いを入れ直してからお七に声をかける。
「……あー、そなたに尋ねたいことがある」
数馬が傍までやってくると、お七は待ってましたと言わんばかりの顔でいたずらっぽく笑った。
お七はこの状況を楽しんでいるらしい。そんな彼女の姿を見て、気が抜けそうになってしまう。
今はまだ正気に戻ってはいけない、数馬は何度も心の中で言い聞かせる。
いつか見た舞台上の役者の姿を思い浮かべながら、数馬は声を張り上げた。
「死してなおそのような姿で現世に留まるからには、なにか特別な理由があるのだろう?」
感情を表には出さず、堂々と振舞っていたつもりだった。
しかし、お七には十分に数馬の葛藤が伝わってしまったらしい。彼女はこちらを見上げながら、必死にこみあげてきているものを耐えている。
「訴えたいことがあるのなら、今ここで申してみるがよい」
数馬が打ち合わせ通りの台詞を口にしながらお七をぎっと睨みつけると、彼女はすぐに表情を引き締めた。それからお七も、予定通りに黙ったまま山桜の木をすっと指さした。
村役人にお七の表情まで見る余裕はないだろうが、数馬は彼女の振る舞いに不安を覚えながら芝居を続ける。
「この山桜の木がいかがしたというのだ?」
数馬は動けなくなっている村役人に聞かせるように、わざとらしく大きな声でお七に向かって話しかけながら山桜の木に近づいた。そして、山桜の木に触れると、息を呑む振りをして大げさに驚いてみせた。
「──っこれは! まさかお主はこのことを知らせるために?」
数馬がお七に向かってそう問いかけると、彼女は大きく頷いた。
お七は静かに立ち上がると、泣いている振りをしながら山桜の木に身を寄せる。
村役人の目には、腹に矢が刺さったまま女が、はらはらと涙を流して必死に何かを訴えているように見えているのだろう。
さぞかし不気味に感じているのだろうなと思うと同時に、自分がとてもくだらないことをしているのではと恥ずかしくなる。
「そうだったのか。よくぞ知らせてくれた!」
数馬はあと少しで終わるのだからと、気力を奮い起こす。
真面目な表情をつくりながら、はつらつとした声で堂々と答える。
「早急に対応しよう。だからお主は安心してあの世に行くといい」
数馬がそう声をかけると、お七は山桜の木から離れた。
すると、お七の周囲に火の玉が浮かび上がる。ここまで彼女に近づくと、花火に火をつける太兵衛の姿まで丸見えだ。
ため息をつきたくなるが、どうにか堪えていると、花火が音を立てて勢いよく火を噴いた。
バチバチと大きな音が鳴る。村役人が小さく悲鳴を上げた声が背後から聞こえてきた。
「……ありがとうございます。ありがとうございます」
花火の音と共に、お七は何度も礼を言って頭を下げる。
数馬はそんなお七に向かって刀を抜いた。
数馬がお七の身体を切りつけたと同時に、音を立てていた花火の明かりがすっと消える。
辺りに暗闇と静寂が戻ってきた頃、橋のたもとにいた怨霊の姿は消えてなくなっていた。