「な、何故ですか⁉ 片倉さまはご立派にお役目を果たしておられるというのに……」
「幕府の方針だ」
現在、幕府の資金は底をついている。それにはさまざまな事情はあるが、数年前にあった飢饉の影響が大きい。
経済状況を立て直すために、いまも幕府内では大改革が行われている最中であることは数馬も承知していた。
「これから土砂留めのお役目は与力、同心を中心に巡回を行い、質素倹約に努めるようにとのことだ」
土砂留め奉行が視察、巡回を行なえば、それを行う側に経費がかかるのはもちろん、受け入れる村々も接待に相当な金を使うことになる。
飢饉から未だ立ち直れていないのは幕府だけではない。村々も貧困に喘いでいるのだ。
接待に今まで通りに金を使わせれば、民の不満が高まる。そのようなことに使う資金があるなら、堤の修繕費にまわすべきではと考えてしまうのは自然なことだ。
「誰もかれもが堤の修復に金を出し渋るのは飢饉のせいでもある。顔役がいろいろと貯めこんでおきたいのも、その影響が大きいのだろう」
片倉のような旗本は、今後現場には行かないようにというのが幕府の施策なのだそうだ。村を訪れる武士の身分が下がることで、これまでのような高額な接待費用を民に強いることはさせないということらしい。
さらに、上役が今のお役目を外れることで、これまで能力があるものの家柄が低いという理由で役職に就けることのできなかった人材が、登用できることになる。
「無能には禄を出してやらなくて済む。幕府としても経済面で合理的に人材登用をすることができるようになるのだ。近々正式に知らせがくる。そうなれば今後はお前が私の役目を引き継ぐのだぞ」
片倉はゆっくりと数馬に歩み寄ってくると、肩に手を乗せてきた。
「──っ私ですか⁉」
素っ頓狂な声が出た。
自分のものとは思えない甲高い声で、数馬は恥かしさのあまり頬が熱くなるのがわかった。
「……で、ですが片倉さま。私はまだこのお役目を継いで日が浅く……」
「このお役目は民の生活と密接に関わり、災害から命を守る大切なものだ。人を思いやれない者には任せられない」
そう言われて、数馬は巡回に出かけた日、見送りにやって来た白井の姿を思いだした。
幕府の方針を踏まえて、片倉の次の土砂留め奉行を選ぶいうことになれば、白井にもその可能性は十分に出てくる。
だが、あのような粗暴な振る舞いをする男に、人の命を守る仕事を任せたいかと問われれば、肯定はできない。
「お前は物覚えは良いし、機転が利く。仕事はよくできる男だが、少しばかり情に欠けるというか、物事に冷めたところがあったので気がかりだったのだ」
「そのようにご心配でしたら、私ではなく別の者を……」
「今回のことでそれは杞憂だとわかったのだ。今はまだ奉行所の者たちと馴染めないようだが、お前ならうまくやれる。安心して後を任せられそうだ」
片倉は数馬の肩をばしばしと叩き、また声を出して笑う。
「顔役は私が話をつけてくる。お前は夫婦の方をうまく解放してあげなさい」
「う、うまく解放とは?」
数馬が首を傾げて問いかけると、片倉は少年のような明るい笑みを浮かべた。
「村人たちは我らに怨霊を祓ってほしいと期待していただろう。ならばそのようにしてやればよかろうて」
では任せたと、片倉はそれだけ言い残して、部屋を出て行ってしまった。